青とピンクの綺麗な色に引き込まれたのは、もう何年前のことだろうか。

京都の清水寺の近くをぶらぶらと散策している時に何気なく入った陶器屋さん、そこで木村さんの作品と出会った。

青と赤の2種類の珈琲カップは、ヒビが入ったような鱗のようなものが、幾重にも重なったようになっていた。一瞬でその何とも言えない独特の色合いとグラデーションに魅せられ引き込まれた。

もともと陶器に興味はあったが、現実的な性格の私には高価な陶器は実用的では無く、飾っておくものとしか思っていなかったので、眺めることはあっても買うことは無かった。珈琲カップが1つ6000円となると躊躇してしまう。

店内にはいくつもの陶器が展示販売されているので、他の作品も見たが、気づけば先ほどの陶器にまた戻り、青とピンクを交互に手に取り、幾重にも重なるグラデーションを眺めていた。

陶器屋の店主らしき女性が、この陶器を作った作家は大きな賞を取っている。すごく良い作品を作る。などと色々な話をしてくれたのだが、そんな話もあまり耳に入って来ないほど、私はこの珈琲カップから目が離せなかった。

「これを買っても勿体無くて使えないだろう。」「この珈琲カップ1つでいくつの食器が買えるのだろう」「でもこれで珈琲を飲んでみたい。」とぐるぐると頭の中で色々なことが浮かんで来た。結局買うことは無く、後ろ髪を引かれながら店を後にした。

その後あの綺麗な珈琲カップがどうしても忘れられなくて、あの店を訪ねてみたが閉まっていた。看板らしき物も見当たらず閉店してしまったのか。もうあの珈琲カップを買うことは出来ないのかと愕然としたのを覚えている。

 

その後ご縁があり、数年後に展示会に行かせて頂いたが、いつもFacebookで見ているので、初めて会った気がしないと気さくに話かけて下さった。図々しく「今度工房に遊びに行かせてもらって良いですか?」と聞いてみたら、「良いですよ」と簡単にOKして頂きました。

 

その後木村さんが個展で忙しい春が過ぎ、初夏に木村さんの工房を訪ねました。

 

 

木村さんの工房に向かう途中、滋賀県のメロディロードの音楽を聞きながら車を走らせ暫く行くと、家もまばらになり自然豊なのどかな町にたどり着いた。

さらに車はどんどん山の方へ入って行った。やはり窯があるところは、山に近い場所なのだなと思いつつ走らせていくと、数件の家があり、そのうちの一軒の表札に「木村」と書かれていた。

一見普通の家に見える。本当にここに窯があるのだろうか?と不安になる位普通の家に見えた。すぐに木村さんが工房から出て来て出迎えてくれた。

 

家の裏に窯があるのだろうか?と不思議に思いながら、入口にかけられた暖簾をくぐると、そこは工房で、部屋を入ってすぐにいくつもの作品が棚にびっしりと並べられ、窓際に小さな机と轆轤があった。

その反対側には大きなバケツのようなものがあって、泥のようなものが入っていた。頭上には部屋の端から端まで竹を吊るして、その上に作られた作品が乾かされていた。

私の中では、大きな窯が坂を上がって行くように作られているイメージ(登り窯)なので、それとは違って驚いた。かわりに電気で焼く、室内にも置ける窯が隣の部屋にありました。

 

木村さんのあの素晴らしい作品が、この工房で作られているのかと思うと胸が踊ってきた。

木村さん自らお茶を入れて、お茶菓子と一緒に出して下さった湯呑は、あの綺麗なグラデーションの青磁だった。

 

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こちらはご自宅ですか?

元々京都で父とやってたんですけど、むこうが手狭になったんで、仕事場をこっちに作って僕はこっちでやってるんですけど、20年位経つんですけど。26~27歳位からこっちに来てやってるんですけど。

 

何歳からやってはるんですか?

高卒18から。京都に学校2つあるんですけど、2年づつ2つ行って。

 

その学校って2年で終わりなんですか?

両方とも1年が基本なんですけど、最大限もう一年づついけるって制度があって。研究科みたいなんですけど。

 

大学院みたいな?

1年だけでは物足りひんなと思って、大学行く4年と同じやんと思って2つ。片方は轆轤(ろくろ)の学校なんですけど2年行って、もう片方は釉薬(ゆうやく、うわぐすり)のテスト、こういうのを教えてくれる学校を2年で4年行ったんですけど。良かったのは4年分陶芸の同級生の友達がいるんですよ。

京都は陶器の学校有名なもんですから、けっこう全国から来はるんですよ。全国の窯元の息子さん達が修行に来られるんですけど、その繋がりが結構ね。鹿児島の薩摩焼、九谷焼、備前焼であったりと、ほうぼうに沢山同級生が出来たのが良かったなと。皆それぞれ地元に戻ってやってはるんですよね。ああもう大活躍してる人も何人もいますし、歴史の教科書に出てくるようなとこの息子さんもいてるんです。今ぱっと会うたら先生と呼ばなあかんようなのにね、同級生やから。

 

子供の時からこの世界に興味あったんですか?

うちは代々では無いけど陶芸ばっかりなんですわ。家系がね。爺ちゃんが石川県の九谷焼出身で、陶器に絵を書く仕事がメインだったんです。石川県から京都に出て来て、京都の有名な茶道具の窯元で絵付け師やってたんですよ。その息子のうちの親とか叔父達3人が陶器初めて、作家業という個人の名前で仕事をしてたんですけど。自分は3男の息子なんですけど自然とこの道に、家業があって陶芸作家業みたいなこの道に。

 

代々陶芸やってきはったらプレッシャーとかそんなんは無いんですか?

受け継いでる窯元とかありますよね?第何代とか十五代とか、そういう家系さんとかやったら、決まりごとがあって、それを伝承を受け継いで行くと言うのがありますけど、うちはまだ3代目ですし、個人作家なんで何でもありなんです。

 

お爺ちゃんのや父親や叔父さんのやり方を真似してとかじゃなく、自分の好きなようにして良いってことですか?

そうですね。まあ教えはよく受けましたけどね。やり方とか原料の使い方とか。子供の頃から土弄って慣れてしてるってことですよね。家の食器は全部父親の作った物でした。

 

それすごいですよね。羨ましい!!

0歳から食器使ってるんでこびりついてますよね。父親の形とか重さとか。手触りとか全てそうですよね?ですから結構似たようなん作ってしまいますよね。

 

なるほど。自然と見て育ってるもんね。子供の時の影響って大きいですよね。

そうですよね。親の影響は結構大きいですね。

 

 

料理の器は難しいんですよね。器が派手やったら料理が映えないとかね。

ちょっとね引き算しないとダメなんですよ。100%で出すとダメで、料理を盛って100になるように、魯山人とかねめちゃくちゃ上手いんですよね。感心しますわ。一見派手なんですけど、ちょっと引いてありますもんね。ちょっと余白を残してるあると言うかね。で料理を乗せたらパッとアートになる雰囲気がね。出来ないんですよ中々。器で100%見せてしまうという意識が強いので、乗せると足し算になっちゃうんですよね。

 

はー難しいですね。

見せる器と料理を盛ってする器とってなりますよね。

料理を引き立てる為の器なんで、器だけ見ると結構地味ですよね。食材を乗せるとぱっと食材を引き立てるんですよね。

 

料理を盛るようなのを作るのは苦手なんですか?

そうですね。ずっと仕事的に展覧会で発表して見てもらうのがメインだったので、プロユーザーをターゲットにしてというのは、長いことやってこなかったんで。アートの意識が強すぎるんですよね。

 

京都清水寺の近くにある陶器屋さんで、木村さんの受賞された時の作品が載ってる本を見せてもらって、話いっぱい聞かせてもらいました。

そこ僕18歳から知りあいなんですよ。あの店の真ん前が陶器の学校で、旦那さんが学校の横で喫茶店してはるんですよ。お昼毎日そこに食べに行ってたんです。奥さんもその当時はウェイトレスしてはったんやけど、何年かしたら陶器屋さん始めはったんですよ。陶器を扱う作家はうちの常連やった人しか扱わへんって決めはって、10人位陶芸作家さんの置いてるんですけど、全部学校のお昼食べに来てはった人だけで。

 

学生の時から知ってはるから、だからあんだけ熱込めて喋らはるんやね。

もう32年位知り合いですもんね。すごいことですよ。

 

それでやね。何人かの作家さんのことを熱弁してはりました。

この作風に変える前は、違うタイプの作ってたって言ってはりましたよね?

昔は結構コロコロ変えてたんですよ。今はもうずっとこういう感じのですか、40超えてからはもう。

 

何かきっかけあったんですか?

ある程度の年になってくると下手なものを発表できないというかね。こっちも目も肥えてくるし、周りのプレッシャーというか見る目もあるし、一番自信のあるものだけに集中しようと。結構青磁って奥深いんですよ。色合いが、ただ単に綺麗な青で鮮やかな青を出せば良いって訳じゃなくて、良しとされてるのは、ちょっと艶の落ちた表面がザラつき気味の、玉(ぎょく)のような感じというか。石とか瑪瑙(メノウ)とか、宝石みたいなピカッと光ってるんじゃなくて、もうひとつ艶を落として物静かな感じで。

青瓷の本歌が故宮にあって、その名品の質感に近づきたいと思っています。

本当の名品は皆光って無いんですよ。全部艶がちょっと膜張ってるような落ち着いてるんですよ。ちょっと控えめというかね。