※この記事は特集「世界には輪郭なんてない」の記事です。

ここドイツでは、難民や移民と生活することは身近な現象の一つです。わたし自身ベルリンに滞在するうちに、戦火をくぐり抜けて来た数多くのシリア人に出会いました。その中の一人、ジアド・カルソウム(Ziad Kalthoum)さん。

内戦勃発当時、アサド軍に在籍していた戦争の当事者であり、ドキュメンタリー映画監督として観察者でもある彼に、生の声をお聞きしました。

 

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-まず最初に、簡単にあなたのキャリアを教えてください。

シリアのホムスという街で生まれ育ちました。ホムスは今、戦争ですっかり破壊され尽くしています。

 

 

20歳の時、映画を学ぶためにロシアに移住し、2005年には勉強を終えて帰国しました。その後、沢山の映画監督やTVディレクター達と仕事をしてきました。

2010年に、最初の自分の映画「Aydil(わたしの心よ)」を撮り始めました。それは在シリアのクルド人女性に関するものでした。クルド人は自らのアイデンティティを示す権利が一切無く、伝統を伝えることもクルド語を話すことも禁止されています。しかしわたしは、クルド人地区を2006年に訪れた時から、その自然や建築、伝統的な生活にすっかり魅了されました。特に歌、文化を全て込めた歌と音楽の伝統が素晴らしかった。クルド語で本を書くことすら認められていなかった彼らは、自らを表現する方法として歌を選んだ。

この映画が監督1作目でしたが、上映禁止になりました。

映画を公開し終えた2010年に、兵役へと赴くことになりました。ロシアから帰国後ずっと、徴兵から隠れつづけていたのですが、ついに政府に捕まってしまって。

-政府軍、つまりアサド軍に所属することになったんですか?

はい。当時はシリア騒乱の勃発前で、全てのシリア人には1年半の兵役の義務がありました。軍隊で過ごした時間と、多くのスローガン…「勝利」だとか「イスラエルと闘う準備をせよ」、「敵に対して目覚めていよ」等々。それらはわたしにとって、虚構そのものでした。入隊後の2011年に内戦が起こり、政府はわたしたちをずっと軍に留めたため、結局わたしも3年間兵隊として過ごすとになりました。

最終的に軍を脱走し、その後ダマスカス市内で8ヶ月間潜伏しました。とある朝、親友の一人が「ジアド、明日の朝までに支度をするんだ。きみをダマスカスからベイルートに連れて行ってくれるルートを見つけた!」と突然言いました。翌日、私はレバノンへ逃れたのです。

 

「もし誰かに映像やカメラが見つかれば、彼らはわたしを即座に射殺しただろう」映画”The Immortal Sergeant”について

 

-”The Immortal Sergeant”はこの期間に撮られた映画なのでしょうか?兵役に居た時から、シリアを離れるまでの。

シリア騒乱が始まった時から、わたしは軍の内部を極秘に撮影し始めました。毎朝働く兵舎の中で、何が起こっているかを記録するために。時を同じくして、わたしはシリア人映画監督モハメド・マラスのアシスタント・ディレクターとして、撮影チームの中でも働いていました。当時は、自分が二つの人格に引き裂かれてしまっているように感じました。

午前中は基地の中で、戦車や火器、すっかり殺人者となった兵士たち、射撃や爆撃の音の中で過ごしていました。夕方はフィルムチームとともに、戦争の犠牲者や、爆撃で家や家族を亡くした人々に囲まれての時間を。これはわたしにとって筆舌に尽くし難い究極の板挟みで、その葛藤に苦しみました。

「もし軍隊から逃げないならば、周りの兵士と同じく殺人者になるしかないのだ」。当時は常にそう自身に言い続けていました。戦争に参加するかどうかを選ぶ権利も、自分で物事を決定する権利も無かったのです。もしあなたが兵隊であるのならば、将軍の決定にただ従わねばなりません。

-そうではなければ、あなた自身が射殺されますね。

まさに。わたしには殺すか、殺されるかの選択肢しか無かった。

二重生活はとても厳しいものでした。状況は複雑で、生き抜くことそのものに骨が折れるような状況でした。しかし、最終的にこの「負のサークル」から出る方法を見つけられたのです。軍を脱走することに決め、その方法も見つけることができました。

脱走してダマスカスに隠れていた8ヶ月の間に、「軍の内部で働き、モハメド・マラスのチームとしても働いていたこの期間を映画にしなければ」と決めました。映画のためと言うよりも、自分自身人間性、人格を保つためと言った方が近いでしょう。映画作りは、わたしに多くのポジティブな力と安定をくれました。

編集や映像作業をダマスカスで完了し、その後2013年にベイルートに逃亡しました。

2014年には完成した”The Immortal Sergeant”をヨーロッパ各地の映画祭で上映しました。

ベイルートにいた約1年半の間は、劣悪な環境下・低賃金で働くシリア人労働者に関する映画を撮影していたのですが、この映画は2017年のベルリン国際映画祭に出品予定です。

”The Immortal Sergeant”は、ロカルノ国際映画祭では公式招待作品でしたね。反応はいかがでしたか?

ロカルノ国際映画祭は、”The Immortal Sergeant”の最初のプレミアでした。おおむね、観客からはとても強い反応を貰いましたね。ヨーロッパの人々はTVや新聞でシリアの様子を見ていて、実際に何が起こっているのか、人々のリアルな生活の観点から知りたがっていたからです。

個人的には、プロフェッショナルな人々からの技術的・芸術的批評を受けられたことが大きな収穫でした。自分が一体何を作り上げたのかを知りたかったですし、表現方法に関して良いフィードバックを得られました。

-どんな表現方法に関してコメントを貰いましたか?

例えば、前半の軍でのシーンと後半のインタビューのパートとでは撮影機材も違います。兵舎のシーンは携帯電話のカメラで撮ったものです。それは軍で起こっていることを極秘に記録するための唯一の方法であると同時に、どれほど醜い場所であるかを表現するための実験的な手法でもありました。心の内面を表現することも常に意識しています。自分の影を写し続けたのはそのためです。

-ええ、あなたの足運びと濃い影はとても印象に残るものでした。心の内面には何がありましたか?

影は心理的な状況を明らかにするものです。影はいつも、モンスターのように気持ち悪かったでしょう?当時の自分の内部には大きなモンスターがいて…脱走への恐怖や、軍にいた時の感情を表現しようと試みました。

-最後の部分では、ステップの合間に惨状(砲火、爆発、血を流す死体、戦車の中の兵士達)が短く挿入されていますね。

わたしが毎日見ていた現実は、まるで悪い夢のようでした。2010年に入隊した人々の多くはわたしの友人でした。彼らは前線に行き、帰ってくる時にはすっかり殺人者になっていた。内戦が突然始まる前、軍隊に入る前にはごく普通の人々であった彼らの変化を見ることは、とても辛かったです。殺すか死ぬか…選択肢なんて無かった。そういった現実をモンタージュとして挿入し、最後には目覚めるシーンで映画を終えることで、この「悪夢」を表現したんです。

映画祭では時折「どうしてもっとこう撮らなかったの?機材は?」等々技術的な質問をされましたが、それに答えることは簡単です。兵舎の中でカメラを持っていること自体、とても危険だった。もし誰かにわたしの映像やカメラが見つかれば、彼らはわたしを即座に射殺したでしょう。

-それが、戦火の中で映画を撮るということなんですね。

”The Immortal Sergeant”を撮る上で印象に強く残っているのが、人々へのストリートでのインタビューです。彼らは本音を語ることに恐怖していて、家族にでさえ本音を話しません。体制は全てをコントロールしようとしていて、ある人が体制に参加しないことを理由に、兄弟に殺されるということはよくある話です。シリア人はこういった状況で生きてきていて、まわりの皆が政府のため(あるいは反体制派のため)に働いている。

ですから、人々にカメラを向けてのインタビューは、とてもセンシティブで注意を要しました。「いったいこの国では何が起こっているのか?」というごく単純で普通の質問にすら、誰も答えることができないのです。マイク向けている瞬間にも、空を行き交うミグや爆撃の音が聞こえ続けているというのに。

-あなたがある男性に「誰が好きですか?」と質問した時、「もちろん大統領を愛しているよ、好きではないと答えるとでも?そうすれば彼らはすぐにわたしの息の根を止めるだろう」と答えていましたね。

その通り、愛することも憎むことも選べません。アサド大統領を愛しサポートする義務があり、彼に対抗する者は誰であれ殺されることになります。北朝鮮のようにね。

それは本当にばかばかしい話で、見ての通りシリア全土は破壊されました。政府軍は市民に「イスラエルと闘うための準備を!」と叫んだけれども、実際に衝突が始まってみれば、その全てのスローガンはシリア人自身に対抗するものになりました。周辺国と闘うための武器や火器は、自分自身の土地と人々を爆撃しているのです。

-平和な環境で育った日本人には、少し想像し難いものがあります。

いいや、あなたのおじいさんに話を聞いてみてください。日本にも大きな戦争を経験した時代があって、その経験を語ってくれるでしょうね。

-わたしたちが忘れかけている記憶ですね。ベルリンにはいつ来られたのですか?

”The Immortal Sergeant”と共にヨーロッパ各地を旅して映画祭に参加した後、2014年の秋にベルリンに来ました。ここは良いエネルギーやポジティブな力をくれる、素晴らしい土地です。文化や言語、雰囲気はこれまでに経験してきたものとは全く違いますが、新たに出会った人々と良い関係を築くことができました。

前線で3年を過ごし、ダマスカスで潜伏生活を送った後、わたしはとても攻撃的で不機嫌で、ネガティブになっていました。今でも記憶は克明で、当時の感情に苛まれることがあります。それでもベルリンでゆっくりと自分を癒し、生活を立て直し始めることが出来ています。ごく普通の人間に、自分自身に戻りたいと願いそう務めている最中かな。

映画作りという仕事はいつもポジティブなエネルギーを与えてくれています。とても素晴らしいドイツ人プロデューサーを見つけることもできました。森や公園、湖などが多いベルリンのおかげで、自然との関係性も変化してきているように思います。中東では砂漠とコンクリートの建物ばかりに囲まれた生活でしたから。今の生活は完璧だと感じています。冬の寒さと陰鬱さには未だに慣れないけれども…太陽の光が恋しい!笑