現在ベルリンのギャラリーUnder The Mango Treeにて、グループ展 ”There is a place called Elsewhere; Within us” の一員として作品を展示中の写真家、青木大さん。
各地の都市や国のエネルギーや風景が溶かされ、最小単位として再定義された写真たちは、一枚一枚異なった色彩や光に溢れながら、観るものを魅了します。
大さんには、お会いする度にストイックなプロ意識に多くのことを学んできました。その横顔を、お伺いすることに。

 

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今日はよろしくお願いします!まずは経歴からお聞きしたいです。

生まれは北海道。19歳の時に東京へ出て、芸術学部写真学科で写真を専攻しました。
卒業して1年間プー太郎のように生活していたら、お金があまりにも無くなったのでデザイン・プロダクションに入社。
10年くらいカメラマン・アシスタントを含めて経験させてもらいました。

2014年の夏に退社し、秋にロンドンに移住。
ロンドンは学生ビザで入ったのですが、「イギリスに住むアーティストとして作品を売る」ということしか経済活動ができなくて。
最終的な目標はそこではなかったので、ベルリンに移住して来ました。

 

大さんの「最終的な目標」って何だったんですか?

ビジネスのベースをどれだけ広げられるか、です。
日本では既に10年分のキャリアが有って、可愛がってくれたクライアントさんやクリエイティブディレクターさんも居るので、自分なりに人の広がりを持っていたつもりでした。
その広がりをアジアだけではなく、ヨーロッパにも持ち込めたらと。

ショーモデルを良いなと思う点は、ファッションウィークに合わせて世界中を移動できるでしょ?
世界中で仕事ができる。会ったことが無い人々に会い、食べたことの無いものを食べられる、っていうのはすごく素敵だな、と思って。
自分もちゃんとした仕事で、なるべく働けるエリアを広げたいと思ってヨーロッパに移動して来た訳です。
ビジネスベースじゃないと意味が無かったので、働けるビザを手に入れられるベルリンに2015年の4月に来ました。

 

「写真は現場に行かないと撮れない。机上の空論では語れない職業」

 

自分のフィールドを広げたい、と思った切っ掛けは・・・?

写真のことは別にして、そもそも見たことが無い色、嗅いだことが無い匂い、食べたことの無い味、聞いたことの無い音楽や言葉とかが、世界中にいっぱい散らばっていて。
全部に出会いきることは不可能だけど、なるべく知らないことを減らしたいと、昔から思っていました。
「あそこはこうなっていて、こういう人たちが居る」ということを、確信を持って人に話せる方がいいなと。
自分の中で確信を持っているものがないと、世界を把握できないというか。把握しきれなくても、少なくとも自分の見聞きした・知っている物、触感を含めた感覚を持っていたい。

 

「実感」としてですね。それは何歳くらいから?

やっぱり学生の頃、バックパッカーをした時からかもしれない。
海外でも日本でも、旅行に行くと色々な知らない人・知らない言葉に一期一会で会っていけるのは、すごく素敵なことだと感じました。

写真の仕事をいいなと思うのは、基本的に写真は現場に行かないと撮れないこと。
現場に行けるという強み、それは自分にとってすごく大きなアドバンテージだと思っています。
インターネット上や、机上の空論だけでは語れない職業だと。

 

なるほど。しかしバックパッカーだったとは、知らなかった!

今、個展を開いているギャラリーのオーナーはインド人なんですが、昔はインドがすごく好きで行っていました。
こういう人たちと出会えているのも、縁だなと思ったり。

最近は映画祭の関連で、フリー・チベットのお坊さんに関する写真を撮ったんですね。
そういえば19歳の頃はチベットのお寺にしばらく住んでいました。ダラムサラという、亡命して来たチベット人街のちょっと上で、150人くらいが暮らす小さなお寺に住んでいたことが有って。
色々なことがリンクして繋がっているんです。
バックパッカーしていた頃は、自分にとってすごく有意義な時間でしたね。

 

具体的には、どんな国に行かれましたか?

僕はアラスカとインドばかりを往復していました。

 

アラスカ!ジョン・クラカワー「Into the Wild」を読んで以降、とても魅了されているんですが・・・

でも、死にたくはないでしょ?

 

死にたくはない!笑

アラスカって意外に普通の街だから、僕のイメージしていたのとは全然違いましたよ。
「Into the Wild」みたいに一人で何もなく荒野へ身を投じる覚悟が有るか、もの凄いお金を使って自然の美しさを確認しに行くか、2種類しかアラスカの遊び方は多分無い。
どっちの勇気もお金もない人は街に留まるしかないから、僕はそう言うタイプでしたね。
実はカメラマンになろうと思った切っ掛けが、アラスカを撮るカメラマンでした。