8636758108_12d83078a9_b

 

私は若い頃から貧血気味だった。だから、母はよくレバーを買ってきてくれた。その母はレバーが嫌いで、私と父だけがレバーを食べていた。甘辛い焼き鳥風のレバーが私は好きだったけれど、体調が良くないときにはあの匂いはやはり鼻についた。

イタリアに来て、多くの友人たちと田舎のレストランに行ったときのことだ。

郊外のレストランにはよくあることだが、アラカルトのメニューはなく、席に着くと決まったメニューが前菜からデザートまで次々に登場する。そのレストランの前菜のひとつに、レバーの煮込みがあった。なにをどうやって料理したのか、まったく臭みがなく、非常においしく、私は夢中で食べたのを覚えている。イタリア人にはレバーが食べられない人も多かったから、私の前には大量のレバー料理が山と置かれたが、そのあとに登場するパスタや肉料理はもういらないというくらいあの日はレバーを食べた。が、少しももたれなかったのを思い出す。なぜあの独特の臭いがないのか、調べてみるとイタリアの臓物料理にはさまざまな種類の香草や香辛料が使われているためらしい。

 

イタリア文学者のアントニオ・タブッキの小説にも、臓物料理はよく登場する。というより、タブッキの小説にはおいしいけれどカロリーの高そうなものがたくさん登場して、ゆえに登場人物は「肥満」という設定が多い。そして、登場人物や物語が繰り広げられる街をより浮き立たせる手段として、料理や飲み物が登場するのだ。

タブッキはイタリア人でありながら、ポルトガルをこよなく愛した人であったから、小説の舞台もポルトガルが多い。そこで登場する料理はポルトガルのものが多いのだが、『フェルナンド・ペソア最後の三日間』や『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』といった代表作に登場するのが、トリッパだ。動物の胃、とくに「ハチノス」と呼ばれる独特の食感を持つ部分を使った料理は、ポルトガルだけではなくイタリア各地に存在する。タブッキはピサ出身だが、ピサにも立派に「ピサ風トリッパ」があり、タブッキにとってトリッパは非常に親しみのある一皿であったのだろう。

 

こうした動物の臓物を使った料理は、ヨーロッパでは古代から存在していた。まず、食料が今ほど豊富になかった時代には、狩猟で獲得した動物のあらゆる部分を有効に食する必要があったことは想像できる。しかしそれ以上に、「自然をも支配下に置く」という人間の概念が存在し、動物たちのすべてを食することがひとつの「儀式」であったと主張する学者もいる。

日本の世界史の教科書にも必ずするシャルルマーニュには、動物の骨にまつわる逸話がある。中世の王たちにとって、いくらキリスト教会が「節食」を呼びかけても、狩猟で獲得した大量の肉のない食卓など存在しなかった。狩猟は肉体を鍛える鍛錬の場として、戦争を生業としていた男たちにとって必須のスポーツであったから、その獲物が食卓に乗るのは当然のことであった。そして、映画で見るように、中世の王たちは骨付きの腿肉などをがつがつと食べるのが「男らしさ」とされていたと年代記は伝えている。

ところで、そのシャルルマーニュに敗れたある男が、シャルルマーニュに一泡吹かせたいと考えた。彼は、シャルルマーニュの食卓を牛耳る老いた給仕に頼み込み、シャルルマーニュの食卓の一隅に座る。そして、運び込まれる肉料理のあらゆる骨を自分のもとに集め、それを素手でパキパキと割り、テーブルの下に積み重ねてその場を去る。宴の後でこの折れた骨の山を発見したシャルルマーニュは、烈火のごとく怒る。彼は、自分に敗れた男の「挑発」をそこに見たからである。これは、狩猟民族同士でなければ理解できないジェスチャーではあるけれど、狩猟民族にとって動物が大きな意味を持っていたことを語っている。

中世には、庶民たちが食する肉は主に豚肉であった。王や貴族は、狩猟で獲得した動物を食し、これが特権とされていて。とくに、鹿やイノシシといった大型の動物の狩猟は、特権階級だけに許されたようだ。そして、狩られた動物の肝臓と心臓を真っ先に取り出し、主賓に差し出すのが慣習であったそうだ。

ちなみに、古代ローマの人々はどちらかというと肉をあまり食べない傾向があった。古代ローマ人は農耕民族で、パンを主食とし野菜や果物を好んだ。ローマ人は戦争もよくしたけれど、軍が陣営を設けるとその周囲にレタスを植えるのが常であったという。また、ブドウ畑の遺跡からもたくさんのレタスの痕跡が発見されているのだ。

ローマ世界で牛の飼育や豚肉の加工が一般的になるのは、なんと三世紀に入ってからだ。これも、ローマ帝国の一部となったガリアの影響を受けてのことで、グローバル化が進んで食文化も変化したことを示している。

そのローマ人が肉をあまり食さない時代にも”使用していた”のが動物の肝臓である。なにに使っていたのかというと、占いに使っていたのだ。肝臓の色や形で戦争や政治を占ったのは、ローマ人が肝臓を生活の中枢と考えていたからだという。北イタリアのピアチェンツァで見つかった紀元前2世紀のブロンズ製の肝臓の模型は、44の区切りがありそれぞれに当時の神の名が書かれている。

古代ローマでは、牛を食することは固く禁じられていた。牛を畜殺すると、財産没収のうえ流刑に処されていたというから厳しい。鳥類も、卵を産むという理由から畜殺は禁止。豚肉だけが唯一、畜殺を許されていた。ところが、ローマ世界も安寧を迎えると、食文化は一気に贅沢になった。富裕なローマ人がとくに愛したのが、フランドル地方から輸入されていた「鴨」で、イチジクだけを与えた鴨の肝臓を珍重する、という習慣が生まれたのも紀元前2世紀頃だという。これこそが、現代の「フォアグラ」の元祖だろう。

 

タブッキの作品に登場するトリッパ、すなわち動物の胃の部分は、古代ギリシア人たちがすでに炭焼きにして食べていた記録がある。ローマ人たちは、腸詰めにするのを好んだようだ。「トリッパ」という言葉は、中世の文献にはじめて登場する。ルネサンス時代には、法王や各国の領主たちのお抱えであった当時の一流シェフたちもトリッパのレシピを残しているが、現在では重要な晩餐会などにはまず登場しない庶民的な一品として知られている。ちなみに、イタリア各地に数え切れないほどあるといわれるトリッパは、一般的には牛の胃が用いられることが多い。

私が住むラツィオ州も、トリッパは人々に愛される一皿で、「トリッパローロ」というトリッパ売りがかつてはあちこちの街に存在していたのだそうだ。トリッパという言葉が入って格言も多く、「猫にあげるトリッパはなし」とは「解決方法が見つからない、期待が持てない」という意味で使われる。たとえば、今夜サッカーの試合があるとする。「今夜はトリッパはない」といえば、「(贔屓にしているチームの対戦相手の)最強チームが勝つことは疑いがない」という意味となる。

夫は臓物料理が苦手でほとんど食べないのだけど、私はこのトリッパが好きでよく食べる。ローマのトリッパは、トマト、生ハム、ラード、タマネギ、イタリアパセリ、ニンニク、セロリ、にんじん、ハッカの葉などを材料にしていて、最後にローマ特産のペコリーノチーズをふんだんにかけて食べるのが一般的である。伝統的に、胃腸が虚弱な人は食べない方がよいと言われている。コレステロールの値も高いので、そちらに問題がある人は避けたほうがよい。調理するさいは、肉が厚く、白くて匂いが新鮮なものを選ぶべし、とある。

「チェルベッラ」と呼ばれるのは、動物の脳の部分だ。イタリアでは、スーパーの食肉コーナーでも普通に売られている。チェルベッラの特徴は、とにかく脂分とコレステロールが高いこと。他の臓物と比べても、2倍から4倍もコレステロールは高くなる。子牛と子ヤギの脳は比較的食べやすいが、豚の脳はかなりクセがあるため、レモンを垂らした水に2時間ほど浸けてから料理するのが一般的だ。

心臓部分は、コレステロールも比較的低く鉄分が多いため、栄養学的にも優れている食材だ。鮮やかな赤色でつやつやし、肉部分に弾力があるものを選ぶべし。雄牛の心臓が一般的だが、豚のそれもよく食される。羊の心臓は、他の動物のものより柔らかいのだそうだ。

イタリアでも、臓物料理でも最も消費が多いのが肝臓、つまりレバーだ。その独特の後味を嫌う人も少なくないとはいえ、トスカーナ地方でレストランにはいると必ずといってよいほど前菜にレバーのパテを塗ったトーストが登場する。これは、レバー嫌いの夫も唯一口にするレバー料理である。レバーで最も質がよいとされるのが小牛のもので、豚のレバーは臭いもクセも強いと言われている。レバー好きのあいだで人気があるのは、豚と羊の肝臓で独特の風味があるらしい。栄養学的には、ビタミンAとビタミンBが豊富で、脂肪が少ないため消化も悪くないとされている。カロリーも肉のなかでは低めだが、やはりコレステロールは高い。新鮮なレバーは、水分を多く含みつやがあり、濃い赤であるのが条件だ。

日本では牛タンとして焼き肉屋では絶大な人気のある舌部分は、イタリアでは雄牛のそれを用いる。野菜などとともにゆっくりと煮込む料理が多く、胃腸にも優しいとされている。

日本ではあまり一般的でない脾臓は、イタリアでもそれほど目にはしないが、シチリアではラードで煮た脾臓とチーズをパンに挟んで食べるパニーノが、ストリートフードとして有名だ。私が住むローマ近郊のカステッリ・ロマーニ地方では、「ポルケッタ」と呼ばれる豚の丸焼きの詰め物に、細かく切った肝臓や脾臓を入れてローストする。

最後は腎臓部分。日本ではこちらも一般的ではないものの、イタリアではビタミンAとビタミンB2が豊富な食材で、豚と牛のそれがよく料理に使われるが、火が通ると弾力性が出てしまうので、薄切りにして料理される。腎臓部分に関していえば、動物のなかでも若い年齢のものを食するべし、と料理本には注意書きがあった。

 

とにかくも、臓物を使った料理だけで300ページ強の本が存在するのがイタリアである。

肉のあらゆる部分を無駄にしない、という概念は非常に良いことではあるが、いずれも食べ過ぎはコレステロールの上昇を招くため気をつけましょう、というのがたいていの臓物料理の結びとなっている。

 

参照元

http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1997/03/12/la-testa-tagliata-di-tabucchi.html

http://www.coopfirenze.it/informatori/notizie/la-cucina-di-pereira-4916

https://it.wikipedia.org/wiki/Fegato_di_Piacenza

Il Libro delle Frattaglie   Roberta Schira 著 Ponte alle Grazie 社刊

I Racconti della Tavola Massimo Montanari 著 Laterza 社刊

IL Genio del Gusto Alessandro Marzo Magno 著 Garzanti 社刊