machine

 

※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。

 

人間と機械の話のはずなのに、なぜ遺伝子操作?と思われるかもしれない。

だが、人間も考え方によってはある種の機械であって、遺伝子はそれを作るための設計図であると考えればどうだろう。
例えば第1回で話した、ロボットスーツを作る場合を考えてみよう。普通は人間に合わせてロボットスーツを作る。まず、人体に合わせて設計図を書いて、これを基にスーツをどこかの工場で製作することになる。

一方、遺伝子操作で人体や人体組織を自由に設計して製作できるようになったと仮定すれば、ロボットスーツに合わせて人体を作り直すことも可能なはずだ。理想的なロボットスーツを作って、これに合うように遺伝子を設計し、人体の方をスーツに合わせて作り直すということも可能になるだろう。ロボットスーツというよりそのままサイボーグといっていいかもしれないが。。。
人間に機械を合わせるのか、機械に人間を合わせるのかは、心理的な話を抜きにすれば(簡単に抜きにはできないだろうが)、その装置(サイボーグ)を使用する目的に対して、どちらを基にして作った方がコストも含めて合理的であるかという選択の話になる。
ここまで来れば、わざわざ人体とか機械とかを分けることは無意味になるだろう。一つの設計図上で、ある部品をこれこれの金属を使い、このように加工して作れと指示してするのにつづけて、これこれの遺伝子操作でこのような人体の組織を作って、この部品と組み合わせろ、と指示されるようになる。
ここでは機械と人体の差はどこにもない。同じ部品(誤解をまねく言い方だが)として扱うことができる。これはある意味Human Machine Interactionの究極の形といってもよいだろう。
第1回、第2回の話が、Human Machine Interactionについて、Machine(機械)の側からのアプローチであるとするなら、今回の遺伝子操作の話はHuman(生体)の側からのアプローチといえる。

 

 

もちろん遺伝子操作で人体や人体組織を自由に設計して製作できるようになるのは、ずっと先の話だ。遺伝子操作の現状については、後で見てみる予定だが、今の段階はといえば、やっと比較的構造の簡単な皮膚や骨が再現できるようになったという段階でしかない。
だが、将来にわたって、我々自身が機械に親和的な存在に、我々自身を変えていこうとしているという方向性に間違はないはずだ。すでに我々は車のない世界を考えることはできない。多くの人には、携帯電話やスマホのない生活もそうかもしれない。
あるSF小説に、おっちょこちょいの宇宙人が地球上の知的生命体は車で、人間は車に寄生している寄生生物だと勘違いする話があったが、あながち間違いともいえないだろう。
我々の70%近くが成人になるまでに近視になってしまうのは、遺伝子操作ではないが、ディスプレイという機械に、より適用するため我々自身が我々の肉体を改造している行為といってもいいだろう。
我々は、知らず知らずのうちに、遺伝子操作が可能になるまえから、機械に寄り添うように自分達の肉体を改造しているのである。
もしかしたら、人間は二本足で立ちあがったから、手で道具(機械)を扱えるようになったのではないのかもしれない。そうではなく、道具(機械)を扱うために、二本足で立ち上がったのかもしれない。

 

遺伝子操作の現状について

遺伝子操作は比較的新しい技術だ。遺伝子の本体であるDNAの二重らせん構造が発見されたのが1953年で、初めてのコンピュータENIACが作られたのが1946年である。遺伝子操作とコンピュータとは、ほぼ同時期に本格的なスタートが切られたと考えていいだろう。
どちらの技術も、近年加速度的に発展している。遺伝子操作について簡単に見てみると、1970年代に、DNAを特定の位置で切断する技術や断片をつなぎ合わせる技術、DNAを細胞に導入する技術などの遺伝子操作に関する重要な技術が開発された。
さらに1980年代には遺伝子の複製が容易に行える技術が開発され、これらの技術を使って、1996年には クローン羊が誕生したことにより世界に衝撃を与えた。また1998年にはヒト由来のES細胞が製作できるようになり、2000年のヒトの全ゲノム解読がほぼ完了したこととともに、遺伝子治療、再生医療などへの本格的な実用化が始まった。2006年にはiPS細胞が作成され、広い範囲への研究が行われている。
遺伝子操作の応用が最も進んでいるのは、再生医療の現場であり、皮膚や血液に関してはすでに実用化されている技術もある。これらの例についてまとめてみよう。

 

皮膚

皮膚の再生医療は最も、実用化の進んだ分野といってよいだろう。培養皮膚がすでに製品化されている。 かつては、表皮細胞の培養は困難とされていたが、マウスの細胞を土台として用いる方法が開発され大量培養が可能となった。
自己の細胞から作成される自家培養皮膚と、他者由来の細胞を用いた同種培養皮膚があり、自家培養皮膚は拒絶反応がないため、永久的に生着することが期待できる。
他者由来の細胞を用いた同種培養皮膚は、生着しないため傷の保護に使われる。培養皮膚からは、治癒を促進する物質が放出されることにより、生体の治癒が促進するとされている。
現状では、毛穴や汗腺などの構造までの再現はできていない。これに対して、iPS細胞を用いて毛穴や汗腺の再生が可能になったとのニュースもある。

http://wired.jp/2016/04/06/lab-grown-skin-sweat-hair/

 

血液

造血幹細胞は血液を作ることができる幹細胞である。正常な血液を作ることができなくなる白血病、再生不良性貧血などに対して、健康なドナーから造血幹細胞を多く含む骨髄や、臍帯血を移植することで治療する試みは、すでに実用化されており、有効性が実証されている。
この分野では、バイオテクノロジーを用いて造血幹細胞を、体外で増幅することが試みられている。これが実現すれば、ドナーの負担の軽減や血液の大量生産などが可能になると予想される。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2501dir/n2501_06.htm#00

 

網膜

iPS細胞を用いた再生医療研究の中で最もヒトへの応用が近いとされるものが網膜の再生である。
臨床実験として、眼の網膜にある黄斑部が変性を起こす加齢黄斑変性と呼ばれる疾患の患者に対して、患者本人の皮膚細胞からiPS細胞を作製し、さらに「網膜色素上皮」に変化させ患者に移植している。現状ではその有効性と安全性の検証が行われている段階だ。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/02/ips-cell-transplant_n_8231122.html

 

人工臓器

バイオテクノロジーの大きな目標は、心臓や肺、肝臓などの人工臓器を実現することだろう。しかしながら、現状で可能になっているのは、皮膚や網膜、軟骨などの比較的簡単な構造の組織でしかない。
心臓や肺、肝臓などの3次元の複雑な構造の組織については、その一部分がマウスなどで作ることができたという段階だ。だが、一部分にしても作れたことで、いろいろな実験がやりやすくなるなどの波及効果は大きい。
人間の臓器を好きなように切り出して、あれもこれ基実験するわけにはいかないが、人工臓器ならいろいろな実験を行うことができるからだ。

心臓

骨髄中の間葉系幹細胞から心筋細胞に分化できることがマウスを用いて証明できた。
人間の心臓全体が形成できたわけではないが、同じ哺乳類なので、基本的な構造は変わらないという意味では大きな進歩だろう。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2483dir/n2483_03.htm#00

 

こちらも肺や気道の細胞を試験管レベルで再現できるようになったという段階。
http://wired.jp/2013/12/17/lung-and-airway-epithelial-cells-from-ips-cells/

 

肝臓

iPS細胞(人工多能性幹細胞)を用いて、胚形成期の腎臓に似た構造を実験室内で作ることに成功した。
http://wired.jp/2015/10/25/ips-kidney/

 

膵臓

皮膚細胞から、インスリンを分泌する膵臓の細胞の機能を作り出すことができたというもの。糖尿病の治療に有効。
臓器すべてを再現できなくても、疾病を治療するのに必要な細胞を作り出して移植することで、医療的には大きな進歩となる。
http://www.dm-net.co.jp/calendar/2016/024620.php

 

脳の神経細胞も幹細胞から形成できる。これもマウスレベルで実証された。
http://wired.jp/2014/08/14/brain-cell-implant/
脳の神経細胞が形成できたとしても、記憶や知性は神経細胞の結合のパターンとして存在するもので、これは個人々それぞれ異なる。遺伝子はこのような結合パターン(記憶や知性)の形成方法を規定してはいるが、どのようなものができるかという結果には影響しない。
基本的にはその人の生活史(何を見、何を聞き、どう感じたか、などなど)が時間をかけて作り上げたものであり、この意味では脳の再生は他の臓器とは異なり、遺伝子操作だけでは実現できないといえるだろう。
遺伝子操作はまだ緒についたばかりの技術で、多くの研究が暗中模索、試行錯誤を繰り返しながら進んでいるという段階だ。機械に合わせて、人体を改良することができるようになるのは、ずっと先の話になるだろう。
生命がこの地球上の現れたのは30憶年以上前ともいわれている。そのとき生命はすでに自己複製の能力を持っていたはずだ。この自己複製というゾウリムシさえ持っている生命としての必要最低限の能力を、我々はまだ実現することができていない。このことを例にするだけで現在の我々のレベルを推し量るには十分だろう。
もしかしたら、この遺伝子を含む生命科学に関して、我々は何か大きな見落とし、あるいは、考え方が根本的に間違っているのではないかという恐れもある。従来の研究の方向を根本的に変える、アインシュタインの相対性原理のような革新的な発見が必要なのかもしれない。
悲観的に考えれば、自分自身で自分自身を理解することは、果たしてできるのかという哲学的な疑問も浮かぶ。一方で、根拠の薄い思いつきかもしれないが、人工知能という生命のしがらみのない知能を研究し、活用することが逆に生命を理解することに大きな助けとなるのではないだろうかとも思う。
人工知能の発展がこの遺伝子操作発展とほぼ並行するように発展していることは、もしかしたら偶然ではないのかもしれない。

 

※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。