近年、日本でもあちこちでハロウィンのイベントが催されるようになった。ハロウィン当夜には、コスプレをした人たちが街に繰り出して騒ぐ様子がテレビのニュースで取り上げられる。外国のお祭りなのに、とか野暮なことは言わない。楽しいイベントはたくさんあったほうがいいのだ。

 

ハロウィンが近づいてくると、私はネットで映画館のページをせっせと検索する。近くで『ロッキーホラー・ピクチャー・ショウ』の上映を予定しているところがないか探すのだ。最近ではなかなか上映されないこの映画だが、されるとしたらハロウィンのこの時期に一番可能性が高いのだ。

 

そんなに観たいのなら、DVDでもレンタルすればいいのにと思う人がいるかもしれない。でも違うのだ。私はこの映画のパッケージを既に持っている。VHSも、DVDも、サウンドトラックだって各種所有している。だが『ロッキーホラー・ピクチャー・ショウ(以下RHPS)』は映画館で観てこそ何倍も楽しめる映画なのだ。

 

 

1975年公開のRHPSは、50~60年代のB級恐怖映画へのオマージュを散りばめたロックミュージカルで、オリジナルはロンドンが初演の舞台である。ダサいカップルが、恩師に婚約の報告に行こうとするも、嵐の中で車がパンクしてしまう。電話を借りようと訪ねた怪しげな館で2人は奇妙な住人達に迎えられ、血も凍る出来事に遭遇する――という物語。チープなセットに強引なストーリー展開で、公開当初は批評家の冷笑を誘ったという話だ。

 

しかし、50年代風ロックンロールや、グラムロックの要素が詰まった楽曲がすばらしく、かつ、トランスジェンダーやバイセクシュアルなど、タブーとされてきた要素を盛り込んだこの映画は、じわじわと観客を増やし、いつの間にかカルト的人気を博すようになった。そして自然発生的に始まったのが、今やRHPSを語るときには欠かせない「観客参加型」の上映なのだ。

 

雨のシーンでは新聞を頭にかぶり、セリフにはお決まりのツッコミを入れ、さらに「濃い」上映会の時には、コスプレをした人たちがスクリーン内のキャストと同じ動きをするパフォーマンスがありと、RHPSには「お約束」の楽しみ方がたくさんある。特に、パーティーシーンでの『Time Warp』は、観客も一緒に立ち上がって踊る、RHPS一番の醍醐味だ。そこにはスクリーンを観てストーリーを追うだけではない、全く別の映画の楽しみ方があるのだ。

 

RHPSは、週末の夜ちょっとハメを外して騒ぎたい時に観るものとして、公開後40年に渡って愛されてきた。その様子は、色々な映画やドラマの1シーンとしても使われている。映画『フェーム』では、内向的で母親の支配下にあった少女が、初めて行ったRHPSで壇上に駆け上がり下着姿を披露するし、ドラマ『コールドケース』では、狂信的な環境で育った青年が、RHPSで衝撃を受ける回想シーンが出てくる。(しかも、この青年が年齢を重ねた「今」の姿を演じているのがRHPSでブラッド役だったバリー・ボストウィックというオマケ付きだ。)もう少し新しいところだと、日本でもヒットしたドラマ『グリー』では、丸ごとRHPSをテーマにしたエピソードもある。このエピソード中では、潔癖症の女教師エマが、その殻を破りたいと言って『Touch-A Touch-A Touch Me』を歌っていた。

 

映画やドラマのモチーフとして扱われるRHPSは、どれもある役柄が新しい一歩を踏み出すメタファーとして用いられている。それまで自分を縛っていた規範を脱ぎ捨て、知らなかった世界に目覚めるのだ。時代は進み、今となってはさほど刺激的でもなくなってしまったRHPSだが、その猥雑で性的な内容と、深夜上映のバカ騒ぎは、昔も今も日常の制約を取り払うための恰好のツールなのである。

 

 

ところで、今年の初めくらいから、やたらと耳にするようになった言葉に「応援上映」なるものがある。簡単に説明すると、コスプレOK、サイリウムやペンライトを振るのもOK、映画のセリフにツッコミをいれるのもOK、とにかくみんなで楽しみましょう、という上映会のことだ。

 

話題になったきっかけは、アニメ映画『King Of Prism』、略してキンプリである。女児向けアニメ『プリティーリズム』のスピンオフで、「プリズムスタァ」とやらを目指す男の子たちの物語だ。今年の春先に、この映画での「応援上映」が大人気になった。私の娘も、友人に「つまらなかったらチケット代は払ってやるから騙されたと思ってついて来い」と誘われ、観たらすっかりハマってしまった。さらに別の友人を誘い、その友人もハマり…といった具合に、インフルエンザ並みの感染力で信者を増やしていった。

 

 

この映画は、初めから応援上映を行うことを想定して作られており、観客からのレスポンス用の字幕があったり、コールを入れるために、セリフとセリフの間を少し長めにとってあったりと工夫がされている。制作側主導の観客参加型上映である。

 

しかし、そこには留まらず、常連客が考えたコールや小道具など、独自のローカルルールができあがった。制作側はきっかけを与えただけで、応援上映を今の形にまで発展させてきたのは劇場に通いつめたファンたち(「プリズムエリート」と呼ぶらしい)なのだ。

 

 

RHPSは、いわば応援上映の元祖だ。RHPSとキンプリには多くの共通点がある。第一に、「キャラが濃い」。キンプリのキャラクター設定も斜め上だが、RHPSのキャラクターもそれぞれ一癖ありで、観る人が各自の「推し」を作りやすい。なかでも人気があるのは、ティム・カリー演じる館の主、フランクンフルター博士だろう。ラメのマントに身を包み、古いエレベーターを降りてくる登場シーンに、私は何度観てもワクワクしてしまう。そのマントをはぎとると、身につけているのは黒いコルセットに網タイツ。女装など珍しくもない現在でも、ティム・カリーの独特な顔立ちと、決して締まっているとは言えない身体が、なんとも卑猥な雰囲気を醸しだすRHPSの「象徴」なのだ。

 

第二の共通点として、「話の展開が飛躍しすぎ」である。どちらもたいした説明もなく冒頭からショータイムで、観客は置いてきぼりにされる。奇想天外な設定やご都合主義の辻褄合わせに、真面目な人なら腹を立てるかもしれない。しかし、だからこそ応援上映は盛り上がるのだ。スクリーンに向かって声援をあげながら、頭の片隅で「なんだかバカなことをしている自分」を客観的に眺めるから楽しいのであって、これがストーリーに破綻のない映画だったら理性の方がきっと勝ってしまうだろう。

 

そして第三として「歌とダンス」だ。コスプレやお約束のツッコミには気後れがする人でも、曲にあわせて手を叩き、簡単なダンスをするのには抵抗が少ない。RHPSでは映画の中で『Time Warp』のダンスレクチャーをしてくれるし、キンプリであれば誰もが知っているTRFの『EZ Do Dance』で盛り上がれる。初心者でも参加しやすいパートがあるのは重要なことだ。「誘われて行ってはみたものの、常連ばかりでついて行けない…」という人が少ないから、人が人を呼ぶ展開が生まれたのだ。

 

キンプリの応援上映の大ヒットを受けて、他の映画でも次々と応援上映が行われるようになった。『シン・ゴジラ』もそうだし、EXILEの映画でもやっていると聞いた。物と情報に溢れた世界で、これからのコンテンツに重要になってくるのは、「体験」であり、いかにその「体験」を特別なものにするかだと思うのだ。応援上映は、劇場に行かなければ味わえない楽しみとして定着し、今後も続いていくだろう。私は、キンプリや他の映画で応援上映の楽しさを知った人たちが、その延長として、RHPSにも目を向けてくれることを願っている。

 

 

アメリカでは、今年のハロウィンにRHPSのTV版リメイクが放送予定だ。トランスジェンダー女優ラヴァーン・コックスがフランク役を務め、アメリカンアイドル準優勝で、今やクイーンのヴォーカルとしてツアーを回るアダム・ランバートがエディ役、さらにティム・カリーがナレーターとして出演するスペシャルドラマだそうで、私はこれを観るためだけに渡米したいくらいだ。

一方、日本のハロウィンでのRHPS上映は、残念ながら毎年恒例となっているカワサキハロウィンだけしか見つけられなかった。私には川崎への遠征はちょっと難しいけれど、カワハロはRHPSファンクラブであるLIPSが参加する「濃い」上映会が楽しめるはずなので、関東在住でちょっと興味がある人は、ぜひ気軽に参加してみてほしい。だがフランクの館の表札同様、「Enter at your own risk」、もしハマってしまっても責任はとれないので悪しからず。