CIRCUS第3回特集「世界には輪郭なんてない」いかがでしたでしょうか?

今年はフランスのテロ事件、シリア難民、アメリカ大統領線など、期せずして特集のテーマとリンクするような大きなトピックがいくつもありました。人の認知や言葉、これまでの歴史、文化などさまざまなものが入り組みあう難しいテーマですが、こういったトピックがあったことでますます難しく、考えを深めないといけないテーマになったのかなと思います。

特集を編むにあたり参考にしたリンクや文献などご紹介させていただきます。

 

絵を描くことについての山中俊治さんのツイート

http://lleedd.com/blog/2010/05/25/tweet_about_drawing/

ここで語られているのは「もののかたち」の輪郭についてですが、わたしたちが世界を認識する他の方法でも同じことがいえるんじゃないかと思います。そのとき「線」にあたるのは「言葉」でしょうか。”わかっている物をあえて捉え直す作業”、という言葉がとても重く響きます。

「世界には輪郭なんてない」という特集のタイトルは、こちらで紹介されている平野敬子さんの言葉から。

 

内田樹「私家版・ユダヤ文化論」

 

「ユダヤ人」という言葉がいったい何を指しているのか、について論じた本。「ユダヤ人が何でないか」という問いかけから始まり、サルトルやレヴィナスの思想と伴走しながら「ユダヤ人」の輪郭と本質に迫っていく。

女子大の講義をもとに再構成されたということもあり、内容はハードながらとても読みやすく書かれている。内田先生キレキレでした。

 

饗庭 伸「都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画」

 

人口が減少していくなかで都市計画はどうあるべきかを語った本。コンパクトシティには批判的で、レイヤー、スポンジという概念を使って、都市を「たたむ」ことを提唱する。

「建築物の敷地は、道路に二メートル以上接しなければならない(建築基準法43条)」というルールが都市形成に大きな影響を与えたことや、第二次世界大戦後の日本の都市にスラムができなかった理由であったという分析がとても面白かった。また、「たたむ」という言葉もとてもキャッチー。

ただ、実際の都市のたたみとして提唱されているやり方は結構つらいなあと感じた。この本で紹介されている都市のたたみ方のキーになるのは「非営利」「ソーシャル・キャピタル」などで、資本によらないものを源泉にしつつ新しい都市計画を考えている。これは小規模で閉鎖的なレベルではうまくいくかもしれないが、大きな枠組みとしては成立しうるだろうか。これまでの都市形成をドライブするものが「経済的に豊かな暮らしをしたい」という強い動機だったことは本の中でも触れられているが、それと同じくらいに人々をドライブするものがないように感じた。ソーシャルキャピタルの周囲は、ソーシャルじゃないキャピタルが取り囲んでいる。そこにはなかなかにきついたたかいが待っているように思われた。都市を考えるうえで、「貨幣から逃れる」ことはできないのではないだろうか。

とはいえすごく面白い本でした!

 

中沢新一「アースダイバー」

 

街歩きの本であり、オカルト本であり、歴史書であり、生と死の境界についての本でもある。付録のアースダイビングマップはグラフィック的にも面白い。

 

河野哲也「境界の現象学」

 

私たちが境界をどのように経験しているのか、なぜ境界をうみだしてしまうのかを哲学的(現象学的)に考えた本。哲学的に、といっても、西洋哲学の前提知識がないと全然意味が分からんといったことはなく、語り口は平易で読みやすい。ディオゲネス的生き方を啓蒙する本でもあります。

 

渡邊恵太「融けるデザイン」

 

身体と道具との関係。その揺らぐ境界線について。

 

Boston Dynamics

生命とそうではないものの間に、境界線はひけるのだろうか。

 

アントニオ・タブッキ

 

タブッキの小説では全てが曖昧だ。生と死、私とあなた、夢と現実・・・。筆名を高めた「供述によるとペレイラは」も良いですが、初期の作品群が私は好きです。

 

ブレイディみかこ「THIS IS JAPAN」

 

政治運動、労働運動、貧困援助団体、自治保育会などを支えている人々を取材し、日本のアクティビストたちの現在を伝える。彼らの活動内容や人柄などあまり表には出てこない話が多く、とても面白かった。境界線上で境界を見つめ境界をなくそうとたたかっている人々の様子がエモーショナルに描かれていて、読み物としても非常に読み応えがあります。著者のele-kingでの連載もおすすめです。

 

国境

http://jp.vice.com/topics/refugee

VICEによる難民関連の記事や映像。

http://geopoli.exblog.jp/26278038/

元記事はこちらで、ひとことで言えば「国境があるから違いがあるのではなく、違いがあったところに国境ができた」ということを主張する記事。そこを出発点として、誤った境界線がひかれることの暴力性・危険性や、境界線をアップデートしていく必要性などを考えていくべきなのかもしれない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E4%B8%BB%E5%BC%B5%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7

独立主張のある地域の一覧。このWikipediaのページも、どんどん書き換えられていくのだろう。

 

ジェントリフィケーション

http://10plus1.jp/monthly/2016/01/issue-02.php

http://sakaotoko.com/958/

ジェントリフィケーションについての記事。境界線は、さまざまな理屈で書き換えられていきます。

 

鈴木大拙「禅」

禅の公案や坐禅は、言葉から逃れるための方法なんじゃないかと思っています。世界を境界線でくぎられたものとしてではなく、そのものを掴まえるための方法。そんな境地には辿り着けそうにありませんが。。

 

岩下明裕「入門 国境学」

 

国境の境目で起こっていることについてのスタディ。どうやら「ボーダースタディーズ」というジャンルがあるらしく、著者はそれを国内で広めたい意向があるようだった。内容的には面白いものもあったが、ボーダーに関するスタディを「国境」に限定していまうのはもったいないようにも感じたし、国境をスタディするだけでは国境の問題は解けないと思う(そこまでは意図していないのだろうけれど)。