美術館からの帰り道、竹橋駅のホームでふと気づいたのは「私の見たものは写真ではなく、写真以外の何かだったのではないか?」という事だった。

ただ、「何か」がいまだによくわからない。

 

私はトーマス・ルフについてよく知らず、ウェブサイトで知りえるおおまかな情報位しか持ち合わせていなかった.現代写真家の写真展を気軽に見に行ったつもりだった。

 

 

会場に入ると人の背丈を越える巨大なポートレート写真が並ぶ.彼の初期の代表作「Porträts」。

 

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証明写真の要領で同様に撮られた5枚の人物の肖像は、巨大に引き伸ばす操作が加えられる事で我々の良く知った「人の顔」ではない「別の何か」に変容を遂げている。巨大化した人の顔はシワがシワに見えず、眼球が眼球に見えない。

大画面TVで自分の顔より大きな顔を見たときに違和感や不快感を感じる人は多いのではないだろうか.しかしルフの示すサイズではそうした感覚をはるかに飛び越えてしまう。

 

世の中には我々が「適切」や「標準」とするサイズがあり、それを共有し、馴染む事で安心しているところがある.また拡大縮小したものを愛でたり、面白がったりする面もある。

寿司をミニチュアサイズで作ったり、餃子を特大サイズで作ったりして娯楽の1つにしたりする.しかし身体的なイレギュラーサイズについては多くの人間が共通して持っているパーツであるが故に単純な感情を持てない.ルフが示したサイズはこうした単純でない感情を想起させる.そして最初のこの作品を見た時から私の混乱は始まっていた.私の見ているものは写真なのか?顔なのか?何なのだろうか?

 

企業の社屋を撮影した「Häuser」。

 

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一見ごくありふれた手法と題材に思えるがここには小さな違和感がある。彩度の落ちた寡黙な立面はどこまで行っても人工物であるという主張を曲げない.建築物は当たり前に人工物であるが、既に何年も使われている建築物は人の活動や気配を感じさせない事の方が難しいのではないだろうか.しかしこの作品はそうしたものを感じさせず、何年も大地に横たわった冷たい物体をただありのままにとらえている。

 

暗視カメラによる緑色の階調をもつ作品「Nächte」は湾岸戦争の夜間砲撃を思い起こさせる。

 

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ありふれた風景がピンホール状にフレーミングされた緑色の写真に写しだされると,そこには淡い恐怖感がただよう.刷り込まれた恐怖感がどこからともなく出てきてしまうのだ。

私の見ているものは写真なのか?自分自身に潜んでいる恐怖なのか?また私はわからなくなった。

 

 

指名手配写真を思わせる「andere Porträts」。

 

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ドイツ警察で使用されたモンタージュ写真合成機を使用した実在しない人物のポートレート作品である.

指名手配写真が、ある一定の手法や状況で一様に撮影され、それがメディアを通じて私たちの意識に深く根付き、近いものをみるとそれが誰であれ犯罪者に見えてしまう。前出の「Nächte」と同様に私たちは共通した画像の様式に意識をコントロールされているという事を感じさせる。

 

 

「jpeg」はデジタル画像の構造そのものに操作を加えた作品である。

 

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圧縮率を高めた為に、モザイク状に変化した画像である.言わずと知れた9.11の画像を見て感じるのは、危機感を感じさせる情報として既に充分であるという事だ。高解像度の逆を進む時、最も重要でシンプルな感覚のみが浮き彫りになるように感じる。

 

 

トーマス・ルフの少年時代からの宇宙への関心を背景とする「ma.r.s」

 

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NASAの探査船が撮影した画像を素材とし加工した作品である.色彩が加わる事でまるで植物の一部を拡大してみているような印象を受ける.そして変化を遂げたものはもはや、私の知る写真ではなく絵画に近いものに変容している。

 

「ma.r.s」のほか、終盤に展示されている「cassini」「Substrate」「zycles」「press++」といった作品は写真イメージの加工や写真技術から派生した表現の可能性を追求した作品である。

 

「Porträts」から始まり一連の作品を見終えると、ルフがそれぞれの作品に、ある特定の操作を加え変容させたように、自分自身に根付いていた「写真」というものが変容し、「写真でない何か」になっていった。ルフの作品の裏にほのかに見える自分自身の感覚や感情といったらよいのだろうか。

そして1つの疑問が出てくるのだ.私は一体何を見たのだろう?

 

※写真は全て筆者撮影

 

トーマス・ルフ展

東京国立近代美術館 2016年8月30日-11月13日

http://www.momat.go.jp/am/exhibition/thomasruff/