photo by DJ Bass
※この記事は、特集「よくわからなくなるお金のはなし」の記事です。
トイレから帰ってきた友人が言った。
「みんな”ジーザスクライスト”って言ってるように聞こえる!」
僕は感動に打ちひしがれ何度も首を縦に振った。
なぜなら全く同じことを僕も思ったから。代官山の地下深くsaloonというクラブでみんな”ジーザスクライスト”と言っている。
なぜか。
それは深夜3時、声がかれるくらい大声を出さなければ会話できないくらいの大音量、テクノ、グラスの割れる音、ミラーボール、タバコの煙、怒号にも似た歓声、ジーザスクライスト。
周りを見渡すと多種多様な人が見える。下は20歳から上は40代くらいだろうか。男女比率は少し男子が多いようである。
みんな好きなのだろう、テクノが。一心不乱に踊る人、友達と談笑する人、乾杯する人、DJの手元を見る人、酔いつぶれて寝てる人。
みんなとてもいい表情である。
眉間にしわを寄せて怒っている人などいない。
もちろん国境も宗教も金持ちもニートも関係ない。みんなテクノが好き。それだけだ。
喉が渇いた。手元のグラスはとっくに空だった。
ここはビール一杯700円。1000円出しても300円しかお釣りがこない。
普段はスーパーで金麦を買っている。105円。
でも買う。だって飲みたいから。好きだから。ビールとテクノが。
朝10時、DJが音を止めフロアに電気がついた。多幸感と終わってしまった切なさが入り混じる。
「ワンモアー!ワンモアー!」
まだグルーヴに浸りたい、踊り足りない人たちが叫ぶ。
再びレコードに針が落とされ、テクノは再開した。
僕はだいたいここで帰る、いや帰りたい。
最後までいると切なさが勝ってしまう。
帰り道財布をあけると200円くらいしか残ってない。ジーザスクライスト。
コンビニでシメの缶ビールを買う。
僕は一晩で使うお金はチケット代込みで1万円までと決めている。これには単純明快な理由がある。
決めてないと文無しになるか体を壊してしまうからだ。
入場時にドリンク代だけなどのゲスト枠で入ることはほぼないが、それでも好意でディスカウントしてくれるアーティストにはビールをおごる。
大抵のアーティストは金がない。僕もない。
しかし価値のあるものや行為にはきちんと対価を払いたい。
この場合、もっともわかりやすい返しかたはお金である。
お金は非常に便利で優れたツールだ。たいていの物や事はお金があれば解決できる。
グラマラスなお姉ちゃんやほっぺた落ちるような寿司、かっこいいスポーツカー。美しさや健康もお金で買えるだろう。
しかしツールはツールなのであってお金自体にはなんの価値もない。
あるとすれば鉱物としての物質的価値と、印刷などの技術的価値だけであろう。
だけども、みんながその実体のない価値を信じてお金様ー!お金様ー!と崇め奉り、このお金世界ができあがっているのである。
誰がお金の価値を決めているのかは知らないが、今のところ日本銀行券は世界中でもそれなりに信用を得ているようである。
最近ではBitcoinなどのデジタル通貨が広まり、ますます実体のない概念としての完全な”仮想通貨”となっている。
問うてみる。
お金が腐るほどあったら何をするか。何を買うか。
逆にお金がなかったら何をするか、何を買うか。
2011年、忘れもしない東日本大震災。の一週間前。
僕はDOMMUNEというライブストリーミングメディアで坂口恭平という人と出会った。
彼の説明をし始めると大変なので簡単に言うと、建てない建築家であり作家、画家、シンガーソングライター、そして新政府総理大臣(笑)である。
その時はたしか「都市型狩猟採集生活」というタイトルの番組で、奇しくも映画監督である鎌仲ひとみさんと原発問題について語っていたように思う。最後はなぜか韓国の女性アイドルグループ少女時代の「Gee」を韓国語で弾き語っていたような気もする。
当時「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」というタイトルの書籍が発売されていて、そちらのほうの内容はホームレス、というより公園生活者のフィールドワークとなっている。
子供のような純粋な疑問を本気で考え、実践し、答えを出す。素敵な人だなと思った。
そんな坂口恭平氏がトークショーでこんな話をしていた。(注:「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」の次作「独立国家のつくりかた」にも同じ話が載っている)
新宿の知り合いのホームレスの一人は、家もお金も持たず乞食をしているそうである。
「新宿には何でも実っているからね。それをつまんでは食べたりするだけだよ。」
坂口恭平氏はそれを都市の幸と名付けていた。
しかし、”お金はいらない”と言いつつも自動販売機などを物色し、お金を探している。
“なんで?”と聞くと、
「ここは大抵のものはお金がなくても手に入る。だがたった一つ手に入らないものがある。
コーラだ。コーラは落ちてないんだよ。」
彼にとってお金はコーラの引換券だったのである。
おそらく一兆円でも100円でも彼には同じくコーラの引換券としての価値しか感じないのではないか。
この話はじわじわ僕の中の価値観を変えていった。
僕はなんのために働いているんだろうか。
生きていくためだろう。生きていくにはお金がいる。
お金?お金はなぜ必要なんだ?
必要だろう。家賃や光熱費、生きてりゃ腹も減る。
新宿のホームレスを見ろ。彼はコーラしか買わない。
ホームレスになれっていうのか!
そうじゃない。お金世界とはうまく付き合うんだ。しっかりしろよ。
目的と手段をはき違えてはいけない。
もちのろん、お金は必要だ。
なんのために?僕はコーラの引換券にはしない。
老後のため、病気のため、未来のため?
いや、ナイスなグルーヴで踊り、ビールを買うためだ。
ジーザスクライスト。