6238070477_4f587b92f7_b

 

娘の幼稚園も6月30日に終わってしまい、イタリアの子供たちにとっては長い夏休みが始まっている。3年間通った幼稚園を、この6月をもってわが娘は卒園した。

9月からは小学生になる。学校が9月始まりのイタリアであるから、娘が幼稚園に入園したのは3才になる少し前だった。私自身は子供のころから小食で、公立の小学校の給食の量を食べきれずに居残りさせられたつらい思い出があるので、娘の幼稚園の給食もひどく心配であった。私にとって給食は拷問そのものであり、ゆえに中学から私立の学校に通ったくらいである。だから、娘の給食に関しても、入園の際は大変心配だった。

市立の幼稚園に通った娘だが、給食を学校に供給する会社は入札によって毎年変わる。我が町の給食制度は、親があらかじめ食券のようなものを10枚綴りで購入し、登園すると教室に提出する。病弱で病欠が多い子やお昼の前に早退する子は、食券を提出する必要がないので、出席日数が少ないからといって、皆と同じ給食費を払わなくていいところが私は気に入っている。私の娘は病欠は3年間で3回ほどだったから、1枚500円ほどの給食券を節約することはなかったのだけど。

 

娘が幼稚園に通った3年間、私は一度も幼稚園の給食というものを見ることができなかった。メニューは教室に張り出されていたけれど、実際には必ずしもメニュー通りではなかったらしい。イタリアらしく、まずパスタやリゾットなどの「プリモ」と呼ばれる主食のあと、「セコンド」と呼ばれるおかずに肉や魚やチーズといったタンパク質が供され、「つけあわせ」の野菜に、パンが出るというのが通常であったようだ。

子供たちは当然好き嫌いが多い。私たちが小学校のころは、好き嫌いは許されなかった。決められた量を、みな同じように食べ終わることが義務であったのに比べると、イタリアは「嫌いなものをどうしてムリして食べるんだ?」という親が圧倒的に多い。

私の夫もそのようにして育った。そのことを、彼自身はとても悔いている。夫はある時期、肥満のため栄養学の医師のところに通いダイエットを行ったし、夫の弟も子供のころから甘いものばかりを暴食してきたのがたたり、40才にもならないのに糖尿病を患うことになった。「食育」というものの重要さは、ある年齢にならないとわからないのかもしれない。

自分自身が、好きなものだけ好きな量を食べるという育ち方をしてしまった夫は、娘には日本式の「なんでもまず食べてみて、嫌いなものも栄養のバランスを考えて食べる」という食育を施してきた。私も当然それに同調している。

そして、夫自身はほぼヴェジタリアンに近いので、娘も野菜や豆類を食べ慣れている。

というわけで、わが娘についていえば給食はまったく問題がなかった。まず、小食の私と違って、常に食欲のある娘は量についていえば「給食ではいつも、おかわりをしているよ。今日はインゲン豆を4回もおかわりした」と本人が言うくらいよく食べているらしい。また、担任の先生によれば、「クラスの中で唯一、好き嫌いを言わず完食しています」と報告を受けるくらいで、親としては誇らしく思ったものである。さらに、幼稚園に持って行くリュックサックの中から「これ、パパとママにね」といって、給食で残った袋入りのパンやヨーグルトが戦利品のように取り出すのには笑ってしまった。夫は、「パパはまだ年金生活者でもないから、ここまでしてくれなくてもいいんだけどな」と笑いながら娘に言い聞かせていたのを思い出す。

しかし、学校の給食に「100%満足」という親はイタリアでは皆無といっていいだろう。自分の子供が生野菜や緑黄色野菜を食べないことを棚に上げて、「なぜジャガイモのピューレをもっと頻繁に出さないの?」というママ友もいたし、食材に関しては人一倍うるさい我が家の夫も娘が持って帰ってきたヨーグルトを見て「このヨーグルトは子供には食べさせたくないたぐいのものだ」とか言っていた。それはイタリアでは、スーパーでも格安で売られている大手のものであった。

「うちの子は、学校の給食は食べませんので12時に迎えに行きます」と堂々と宣言する親もいた。なにしろ、イタリアでは「子供」は免罪符で、子供のためなら周りも文句は言えないという風潮があるのだ。ベビーカーを電車に乗せることに躊躇する日本に比べると、こちらのマンマは肝っ玉が据わりすぎているくらいだ。

 

ところで今年、イタリアのある公的団体がボランティアの親たちを募り、イタリア各地の給食を調査して点数をつけて比較するという試みが行われた。

それによると、イタリアの各地方で様々な特徴があることが判明した。

シチリアのパレルモでは給食に揚げ物が登場する頻度が高く、ヴェネツィアでは週に3回もソーセージが登場する。スイスに近いボルツァーノでは、クリュディテと呼ばれるフランス風の生野菜の盛り合わせが子供たちに供される。南イタリアのバーリでは、ジャガイモがのったピッツァが登場するといった具合だ。

メニューのバラエティー、食材の質、栄養のバランスなど様々な観点から親たちが点数をつけた結果、最高得点を得たのは、マルケ州のイェージという町の給食で113点、北イタリアのトレントの給食が111点、美食の町ボローニャのそれが105点というのがベストスリーであった。

ボローニャ、ピサ、フィレンツェでは、食材に有機栽培の野菜を使っていることが高く評価された。イタリアでは最近、頻繁に「ビオ」という言葉を耳にする。「ビオ」専門のスーパーマーケットもあちこちにあるし、普通のスーパーマーケットでも「ビオ」コーナーがある。当初は「有機栽培」の野菜のみを指していたこの「ビオ(実際にはビオロジコ)」という言葉、最近では着色料や保存料や甘味料などを使用していない商品も指しているようである。私の夫は、この「ビオ」オタクに属するといっていいだろう。

北イタリアのトレントとボルツァーノの給食では、「前菜」として質のいい生野菜が供されることが高評価につながった。

また、ボローニャでは8種の穀類をベースにした「プリモ」(主食の料理)に高い点数がついている。8種の穀類とは、普通のパスタ、米、ポレンタ(トウモロコシの粉を水やスープを加えて練り上げた料理 )、オオムギ(イタリアでは最近このオオムギは、茹で上げてサラダなどに使うのが流行っている)、カムット小麦 (健康志向の上昇とともに復活したと言われる古代の小麦で、ミネラルが多く小麦アレルギーを発症しにくいといわれている)、アワ、スペルト小麦、キヌア(南米原産の穀類で栄養が大変豊富と言われていてイタリアではかなり高額で販売されている)である。ちなみに、ローマ近郊のわが田舎町の給食では、パスタと米くらいしか使われていない。たまにピッツァが給食に出ることはあったようだが。

魚介類を給食に供して高得点を稼いだのは、マルケ州マチェラータだ。日本にいると、イタリア料理には豊富な魚介類を使用しているイメージがあるが、これは日本に魚介類が豊富であるからイタリア料理のレストランでもそうしたメニューが多いだけで、実は魚介類を食する人はイタリアではそれほど多くない。まず、肉類に比べて魚介類は非常に高価で、魚屋の数も少ないのだ。海に近い町は別にしても、私が住む山の町には魚屋は一軒も存在しない。週一回やってくる、トラックの魚屋のみである。魚介がうまい静岡県育ちの私は、まずい魚なら食べない方がいいというクチだ。

魚介類を食べ慣れないイタリア人の中には、それを食べることによって食中毒や腹痛などをおそれる無知な人も少なくないのである。私の周辺では、魚と言えばもっぱら冷凍物の「鱈」が主流で、娘の幼稚園の給食でもこの「鱈」のフライはたまに登場したらしい。もちろん冷凍物ではあるけれど。

そのようなイタリアの風潮の中で、マチェラータの給食では、マグロ、鱈、イカ、アンコウ、サバが料理されて子供たちは食べていたのだそうだ。これは魚介類が豊富な日本から見ても、かなり画期的な給食メニューではないだろうか。

ちなみに、このマチェラータのある学校では、なんと親たちが給食のための食材購入を担当しているのだそうだ。

 

この調査に参加したボランティアの親たちの職種は様々だ。弁護士、栄養士といったインテリはもちろん、失業中の父親、イタリア人ではない母親なども参加している。

上記の高得点を稼いだ町の給食は、親たちの高評価を得ただけの理由があるからで、これがイタリア給食の一般例では決してない。

政府の調査によれば、イタリアの学校の給食では牛肉などの赤肉やソーセージなどの加工肉の使用が多すぎる、という結果が発表されている。世界保険機構 ( WHO ) が、加工肉の発ガン性を公表して以来、イタリアではサラミやソーセージなどにも神経質になる人は増えた。野菜サラダは、袋入りのものが提供されていることが多く、「ビオ」にこだわる親たちの不評を買っている。

そして、コストを抑えるために原材料の原産地が明確にされていない食材が多く使われていることが、最大の問題となっている。

イタリアでは昨今、外国産の安価な野菜や果物がイタリアの農業に打撃を与えているというニュースが新聞に載るが、給食もそうした事情を反映しているのだろう。

 

しかし、世界に冠たるイタリア料理を生み出した国民でもあるイタリア人は、舌も肥えている人が多い。原産地も分からない安価な食材を買うよりは、仲介業者を廃して農家から直接新鮮な野菜や果物を購入するという動きが全国的に増加している。政府の調査によれば、農家直売の野菜を購入したことがあると答えたイタリア人は、なんと全体の70%にも及んだそうだ。

 

我が家も近郊の農家が週に3回ほど開く市場で、食材は調達する。野菜や果物にとどまらず、チーズ、小麦粉、豆類、ワイン、卵、ビール、時には手作りジェラートまで登場する。この市場の規則は、「自家で栽培あるいは製造したもののみ販売可」というものなので、消費者は安心して購入できる上、製造者と直接おしゃべりなど交わし、味見をし、値段の交渉をするのもかなり愉しいものなのだ。

 

9月から小学校に上がる娘は、隣町の小学校に越境入学する。夫がこの小学校に決めた理由のひとつが、給食であった。給食もおやつの果物も、「地産地消」をモットーに供されると聞いて、この小学校に決めたといっても過言ではない。

説明をしてくれた学校の先生は、「おやつの果物は、もちろん旬の物が出るんです。それはとてもいいことなんですが、子供たちは毎日同じ果物ばかりで飽きてるんですよ」と苦笑していた。子供の嗜好と親の思いというのが一致しないというのは、永遠の課題なのだろう。