※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。

 

皆さんはライブペインティングというとどのようなパフォーマンスを想像するだろうか。ジャクソンポロックのようなペンキを投げつけて描くような、激しいアクションペインティングを想像される方も多いかもしれない。私が行っているライブペインティングは、ミュージシャンの演奏に合わせて即興でその音のイメージを描くというライブペインティングで、割と静かに淡々と描く感じだ。

 

Live painting: Hiroaki Koshiba
Live music: Jaakko Eino Kalevi
Video shooting : Siro Production

 

これは2011年にフィンランド、ヘルシンキのMyymala2(ミューマラ2)という画廊で、フィンランドを代表するエレクトロポップミュージシャン、Jaakko Eino Kaleviと行ったLive Paintingの動画である。

 

時間としては約30分程で一枚の絵画を描く。会場や音楽の雰囲気にもよるが、立った姿勢で描くことが多い。これは、ミュージシャンの演奏により集中して耳を傾け、また立って動きやすくすることで、描く側からもアイコンタクトを伝えることができるようにするためだ。また立って描くことで、描くキャンバスのより広い範囲に筆を伸ばすことができ、絵画を描きやすくなる。立って身体の動作を俊敏に準備することで、音楽の繊細な一音や、音の流れにもより即座に反応することができるようになる。

ミュージシャンの楽器や音楽の音が聴覚と視覚と同時にインプットされ、それが脳の中で、ある種の絵画イメージを形成し、そのイメージをキャンバス上に表現していく。聴覚的に音楽のイメージを受け取るだけでなく、ミュージシャンの演奏する姿、また聴衆の雰囲気、会場の雰囲気なども視覚的に入ってきて、これらが即興で描く絵の制作の進行に影響してくるのである。

 

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イマジネーションが生まれる瞬間、絵画を描きたいと思う瞬間、それはミュージシャンの音楽に対して絵画イメージを感じる瞬間だ。

更に具体的にいえば、そういった音や音楽に自分の心が震え、響いた瞬間に絵画イメージが生まれる。例えば、トランペット奏者が美しく、かつ繊細な高音を演奏した時に、私は、黄色い長い線を感じ、キャンバス上に描く。常に、トランペットが黄色、ピアノが青といったように決まったイメージがあるわけではないが、その時感じた音のイメージ(自分はこれをサウンドイメージと呼ぶ)がそのまま絵画となっていく。楽器単体の音だけでなく、先程のトランペットにピアノやドラム、ベースなどが加わり、音としての厚み、深さが出て、その分、絵画イメージもより多層的なものとなる。

音楽のジャンルに特定のこだわりはないが、即興演奏が多分に含まれるジャズが非常に好ましい。また自分もライブペインティングジャズミュージシャンとの共演が多い。もちろんジャズだけでなく、エレクトロポップ、実験音楽など、最終的にはその音楽のイメージによって心が震えるかどうかという部分が重要である。

 

共演者、会場、観客とのインタラクションについて考えてみる。ライブペインティングをパフォーマンスとして行う場合、ギャラリー、美術館、ジャズバー、レストランなどで行う場合が多いが、絵画を描く中で自分以外の要素も絵画の進行に影響する。

第一の影響は、やはり共演者で、共演者の音のイメージが絵画を制作する上での最も原始的な想像力の源となる。会場と観客については、ライブペインティングという絵画をゼロの状態から完成していくプロセスを提示する行為の性質上、ある種の対話がそこに介在する。観客と実際に言葉をかわすわけではないが、観客は絵が描かれ、進んでいく過程をいて、絵を想像する。また演奏者の音を聞き、それが絵に変わっていく瞬間を目撃する。

絵を描く私もその視線やオーラを感じるし、そのことがテンションを高め、絵画を描く筆の動きにも影響する。ライブペインティングは画家と共演者、観客との対話の場でもある。観客の興味があまり、こちらに向いていない場合、特に話し声や笑い声などが聞こえる場合、表現行為のテンションは著るしく低下してしまい、ライブペインティングを行う環境としては、好ましくない。逆に、観客が集中し、興味を持ってステージを見つめてくれればくれるほど、画家やミュージシャンも集中力が高まり、よりインテンスな作品を生み出すことが可能となる。こういった聴覚と視覚を通じた、両方でのコミュニケーションがライブペインティングのステージ上でなされているのである。

 

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ライブペインティングで描いた作品は、約30分で絵が描かれるということもあって、ある種の粗さがある。時間をかけたほうが細かな絵画表現は可能となるが、逆にライブペインティングで描いた作品にはスタジオで時間をかけた作品にはない勢いがある。

ライブの時にミュージシャンの音楽に誘発され、一気に仕上げた作品独自の力強さとその時間の経過がそこには記録されている。ある意味、ライブペインティングで描かれた作品は、そのライブ当日の生の記録であると言える。写真やビデオのように現実のイメージではなく、画家とミュージシャン、観客がステージ上でかわした対話の記録だ。

ライブではなく、スタジオで描いた作品についても、CDなどで音楽を聞きながら描くことが多いが、ライブで描いた作品に比べて、場所性、記録性は薄い。ただ、スタジオで描いた作品は、より重層な表現が可能であるので、展覧会やアートフェアで展示する作品は、どうしてもスタジオで描いた作品が多くなる。この場で確定することは困難であるが、総合的な意味での作品としての強度は、スタジオで描いた作品の方が強いかもしれない。

以下はスタジオで描いた作品だ。ライブペインティングの作品よりも細かな表現がされている。

 

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ライブペインティングで描いた作品は、先程述べたように、そのライブが行われたステージの生の記録であり、観客にとって、自身がそこに立ち会ったということの証明でもある。ライブに参加した観客にとって、そういった意味で、特別な価値を持つ作品であると言えるだろう。それは絵を描い画家本人や共演者として演奏してくれたミュージシャンにとっても同様で、そのライブの記録、ある人生の1日の記録といった意味での価値が有る。

 

私の絵画は抽象絵画で、点、線、面、コンストラクション、コンポジションなどといった絵画イメージを描いており、20世紀の抽象表現主義の文脈の中で評価されたり、議論されたりする可能性が高いと考える。

私が最も敬愛する画家、ロシアのバシリー カンディンスキーもそういった画家であり、絵画と音楽の関係を追求した画家だ。カンディンスキーがライブペインティングをしたという史実は認識がないが、きっとカンディンスキーにも即興表現は興味のある行為であったに違いない。

 

※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。