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photo by Yasuhiro HATA

 

この数年で、私が最も見直した職業が「主婦」である。

家事と育児を華麗にこなす、主婦というプロフェッショナルな存在には、ただただ尊敬の一言しかない。

 

恥ずかしながら独身時代は、ベビーカーを押してのんびりと公園を散歩する母親を眺めて、「優雅だなあ。素敵だわあ。」なんて思っていた。

 

ところが、いざ自分が家庭&子供を持ってみると、優雅どころか毎日が戦場であることを思い知る。

 

私の息子は、現在いたずら盛り。私がクローゼットにしまったばかりの洗濯物をせっせと引き出しては床にまき散らしたり、掃除機をかけた直後クッキーの欠片をソファにぶちまけたり、私がコンサートドレスに着替えた瞬間に、イチゴでドロドロの手をなすりつけてきたりと、とにかく技が冴えている。

 

日本にも、オーストリアにも、男性は外で仕事、女性は家で家事育児、なんて時代があった。一見うまく役割分担されているように見えるが、実際自分が仕事と家事と育児、すべてを同時にやる立場に立ってみると、あれ?仕事の割合を1としたら、家事の割合だって1ぐらいで、育児の割合も1じゃない?(24時間勤務なので、むしろ1.5欲しいくらい)なんで「家事育児」って2つのカテゴリなのに、ひとくくりにされてるわけ?と理不尽な気持ちになる。

 

子供を持って学んだことの一つが、計画をして行動することの難しさ、というか不可能さだ。

何かをやろうとすれば、それを喜々として邪魔しに来たり、大声で泣き叫んで何とか親の気を引こうとする小さな怪獣の存在が、いつもそこにある。

 

家事育児の才能がある人なら、そんな中でも家をピカピカ保ち、家族のために健康的な食事をつくり、しかもきれいにお化粧までしたりできるようなのだが、私は残念ながらそちらのほうのタレントはさっぱりだったようで、そういうスーパーママに遭遇する度に、この人は魔女なんじゃないか、と本気で思ったりしてしまう。

 

そんな私にとって、仕事に出ている時間というのは、息抜きというか、ほとんど休暇のようなものである。

情けない話だが、働いている期間のほうが母親をやっている期間よりもはるかに長くて、慣れているのだから、まあしょうがないか、と思うようにしている。

 

 

ウィーンでの子育て

 

ウィーンは、子供を持つ人にとって、なかなか優しい街なのではないかと思う。

 

働いている女性ならば、産休は出産前2か月、出産後2か月の合計4か月必ず取れて、その期間の給料は100パーセント支給される。

育児休暇は最大2年まで。その全期間、または一部の期間に子供養育手当が支給される。(手当の金額や受け取り方は、自分たちの給料やライフスタイルに合わせて、用意されたいくつかのモデルから自分たちで選び取る。)

 

さらにその期間が過ぎても、基本的に子供が24歳になるまで(!)月2万円~3万円程度の家族手当を受け取ることができる。酒たばこは16歳から許可されているくせに、手当上では24歳まで子供扱いというのだから訳がわからない。でもまあ、もらえるものはウェルカムである。

 

雇用者は妊婦や、産休、育休中の女性を解雇することを禁じられているので、妊娠を理由に不当な解雇を心配する必要もない。

なによりびっくりなのが、子供が7歳になるまで労働時間を減らして働くことが可能だということ。

私自身も現在は50パーセントの仕事量で働かせてもらっている。

 

ウィーン市内の市立のベビーグループは、なんと0歳から無料で子供を受け入れている。ウィーンでは、夫婦両方が仕事を持っていることが普通なので、これは働く両親にとって大きな助けになる。

 

街の人々も、子連れ、特に赤ちゃん連れには大抵親切だ。

 

子連れで歩いていると、「かわいいね。」「何歳?」「懐かしいなあ!」なんて、街のあちこちでやたら声をかけられるようになる。今までは死ぬほど不親切だった役所の人まで、子供と一緒だとやたらニコニコと優しくなるので、むしろ気味が悪い。

 

電車でもベビーカーをたため、なんて言う人はどこにもいない。ヨーロッパ式のベビーカーは日本製のものより重厚な作りなため、そもそもたたむこと自体が不可能、ということもあるのかもしれないが、ベビーカーが電車に乗り込んで来たら、みんな当然のように場所をあけてくれるし、電車で子供が泣きだしたら、子供をあやしてくれるおばちゃんが必ずどこからともなく出現する。

 

それがオーストリア人の国民性というよりは、多分この国には疲れ果てている人が少ないんじゃないか、と私は密かに思っている。

オーストリア人は、日本人ほど身を削って仕事に人生を捧げる人が少ない印象がある。法律上、たくさん働きたくても働ける時間に限度があるというのも理由の一つかもしれないが、オーストリアには自分の時間を大切にする人たちが多い、というのが一番の理由なのではないかと思う。

 

疲れ果てていないから、きっと他人の子供が泣き叫ぶ声にも微笑む余裕があるんだろう。

オーストリアのこういうところ、私は好きである。

 

 

母親としてオーケストラで働くということ

 

オーケストラ団員としてだけに限らず、一般的に母親として働くということは、そう簡単なことではないと思う。

 

オーケストラ弾きしていて、私が特に大変だなあと感じる瞬間は、勤務時間が不定期な上に、翌月のシフトが(私たちは乗り番、なんて言っている)かなりギリギリに発表されるような時である。毎月、翌月の乗り番が発表され次第、保育所でカバーできない時間帯のベビーシッターを半べそで探す羽目に陥るからだ。

そう、コンサートがあるのは大抵夜中や週末なのだ。そして、その時間帯は保育所や幼稚園は開いていない。これが、母親として音楽家として働くことのちょっとした悩みである。

 

それでも私の場合、50パーセントの仕事量にしてもらっているので、かなり楽な方だと思う。もちろん給料も半分になってしまうという欠点もあるのだが、この仕事量だと、ひと月の稼働日数が10日を超えることはまずない。

 

子供との時間も取れるし、完全に仕事から離れる必要もない。天然ワークホーリカーの私は、完全に仕事を取り上げられてしまったら多分頭がおかしくなってしまうと思うので、素晴らしい落としどころである。

 

私のオーケストラで働く母親の多くは、この「子供が7歳になるまで50パーセント」の制度を利用している。

しかし少数派ではあるが、育休を1年も取らずに颯爽とフルタイムの契約で戻ってくる女性たちもいる。

 

一体どんなマジックを使ったら、そんな生活を成り立たせることが可能になるんだろう、と驚くのだが、よくよく考えてみると、日本のオーケストラも育休はそんなに長くなかったような気もするし、仕事量も減らせなかったはずなので、仮に私が日本で子供を持つことになっていたのならば、どうにかしてフルタイムの仕事と母親業を両立させていたのだろう。日本の母親オーケストラ団員事情は、今度一度誰かに聞いてみたいものである。

 

私のオーケストラでは、例えばフランス人のように、子供は生まれた時から自立させて育てる、という主義の国民性を持つ人たちが特に、出産後何事もなかったようにフルタイムで仕事に戻ってきて、またバリバリ働いているという印象がある。

 

そういう団員さんたちは、仕事と家庭をすっぱり切り分けられない私のようなタイプがむしろ珍しいらしく、私が休憩中に電話で子供の様子を確認していたりすると、「えっ。仕事中に子供のこと考えるの?私は仕事中は子供のことなんて1ミリも考えないよ。。。仕事中は音楽家だもん。家ではママだけどね。」なんてさらっと発言したりして私をびっくりさせる。

 

私のオーケストラは多国籍軍なので、国の数、家庭の数だけいろいろな子育ての考え方があって実に面白い。

 

 

 

母親になってからというもの、自宅でゆっくり練習することなんてほぼ不可能になったし、オーケストラ以外で弾く仕事はぐっと制限せざるを得なくなった。

今まで築きあげてきたテクニックや仕事関連のコンタクトを失う怖さは、いつもどこかにあるし、キャリアアップのオーディションを頑張っている仲間たちを見るたびに、未だにうずうずモヤモヤする私がいる。

 

でも、長いコンサートを終え、深夜くたくたになって帰ってきた時、子供の寝顔を見れば一気に疲れは消え去るし、魔のイヤイヤ期真っ只中の子供から少し離れて、オーケストラで奏でるモーツァルトの音楽は、未だかつてなく私の心にしみわたる。

 

仕事と子供、双方がそれぞれに癒しとなっている今の生活を、私はとても贅沢だと思うし、気に入っている。

 

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竹中のりこ
東京音楽大学の学士、ウィーン国立音楽大学の修士を共に首席で卒業。オーケストラ・アンサンブル金沢で5年の正規団員期間と、シュターツカペレ・ドレスデンで1年の研修期間を経て、現在はトーンキュンストラー・オーケストラの第2バイオリン奏者として活動中。好きなことは旅行とカフェ巡り、苦手なことはアイロンがけと車線変更。お酒が水より安い国に住んでいるのに下戸のため、「何しに来たの?」とバカにされる日々。ウィーン在住。 https://www.tonkuenstler.at/de