なんというか「落語ファン」ってぇわけではありません。

 

寄席なんかは、あんまり。

 

だって寄席に行くっていうのは以下のようなことだよ。

 

どうせ家にいても邪険にされる、下駄突っ掛けてフラリと出かけ、1日往来ウロつくのも難儀だ、「ちょいと寄席でも」。つって演芸場に入ったが最後、3時間とか4時間近くもの間、いろんな噺家さんが入れ代わり立ち代わりして、餅つき大会のよに、古典落語が語り込まれるときたもんだ(途中に曲芸とか漫才とか入るけど)。これはもういっそ「演芸場チャージ」と考え、お弁当食べたりお茶飲んだり、寝っ転がったり(?)して

 

「過ごす」

 

てえな感覚、お目当ての噺家の時だけおもむろに覚醒する、それが古来本来の寄席なのでありましょう。頭から尻までフルスロットルで真剣にかぶりついて聴く…ようなもんじゃござんせん。啄木風に言うならば「友が皆我よりえらくみゆる日よ 木戸銭払いて 噺にしたしむ」みたいな。

 

それに対し、独演会はちょっと趣が違う。

 

なんつーの、独演会は「贔屓をがっつり聴きにいく」感覚。音楽アーティストのライブを聴きに行くのと、まあ、あんまり変わらない。っていうか同じ。故に、お気に入りの噺家がいない場合、これまたあんまり足が向かねぇんですよなあ。べつに。つまり、

 

「噺の内容をふむふむと聞いて帰る」

 

わけではないから。なのである。

 

聴き方のひとつとして、落語の筋やセリフを理解するために、理路整然と聴く…という楽しみようもあろうけれども、それは「初心者」。

古典落語の場合、聴けば聴くほど「あ、知ってる噺だ」が増えてくるので、物語の内容を追いましょうかい、という情報処理係みたいな考えだといずれは行き詰まるのである、わかるよね?

 

話芸、ひいては噺家の「人となり」に惚れて、

どうしようもなく「聴き込む」。

 

…というんが、落語を聴く醍醐味っつーものなのだろうねえ。ええ。

 

 

その意味で私は生まれるのがちょいと遅すぎた。

 

 

五代目古今亭志ん生は明治23年生まれ。

売れたのが少々遅く50代だったため、全盛期は昭和20~30年代くらいか。

 

この頃に寄席や独演会に行けていたらなあ。夢想。

 

幸いなことに戦後はその娯楽の少なさから爆発的に「ラジオブーム」というものがあり、落語はラジオ放送にうってつけのコンテンツだったことから、志ん生はその波に乗った。ラジオから志ん生が聴こえてこない日はない、というくらいの「出ずっぱり」だったらしい。

 

だから当時のラジオ出演時の録音が、たくさん残されている。

 

嗚呼、ありがたいなあ。

貴重だなあ。

幸甚だなあ。

 

忘れもしない、最初に古今亭志ん生を聴いたのは十八番中の十八番であるところの

 

『火焔太鼓』

 

 

だったが、なんだろうかあれは。落語というジャンルを超えた何か別の、ぽっかりと浮いたよな芸術になっている。

 

著書『びんぼう自慢』などに詳しいけれど、志ん生師匠の売れない時代は、文字通りの極貧…いや、赤貧洗うがごとし…いや、それ以下だった模様。「飲む・打つ・買うの三拍子の人」と評されているけど、中でもやはり「飲む」(…より「呑む」がしっくりくる)が、相当に家計を圧迫していたものらしい。

関東大震災の時も「東京の酒がみんな地面に吸い込まれちゃう」と心配し、地震の最中に酒屋に駆けつけた、という武勇伝(?)は有名、妻のりんさんの嫁入り道具や、師匠の羽織まで質に入れて、「呑んで」しまう。とにかく、呑んでしまう。合間に博打は打つわ、女郎は買うわ。子どもに食べさせるご馳走は裏の池で採ってきたカエルの焼いたの、お金がないので夜逃げ同然で家を転々とし、借金取りを目くらますために何度も改名し、結果「家賃は払ったことがない」とか、凄まじい。りん夫人は懸命に内職仕事をし、そんな志ん生を支えたそうだが、

 

「稽古だけは一生懸命で、いつか立派になると思った」

「父さんに賭けたんです」

 

ふぇえええ。

自分には到底無理だ、そんな内助の功は…。

 

しかし本当に「20世紀を代表する落語家」として大成したのだから、りんさんという女性もやはり只者ではなかったのでありましょう。

 

そんな妻のりんさんに向かって、告解のように語っているとしか思えぬ

 

『替り目』

 

 

などは、可笑しいのだが、笑いながらもなんだか泣けてくる噺。志ん生師匠の真骨頂。

 

自らが「なめくじ長屋」と名付けた志ん生ご一家の貧乏長屋時代は、醤油や味噌の貸借りから病人の世話まで、貧しいながらも楽しいボロ家、長屋中で家族同然に暮らしていたそうだけども、熊さん・八っつぁん・ご隠居・おかみさん、お馴染みの登場人物が入り乱れての「長屋噺」は落語の定番。実際長屋で暮らしてた人が演る

 

『粗忽長屋』

『寝床』

『風呂敷』

 

などの噺の数々は「ルポルタージュか」と思うほど機微に富む、敵わん。覗き見感覚で長屋を訪れたら愉快過ぎて帰れなくなりました、というかんじ。

 

『二階ぞめき』『五人廻し』などの「廓噺」、狸が登場する噺、酒呑みの噺、富くじの噺、どれも面白可笑しいくせに変に真に迫っている、敵わん。市井の滑稽話に関してはオールマイティなのじゃなかろうか。

 

(志ん生に合ってないのは「お公家さんが出てくる噺」「関西弁を話さなければならない噺」あとは怪談か)
とはいえ志ん生の落語が「経験が裏付けた克明描写」なのだね、キチントさんなのだね、などと了解したらそれはまったくの大間違いなのでね。

 

お客が気に食わないと適当な噺で切り上げてさっさと帰った、という逸話もあるくらい、その時の気分で落語が変わったそうだ。

語り口は絶妙な間合いとリズム感、どこへ飛び跳ねるのかわからぬような声色、ほとんど音楽を聴いているようなもの。

それが何回も何十回も何百回も繰り返し

 

「聴き込んでしまう」

 

理由、「志ん生可愛や」な気持ちの所以だから。

そこんとこよろしく頼んます。

 

 

全盛期時代、ラジオのみならず無論のこと寄席や独演会でも引っ張りだこ状態だった志ん生師匠。

ライブ録音音源も豊富。

 

聴衆の朗笑、どよめき、咳き(しわぶき)、子どもの笑い声(洒落た子どもが存在したのだね当時は)、表を通るトラックのエンジン音、ことによると裏手で鳴る事務室の電話の呼び鈴だとか。

 

周囲の音も拾い込み、一種のサウンドインスタレーションのようだ。

 

この日は晴れていたのか、なんとなしに音が乾いている、演芸場の入り口からは、斜めに黄色い陽がさしていたろうか。

 

そんな情景をも浮かんでくるからして、ライブ録音をよく聴く、寝る前に聴く、聴きながら寝てしまう、

 

幸せ。