人種の坩堝ウィーン

 

ウィーン市内で市電に乗っていたりすると、ここがドイツ語圏の国であるにも関わらず、周囲から一切ドイツ語が聞こえてこないということが多々ある。

 

ウィーンは、外国人が多く住む国だ。

 

2006年から2016年の10年間で、ウィーンの人口は11パーセントも増加した。オーストリアに移住してくる3分の1以上の人たちは、首都ウィーンに住むことを選択する。

現在ウィーンに住む人の半分は、外国から移住してきた人、または両親のどちらかが外国人である人達だ。

 

ウィーンは東京都同様、23区に分かれている。

その中で最も外国人の割合が多い地区は15区。その割合はなんと52.5パーセントにものぼる。最も外国人居住者の割合が少ない23区でさえも、25.3パーセントという数字である(2016年1月調査)。全ての区を平均した、ウィーンに居住する外国人の割合は38.3パーセントである。

 

東京に居住する外国人の割合が3.3パーセント(2015年6月調査)であることを考えると、いかにウィーンに居住する外国人の割合が多いかがわかるのではないかと思う。

 

オーストリアはEU加盟国である。EUに加盟している国の国民は、どのEU加盟国に住んでもよいし、どのEU加盟国で働いても良いという決まりがある。そのため、経済的に不安定なEU加盟国の国民にとっては、福祉な医療等のサービスが充実していて、比較的治安も良いオーストリア、ウィーンはとても魅力的な居住先なのである。

 

しかし、難民や移民の流入を良く思わないオーストリア人たちの気に障っていることは、外国人の割合そのものというよりは、そのためにかかってくる、彼らの負担によるものが多いのであろう。

 

ウィーンには、多くの生活保護費受給者が存在する。

ウィーン市が投じている生活保護を含む福祉の金額は19億ユーロ。(2280億円程度。)

 

生活保護者は健康保険が払えなくても、健康保険を払っている人と同等の医療サービスを受けることができる。

 

独身の人、または一人で子供を育てている人ならば月々837、76ユーロ(10万円程度)、パートナーと暮らしている人ならば、一人につき628,32ユーロ(7万5千円程度)が、さらに子供一人につき、226,20ユーロ(2万7千円程度)を受け取ることができる。

 

と、いうことは。生活保護を受けている両親+子供が3人の家庭ならば、全く働かないで23万円程度の収入があるということになる。

 

とても手厚い保障。仕事がどうしても見つからない人、病気で働けない人などには、ありがたい制度だ。

 

ただし、こう考えることもできる。

 

オーストリア人の平均給料は月に2105,96ユーロ(24万円程度)と大して高くない。さらにここから多額の税金が引かれることになるため、手取りはもっとうんと少ない。

 

そう考えてみると、「あれ?仕事せずにパートナーとウィーンに住んで、子供7人ぐらい産んだら最強じゃない?」というアイディアにぶち当たっても、特に不思議ではないだろう。

 

市に十分な財源があれば、そういった手厚い福祉の体制は全く問題がないのかもしれない。しかし、現在ウィーン市が抱える負債は60億円。その額は年々増加していて、2017年の終わりには65億円程度になると予想されている。

 

ウィーン市が支払う生活保護費も年々増加している。その原因として、ここにも難民問題が潜んでいる。ウィーン市の2015年の生活保護受給者の43パーセントは、外国人だった。

 

安月給で必死に働いた挙句、給料の大半が税金として持っていかれてしまう。その税金は働かずに悠々自適とくらす生活保護受給者の生活費になり、その受給額は自分の手取りより多い、となればもちろん不満が沸き上がるのも無理はない。

 

ウィーン市の住民は爆発的に増え続け、その影響もあってマンションの値段等、住むためのコストもうなぎ上りである。ウィーンの家賃は2010年から2015年の5年で17パーセント、マンション購入額に至っては51パーセント(!)も上がっている。

 

原因は、決して移民や難民だけではない。でも、誰かのせいにしなければとてもやりきれない現状なのかもしれない。

 

また、ウィーン市内の学校では学力の低下が問題視されている。クラスの大半の子供たちの母国語がドイツ語でないため、ドイツ語での授業が成り立たないというのである。こういった問題を受けて、ウィーンでは小学校に入学する直前の1年間、子供たちは幼稚園に通う義務を負うようになった。この一年で、家庭でドイツ語を話す機会がない子供たちも、幼稚園の中でドイツ語を学んでいくことになるのである。しかし、いくら子供は吸収が速いと言っても、たった1年でネイティブレベルになるとも限らないので、オーストリアの教育ママたちは血眼で外国人の割合が少ない学校を探してさまようことになる。

 

そういう背景もあって、現在ウィーンでは外国人への風当たりが良くないことが少なくない。また、滞在許可の取得も年々困難になってきているという現状があるようだ。

 

国境とオーケストラ

 

学校だけに限らず、ウィーンは仕事場だってインターナショナルなことが多い。私たちのオーケストラも多国籍軍である。100人ほどいるメンバーのほぼ4分の1は外国人である。

 

音楽は国境を超える、なんて言われることがあるように、入団当時は本当にドイツ語がやばかった私でも(今も十分やばい)、音楽という共通言語がそこにあったために、特に大きな問題もなく、働きだすことができた。

 

団員内で、人種による諍いというのは、少なくとも私は今まで目にしたことがなく、ロシアとウクライナの関係が険悪になったときでも、オーケストラ内のロシア人とウクライナ人の同僚は隣同士に座って仲良く演奏しているし、日本も中国と関係が良くないというけれど、私は中国人の同僚と音楽に関して議論することはあっても、特定の島について議論することはない。

 

思うに、実際毎日会って、その人となりを知るようになれば、その人をどこの国民だ、と捉えるよりは、その人個人としての付き合いになっていくわけで、「この人は、犬を飼ってて、ジャガイモが好物で、子供が2人いて、ついでにハンガリーから来た人」というように、どこの国の人かというのは、その個人の持つ多くの情報のうちの、一つにすぎなくなってくる。

 

もちろん生まれ育った国が違えば、その国によって教育や環境が違うわけなので、お互い理解に苦しむ場面や、誤解が生まれることもある。でも、そういうことは、同じ国に生まれていても十分に起こりうることだ。

 

 

境界線のある世界

 

私の夫はオーストリア人なので、もうすぐ2歳になる私の息子は現在、日本とオーストリアの二つの国籍を持っている。

 

異なった国籍の両親を持ち、外国人の多い街で暮らす私の息子は、日本人の両親を持ち、日本で生まれ育った私よりもずっと早い段階で、国境という境界線の存在を目で、肌で、心で感じていくことになるのだろう。

 

生まれたばかりの赤ちゃんは、自分と他人の境界線が曖昧だと言われている。

ママが赤ちゃんに語りかければ、赤ちゃんは耳だけを反応させるのではなく、声帯も反応させるのだそうだ。赤ちゃんは、おしゃべりしているのがママなのか、自分なのかがわからないのだという。

 

しかし人間が宇宙の一部のような存在として、境界線のない世界に生きるのはたったの2か月ほど。

 

それから人は、自分と他人、家族とそれ以外の人、男性と女性、日本人と外国人、など境界線だらけの世界で、あらゆる境界線のあちら側とこちら側の違いに憤慨や感動をしながら生きていく。

 

1年前までは、人類全てを「パパ」に分類していた息子も、今では「ママ」「じいじ」「ばあば」と舌足らずな声を発しては、私たちをデレデレにさせている。

彼が四足歩行の生物全てを「ねこちゃん」と呼んでいたのだって、たった半年前の出来事だ。今ではぞう、さる、シマウマ、羊、ヤギ、犬、シロクマ、、大抵の動物は区別、認識することができる。

 

日々好奇心に満ちた瞳で、新たな境界線を発見していく息子の手には、一本の絵筆が握られている。

世界という真っ白なキャンパスに、次々に新たな色の境界線を描き出す、光り輝く魔法の絵筆だ。

 

彼にとって境界線は、隔てるものでなく、彩るもの。

奪うものでなく、豊かにするもの。

 

日増しに鮮やかになる、キャンパスに浮かび上がるその色彩は、どれもが尊く、美しい。

 

境界線のある世界は彩りのある世界だ。

 

私たち皆が、摩擦なく共生していくことができればどんなに素敵だろうと思う。

様々な境界線が交差する、色彩豊かなこの世界で。

※この記事は特集「世界には輪郭なんてない」の記事です。