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ここまで4回にわたって、機械と人間の関係について、とりとめのない話を書いてきた。今回でこの連載も最終回となる。

そこで、最後ということで筆者の独断にすこし目をつぶってもらって、将来のHuman Machine Interactionで必要となるだろうと思われる技術について、一つ予言めいた事を書きたい。

 

どんな機械も故障する

 

今大きな話題になっている技術として、IoTやインダストリー4.0などの新しい生産技術の開発が挙げられる。これらの技術では、コンピューターとインターネットを効果的に連結して、人間をほとんど介することなく、設計から生産までを機械だけで完結させる高度な自動化がすすめられようとしている。

 

また、宇宙や深海探査あるいは原発事故などの重大災害の現場では、自動車の自動運転技術を発展させた形で、突発的な事態に対しても人間の判断を必要としない自立した探査機の開発が急がれている。

 

これらの機器の自動運用で大きなボトルネックになるのは、機械が故障した場合だ。

もちろんこれらの機器には厳重なフェイルセーフ設計が施されることは予想され、従来の機械に対してはるかに冗長性の高いシステムとして構築されるのは当然だろう。また、人工知能と各種のセンサを使って常にシステムの監視が行われ、故障の兆候を初期に捉え、重大な事故に至る前には警告を出すことや、危険が避けられない場合は、自動的に休止するような処置がとられるだろう。

 

しかし、どのような対処を施しても、低い確率ではあれ事故が発生し機械が壊れしまうことはありうるだろう。むしろ、その確率が低いことが人間を油断させ、容易にパニックを引き起こすことにもなる。

 

生産現場で、生産が止まるような故障が発生した場合は、その間経済的な損害はどんどんかさんで行くことになる。この時期が長引けば長引くほど、内外で大騒ぎになって行くのは、何かの生産にたずさわった経験のある人は誰でも覚えがあることだと思う。

 

また、宇宙や災害現場では人間が行くことが不可能な場合も多く、むしろそのような場所こそが機械の出番であるといえる。にも関わらず、そうした場所で故障が発生した場合は逆に手の打ちようがなくなる。膨大な資金と労力を投入したプロジェクトはおしまいになり、あるいはそこに助けを求めている被災者がいることが分かっても、どうにもならいという事態も考えられる。

 

自己修復機能

 

こう考えると、生物がどのような下等なものであれ、損傷に対する自己修復の能力を持ち、さらに最も厄介な時間という圧力に対しては自己複製(子孫を残すこと)をおこない、個を捨てても種として生き延びるという仕組みを持っていることは、実に巧妙かつ見事なシステムだと思えないだろうか。

 

我々の肉体を構成している細胞=タンパク質は、時間と共に損傷し機能を果たせなくなって行く。特に外界と接している皮膚や内臓の内表面などの細胞は、激しい化学的・機械的刺激に常にさらされており、この損傷のペースは非常に速い。

 

このような損傷に対して、細胞は、自己の遺伝子にある設計情報とプログラムに従い、この損傷した細胞と全く同じ細胞を遺伝子も含めて正確に複製し、適切なタイミングで置き換えて行く。この機能により、我々はこの過酷な環境の中で(過酷な環境であるという自覚をほとんどすることもなく)生活することができているのである。

 

我々は、この破壊と生成の驚くべきサイクルをほとんど意識することはない。我々の肉体は、脳や歯などの一部を除いて、損傷の早い皮膚や内臓で数日から数週間、比較的ゆっくりした骨でもほぼ3か月程度で、そのすべてが新しく入れ替わっていると言われている。

 

機械にも、このような自己修復機能を持たせれば、たとえそれが簡単なものであってもその効果は非常に大きいだろう。

確かに、機械を構成している金属やプラスチック、炭素繊維などは、我々の肉体を構成しているタンパク質などの有機物に比較すれば、はるかに強靭なものだ。しかし、それとても長い時間では化学的、機械的に損傷して行くことに変わりはない。機械も、それがどのように堅固に作られたにしても我々の肉体同様、いつかは壊れてしまうものであるのは間違いないのだから。

 

一般に、大きな故障は、小さな故障が呼び水となって発生する場合が多い。自己修復機能を持った機械が実現できた場合、大きな故障に至る前に、小さな故障の段階で短時間で修理を終えることや、活動を続けたままでの修復も可能になるだろう。これは生産現場では時間、コストの大きな削減につながり、災害などの現場ではその機動性を増大できることは容易に想像できる。

 

機械の自己修復機能が具体的にどのようなシステムになるのかは、今はまだ予測することはできない。生物は細胞を単位として構成されており、自己修復機能は細胞を単位として働いているが、今の機械はそもそもそのような構造にはなっていないからだ。

 

すべての要素を3Dプリンタで作ることができれば、3Dプリンタと組み立て機械を組み合わせて、人工知能で制御すれば原始的な修復システムはできそうな気がする。だが、3Dプリンタや組み立て機械が壊れた場合はどうするのか。3Dプリンタや組み立て機械自体も、別の3Dプリンタで作れるようにしておけばいいのか?

 

あるいは、ナノテクノロジーの発達により、3Dプリンタと組み立て機械のような修復システムを内蔵した、細胞に類するナノマシンを作ることができるようになるかもしれない。そしてこのナノマシンを集積して大きな機械を構成するという、まさに我々のような多細胞生物に類するものができてくるかもしれない。

 

いずれにしても、機械に自己修復機能を持たせることは、今後非常に重要な技術になってくると考えられる。おそらく、筆者が知らないだけでこのような研究はすでに行われているに違いない。

 

自己修復機能を機械に持たせるには、すでにそれを何億年も前から実現している生物の遺伝子や細胞に対する、より深い知見が必要になるだろう。この知見を機械の側に展開し新しい機械を開発して行く、自己修復機能の開発は、まさにHuman Machine Interactionの未踏の領域であるといえるだろう。

これは一方で、生命とはどのようなものであるのか、自己とはどのように定義されるのか、そしておそらくは人工知能の知性とはなにか、という方向にも少なからず関係するHuman Machine Interactionの本質にもかかわる領域である、とも言える。

 

終わりに

おそらく自己修復機能を手に入れた機械が、それを発展させて自己複製(つまりは子孫をつくりだすこと)を可能にするには、それほどの時間はかからないだろう。このHuman Machine Interactionの果てに来る「ある者」は、我々ホモ・サピエンスから枝分かれした新しい種として、ホモ・メカニクスとも呼ばれるべきものかもしれない。

そして彼らは、いつか深宇宙へと旅立って行くだろう。彼等の指数級数的に増大する能力に対して、地球はあまりに小さすぎるからだ。

 

取り残された我々はどうなるのだろうか?

旅だった子供からの便りを待ち続ける老夫婦のように、幸福な夢をみながら永遠の黄昏を生きるのかもしれない。あるいは、旅だった者のことなどあっさり忘れて、小さな快楽を追い求めて、相も変わらずいがみ合いながら、右往左往して生き続けていくのかもしれない…

 

さて、このHuman Machine Interactionの連載も今回で最後になる。

短い間ではあったが、お付き合いいただいた読者の方々と、編集者の方々への感謝と共に、この旅を終わりたいと思う。