リハーサルで行うこと

めでたく日程調整を終えて、リハーサルの日が確保できたとする。

リハーサルではどんなことが行われていくのだろう。。

弦楽四重奏など、弦楽器による室内楽で、まず必要なのはボウイングと呼ばれる、弓の動きを揃える作業である。

演奏会などでちょっと注意して見てみてほしい。それぞれの奏者が、似たようなフレーズを弾いている時に、弓が揃って動いていることが多いことに気づくだろう。あれは、奏者達がリハーサル内で相談して決めているのである。

弓の動きを揃える目的は、視覚的な美しさの為だけではない。音楽を効果的に表現する為にも役立つのだ。

 

弓の動きに対する指示は、予め楽譜の中に書き込まれていることもあるが、そうでないことも多い。また、仮にそれが楽譜の中に書き込まれていたとしても、作曲者オリジナルの指示でない場合もあるので、そういった時は、本当にそれが自分たちにとって有効な弓の動きであるかを検討する必要がある。

 

リハーサルを重ねたり、一度演奏した曲を、歳月を経て再び弾くことになったりする度に、そのボウイングは進化して変わっていったりする。たかだか弓を上げるか下げるかの2通りの選択の連続でしかないのに、それは終わりのない深い作業なのだ。

さて、ボウイングが大体決定したら、音楽の深い部分まで追求していく作業に移っていく。そこにいる奏者の数だけ、音楽に対する異なったイメージがある。しかし、表現する音楽はたった一つ。奏者間で意見が大きく異なった場合は、どうやって処理していけばいいのであろう。

 

リハーサルにも必要なテクニック

 

ウィーン国立音楽大学には、「室内楽のリハーサル法」という授業がある。この授業の存在を知った時、私はとても驚いたことを覚えている。日本の音大に、こういった授業は存在しなかった。

この授業で学ぶことは、リハーサルで突き当たる問題をどのように平和的解決へ導くかという手法だ。

例えば、室内楽においては明らかに自分も相手も「正しい」音程を弾いているはずなのに、ハーモニーが濁ってしまう場合がある。一人で弾いたら、どちらも音程は狂っていない。でも他の人と一緒に弾いた途端、どういう訳か、たちまち濁った響きになってしまうのだ。

 

こういったトラブルには、もちろん科学的な原因があるのだが、それを知らないと、おかしい、おかしいと闇雲に音程を上げたり下げたりして手探りで正しいハーモニーを探す羽目に陥り、それだけで日が暮れてしまう。

このような問題に対処する知恵などを授けてもらえるこの講座は、将来室内楽奏者を目指す学生達には、とても興味深く役に立つものだ。

だが、この授業で学ぶことはそれだけではない。

メンバーと音楽的な内容で意見が対立した時に、グループの雰囲気を悪くすることなく、自分の意見を伝えていくテクニックも学ぶのだ。

これを知った時、私は若干苦笑した。こういうテクニックは、日本人にはあまり必要ないからだ。

日本人は、空気を読んだり、物事を柔らかに相手に伝える術を、自然に身に付けていることが多い。

相手の音程が高いな、と思った場合、私たち日本人は「あれ、今私の音程低かったかしら?もう一度私のためにそこを弾いてくれない?」なんてさらっと言うことができる。相手も日本人だった場合、この一言ですぐに「私の音程高かったかな?」と、察してもらうことができる。

相手が外国人だとそうはいかない。彼らはストレートに、「今、あなた音程高かったよ。」と言わない限り、一生伝わらない。ストレートに物を言うことは、もちろん回りくどく言って察してもらうよりも、ずっと簡単で近道はあるが、それが原因でリハーサルが険悪な雰囲気になってしまうことも多々あるのだ。

講座の内容もお国柄だな、と思う。何はともあれ、リハーサルを円滑に行うために一番必要なことは、演奏する音楽と他の奏者に対する、リスペクトに他ならないと思う。

 

なぜ指揮者なしでも成り立つのか?

室内楽って、指揮者がいないのに、どうしてバラバラにならずに演奏することができるの?

なんて聞かれることがある。

実はぶっちゃけ、一緒に始まって一緒に終わる程度の演奏で良いなら、室内楽だろうが大編成のオーケストラだろうが、指揮者なしで弾くことは可能だ。

指揮者の大きな役割の一つは、音楽のディティールや方向性をリハーサルで示すということだ。室内楽は、それを演奏家自身がリハーサル内で相談しながら決めていく。

私たち演奏家が、指揮者なしでもズレずに弾けるのは、演奏家の頭の中に、曲の総譜が叩きこまれているからである。自分がこのメロディーを弾いている時、 チェロの人はこんな伴奏を弾いている、ビオラの人は、自分とこんな掛け合いをしている、ということを演奏家は全て知っている。

、、、と、いうことが大前提である。

勉強不足やリハーサル不足などで、曲の全体像を掴めておらず、自分のパートだけ追いかけて弾いたりすると、それぞれのパートによる音の会話が成り立たず、曲の魅力を全く伝えることができないという悲しい結果に終わる。それは、ちょっと公道での車の運転に似ているかもしれない。

自分の何度も走ったことのある良く知っている道ならば、どこに信号があって、どこにどの速度標識があるか知っていて、どこが事故の起こりやすい場所かもよくわかっている。他の車の動にも楽々気を配れるし、景色だって楽しむことができる。

十分に勉強とリハーサルがされている曲を弾く時は、こういう道を走っているようなもので、リラックスしている状態である。逆に勉強不足、リハーサル不足で弾 く時は、初見で見知らぬ土地を走るようなもので、走ることのみに集中力を使ってしまい、その他には何もできなくなってしまうのだ。

他にも良く聞かれることの一つに、一緒に弾き出すタイミングなどが、指揮者なしでも揃うのはなぜ、ということがある。

私たちは、相手の弾き出すタイミングを、息遣いや体の動きの速さで判断している。

自分と同時に弾き出す奏者がいるときは、お互いに短く目線を送り合って、タイミングをはかりあったりすることもある。そのうち、奏者間で文字通り「息が合って」くれば、目線を送らずとも息遣いだけで互いのタイミングを分かり合うことだって可能だ。

 

室内楽のススメ

今まで室内楽を聴いたことのなかった人が、この記事をきっかけに「室内楽かあ。面白そう、一回聴いてみようかなあ。」なんて思ってくれたのなら、もう、ホント、書いた甲斐があるというものである。

でも実は、ここだけの話なのだが、室内楽って聴くより、弾いた方が断然楽しい。

出来上がった音楽をコンサート会場で優雅に聴くのも心地良いものだが、何度も演奏を重ねるうちにグループ内で徐々に心が通い合って来たり、音楽の方向性が統一してきたりすることを実感する瞬間など、仲間と音楽を作り上げていくその過程の素晴らしさは、聴いているだけでは体験することができない。

一回目のリハーサルから息がぴったり、なんていうグループはほとんどない。初めはどんなグループでも、意思の疎通がうまくいかず、演奏がバラバラになってしまったり、それを防ぐため慎重になりすぎた演奏になってしまう。

リハーサルを重ねるごとに、ああ、この人はこういう演奏をする人なんだな、とか、この人の演奏はこういう傾向があるんだな、と相手の演奏のタイプや好みが読めてきて、寄り添いやすくなってくる。さらに演奏家の間にしっかりとした信頼感が生まれてくると、本番、誰かが舞台の上で突然降ってきたインスピレーションに従って、リハーサルで打ち合わせをしたことと全く違う演奏をしたとしても、皆それに瞬時に反応してついていけるようになる。

こんな風に弾いてくれないかな、と相手に反応を期待して、こちらから音で仕掛けたときに、相手がそれに期待通りに返してくれたりする時の喜びは、室内楽ならではのものである。

室内楽を共に演奏している人とは、自然と一緒に過ごす時間が長くなってくる。リハーサルの後にも、そのまま食事になだれ込み、リハーサルの続きの論議をしてしまったりすることもしばしばである。そのうちメンバーの間には、運命共同体というか、ほとんど家族のような絆が芽生えてくる。

考えてみると、何か一つのものを仲間と議論したり、試行錯誤しながら作り上げて、最終的に人前で披露するなんて作業は、大人になってからはなかなか機会がないなんじゃないだろうか。昔味わった、仲間と何かを作り上げる時のあのワクワク感が、室内楽の世界にはある。

もしも、あなたが何かの楽器が弾けるのだとすれば、是非一度仲間を探して室内楽にチャレンジしてみてほしい。ただし、リハーサルで議論が白熱しすぎて、大切な音楽仲間と仲違い、なんてことのないようご用心。どうか、室内楽を愛する皆が、心から信頼できるメンバーに出会えますように!