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エイミー・ワインハウスと言うと、60年代風に盛り上げたビーハイヴヘアに、黒々とはね上げたアイラインがすぐに連想される。そのルックスやしばしば話題になったゴシップ等によって、彼女のことをとんでもないビッチだと思っている人は多い。実際、彼女は自分自身の実体験をあけすけに歌う。

多くの人がそうだと思うが、私は『Rehab』のヒットでアルバム『Back to Black』を先に聴き、その後デビューアルバム『Frank』を聴いた。19歳の女の子の声とは思えなかった。実体験を基にした生々しい歌詞を、40を過ぎた年増女のような声で歌った。

 

「あんたが所帯持ちって知ってたら近づかなかった ママが憎んでるアイツと同じことしてしまった」

『What It Is About Men』

 

「あんたは7つも年上なんだから、もっと強くなきゃいけなかったのよ」

『Storonger Than Me』

 

「あんたにもらった物何もかも返すから箱ごと持ってって」

『Take The Box』

 

 

ジャズ色の強い『Frank』からも分かるように、彼女の音楽的ルーツは、フランク・シナトラやトニー・ベネット、女性ならサラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントンといったジャズシンガー達だった。これはジャズ好きの父の影響と言われているが、両親は彼女が9歳の時に離婚している。エイミーのジャズへの傾倒は、家を出た父親の関心をつなぎとめるための、子どもなりの手段だったのではないかと言ったら、穿ちすぎだろうか。

おそらく父親はよそに女を作って出て行ったのだろう。9歳の子どもにとって、家庭は世界のほぼ全てだ。ところがその世界が分裂する。父親に見捨てられたのではないかと思う少女が、父親の好きなジャズを共有することで、絆を維持しようとしたのではないかと思ってしまうのだ。

 

 

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思春期は嵐の時代だ。普通でもそうなのだから、家庭環境が複雑な子はなおさらである。エイミーはローティーンの頃から摂食障害を抱えていたそうだ。将来の悲劇の種はすでにここから芽生えていたのだとも言える。

 

似たような子を、私は何人か知っていた。どうしてそうなるのか、そういう子達は早く大人になりたがるし、大人のつもりでいる。深夜まで遊び歩いては、素性もろくにわからない年上の男とつきあう。家庭で得られない安心を、その男が与えてくれると思うのだろうか。それは大抵ろくな結果にならない。いいように遊ばれるのがオチだ。

 

一度、見かねて、人を介してある子の母親にその子の状況を伝えたことがあった。返ってきたのは、「ウチの娘はもう大人として扱っている。本人の選んだことだから本人の責任だ、口を挟むな」という言葉だった。15にもならない子どもなのに。だがそう言われたらもう何もできない。どんなに危なっかしいと思っても、他人の立場では遠巻きに眺めるしかないのだ。

 

その子は学校ではちょっと浮いた存在で、やがて学校にはほとんど行かなくなった。絵を描くのが好きで、よく好きなアニメのキャラクターを描いていた。それが多分彼女の理想の彼氏だったのだろう。二次元のキャラクターは彼女を裏切らない。買ってやった物の見返りに何かを求めたりはしないし、遊び飽きたおもちゃのように捨てられたりもしない。

 

友人達は、危ないつきあいをやめるよう何度も忠告をしていた。しかし、彼女がそれを聞き入れることはなく、やがて諦めて誰も何も言わなくなった。決して彼女のためにならない行為だが、彼女の環境を考えたら、そうしたくなる気持ちもわからないでもなかった。

 

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『Frank』は、リアリティ・ショウで作られるポップアイドルに食傷気味だった人々に、すぐに受け入れられた。アルバムはチャートを駆け上がり、ブリット・アワードの最優秀女性ソロアーティストにノミネートされるなど、彼女はあっという間に注目を集めてしまった。

 

エイミーにとってそれはある意味不運だった。アーティストとしては作品が受け入れられる方がいい。しかし、彼女の音楽はそもそも誰かを喜ばせるために作られたものではなく、彼女自身のための独り言、日記のようなものだったと思うのだ。曲を書き、歌うことで苦しい胸のうちを慰めていたのではないのか。そんな彼女にとって、この急激な環境の変化には戸惑いもあったはずだ。

 

ツアーや賞レースで多忙を極める最中、彼女は後の夫となるブレイク・フィルダーと出会う。この出会いは最悪のものだった。彼はエイミーにハードドラッグを教えた人物とされているからだ。もっとも、エイミー本人はブレイクを運命の相手と思ったことだろう。彼自身も複雑な家庭環境で育ち、どこか似通ったもろさを持った2人だった。きっと彼ならば彼女の苦しさを丸ごと理解してくれると信じたに違いない。

しかし、この時の関係は長続きせず、その破局が2枚目のアルバム『Back To Black』を生むことになる。

 

『Rehab』は、薬物に溺れるようになったエイミーが、リハビリを勧められた際のやりとりを基に作られた曲だ。

 

「リハビリなんかまっぴら パパだって私は大丈夫って言ってるし」

 『Rehab』

 

この曲は自虐的なユーモアと、キャッチーなリフレインで、その裏にある深刻な状況を覆い隠してしまった。マスメディアは面白おかしく彼女の一挙手一投足を報じるようになり、パパラッチに追われる日々が始まった。あけすけな私生活を歌にして切り売りすることは、蟻の前に砂糖を差し出してみせるようなものだった。

 

エイミーはセレブリティとしての生活を望んでいたわけではなかった。生前、彼女はある記者に「アルバムを2,3枚出したら引退して家庭に入りたいの。こう見えて家庭的なのよ。」と語ったそうだ。それはきっと本心だったのだろう。しかしその願いは叶えられなかった。始めは彼女の独白だった音楽が、彼女のもとを離れ一人歩きを始めるにつれ、それすらも慰めではなくなっていく。音楽が彼女の空虚を埋めきれなくなった時、ドラッグとアルコールがその位置にとって替わることはある意味必然だったのかもしれない。

 

転げ落ちようとする彼女を誰かが支える必要があったのに、身近にその役目を果たす者がいなかった。夫や父親は彼女の名声や金を利用するばかりで、彼女が本当に求めていたものを与えない。エイミーが寝室で亡くなっているのが発見されたのは、泥酔して全く歌えず、観客からブーイングを浴びた翌月のことだった。部屋には空の酒瓶が2本転がっていたという。

 

今年、彼女のデビュー前から、成功を収め、そして死に至るまでを追ったドキュメンタリー『AMY』が日本でも公開された。今年度のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を獲った作品で、ファミリー・ビデオやオーディション時の資料映像、当時のマネージャーが撮ったビデオなどを編集し、再構成したものだ。

 

映画のラストは、おそらく何かのニュース用に撮影された葬儀の映像で、彼女の最初のマネージャーだったニック・シマンスキーが、葬儀のあと路上で人目もはばからず号泣する。こうなる事がわかっていながら、助けてやれなかった無念の涙だったろうと思う。

だが仕方ないのだ。他人にはどうにもできない事が実際にはあるのだから。

 

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エイミーの物語は、私にあの女の子を思い出させる。胡散臭い男にもてあそばれても、私に差し出せるものはセックスしかないから、と言ったあの子。エイミーの父親が、リハビリなんて不要と言ったように、誰とつきあおうが自由にさせてくれる母親が大好きだと言っていた。その母親は、パチンコで生活費を使い果たしてしまうのに。

 

あの子は父親の顔を知らなかった。父親に会いたいとは思わないけれど、自分が望まれて生まれてきたのか、その時両親にはお互い愛情があったのか、それだけが知りたいと言った。家庭の中に、本当に自分の居場所があるのかの確信が持てずにいたのだろうと思う。その確信を他に求めようとしたあの子と、エイミーとの間にそう大きな差があるとは思えないのだ。たとえ一方は普通の少女で、一方はグラミーを獲ったシンガーだったとしても。

 

あの女の子とは年々疎遠になってしまい、今どうしているのかもよく知らない。どうか彼女を大切にしてくれる誰かと出会って、幸せになっていてほしい。そしてもし子どもが生まれたら、彼女の母親とは違ったやり方で愛してやってほしいと願っている。