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photo by avrorra

 

そういえば日本のオーケストラに勤めていた5年間、仕事を病欠した記憶がほとんどない。

 

正確に言えば、2回しかない。

 

 

特にそのうちの1回は、今でも強い記憶として私の頭に残っている。

 

それは私がオーケストラで働き始めてちょうど1年目になるころ。試用期間が間もなく開けようとしていた時だ。

 

私たちはオーケストラのヨーロッパツアーで北ドイツに来ていた。

 

当時ロクに料理ができなかった私は、毎朝の豪華なホテルの朝食バイキングにいたく感動していた。「栄養を摂るならこの機会に」とばかり、ツアー中は浅ましく食べ物を胃に詰め込む日々だった。

 

それが祟ったのか、はたまた1年に渡る試用期間が間もなく終わるということで気が抜けたのか。ツアーも後半に差し掛かったある日、リハーサル中に今まで経験したことのないような気分の悪さに襲われてしまったのである。

 

試用期間中に病気になったら、不合格になってしまうかも。。。

 

よりにもよって、具合が悪くなったのは、試用期間合否を決める楽団員投票の日。

今日だけは、病気になるわけにはいかない。

 

気合いで病気を無視しようと試みたのだが、気分が悪すぎてまともにバイオリンが弾けなくなってくる。

ついには楽器を弾くどころか、譜めくりさえできなくなってしまった時、

 

「もう、いいのよ。。」

 

という隣に座っていた楽団員さんの一言が白いタオルとなり、私はリハーサル室から退場した。

 

出張してきたお医者さんは当然ドイツ人で、何を言っていたかさっぱりわからなかったし、もらった薬も何が書いてあったか全く読めなかったので、未だに当時の病名は謎であるが、多分胃腸炎か何かだったのだろうと思う。

翌日にはどうにか動けるようになり、コンサートに穴を開けなくて済んだが、リハーサルといえど病気のせいで休んでしまったことが悔しくて、リハーサル室の裏で泣いたことを昨日のことのように覚えている。

 

ちなみに楽員投票では多数の同情票を獲得したのであろうか。欠席裁判になったにも関わらず無事私は試用期間を通過することができた。

 

世の中何が幸いするかわからない。

 

 ***

 

私たち日本人は仕事を病欠することに結構な罪悪感があるような気がする。ちょっとした風邪程度の病気なら、頑張って仕事に行ってしまうのが普通ではないだろうか。

 

その点、オーストリアの人たちは頑張らない。

本っ当に頑張らない。

実に潔く病気になる。

 

もちろん病気になる頻度に、日本人もオーストリア人も大差はない。

彼らは単に、ちょっとした病気でも休んでしまうだけなのである。

カメハメハ大王かな、と思う位、風が吹いても雪が降ってもお休みな感じなのだ。

 

在欧期間が長くなって、今では私も病気の時は大手を振って欠勤することが増えた。

それでも、先日咳が出ているのに仕事に行ったら

 

「咳うるさいし、来ないでくれる?」

 

と、あっさり退場宣告を受けて、オーストリアになじむ難しさを痛感したばかりである。

 

とは言っても、仕事によっては休もうにも休めない種類のものだってあるのである。

 

オーケストラのセカンドバイオリンのトュッティ奏者が一人抜けても、特に演奏会に支障はないのだが、ソロや室内楽の演奏会当日に病気になってしまうと話は別である。

 

先日私は、子どもから風邪をうつされて寝込む羽目に陥ってしまった。

運悪く、その日はすでにリハーサル済みの弦楽四重奏の本番の日。

ベッドから起き上がるのも、着替えるのも一苦労な状態だが、こういう仕事の時は代わりがいない。

這うようにして会場に辿り着き、椅子に座る。

 

「これ、演奏中にバターンって倒れたらどうなるんだろうか。。。」

 

などと思いながら、バイオリンを構えて弾き始めると、、、

 

ん?

 

案外実に普通に弾けてしまうのである。

 

その感覚は、言葉にするのはちょっと難しい。体の中に特別な回路があって、演奏だけはできるようにプログラミングされているような感覚なのである。

 

その時私は演奏をしながら、大学時代に老人ホームに短期研修に行っていたときのことを思い出した。

 

***

 

 

華の女子大生時代、私は何を血迷ったか教職免許を取得することを選択。

教職免許を手に入れるためには、教育実習の他にも、盲ろう養護学校と老人ホームで研修を行う必要がある。

 

私が配属された老人ホームは、超が付く高級老人ホームだった。

若かりし私は、少しでも人様のお役にたてたら、と意気込んで研修に出かけて行ったのだが、実際の現場では経験の無い音大生など、正直言って足手まとい以上の何物でもなかったのだろう。

 

「何かお手伝いすることはありませんか?」

 

と聞いたところ

 

「いいから邪魔だけはしないでね。音大生?じゃ、ホールにあるピアノでも弾いてて」

 

と、けんもほろろに言われてしまった。

 

若干落ち込みながらそれでも言われた通り向かった先のホールには、一台の小さなオルガンが置かれていた。

人差し指で鍵盤を押してみると、ブカブカ、と間抜けな音がする。

 

オルガンの楽譜立てには、一冊の楽譜が置かれていた。

 

手に取ってみると、それは楽譜というよりは、小学校の音楽の教科書のようなものだった。

大きなオタマジャクシで、有名な日本の唱歌のメロディーが記されている。

その本をパラパラとめくりながら、ピアノの苦手な私は「これならまあ弾けるか」と安どした。音大生なら、だれでも上手にピアノが弾けると思っている人が多いのだが、それは誤解なのだ。

 

オルガンの後ろにあった横長の椅子に腰をかけ、私はたどたどしく本の中の曲を弾き始める。

 

するとホールにいたおじいさんおばあさんたちが、オルガンの傍にやって来て耳を澄ませてくれる。中には、メロディーを口ずさんでくださる方もいる。

私はちょっとだけでも自分が役に立ったような気がして、ほっと胸をなでおろしていた。

 

その時。

 

私の右側から、ぐいぐいと強烈な圧力を感じる。

 

ふと見ると、ひとりのおじいさんが私を椅子から押しのけようとしているではないか。

 

少しびっくりしたが、私はおとなしく席を立つことにした。

そのおじいさんは、物も言わず私が座っていた椅子に腰かけると、オルガンを弾き始めた。

 

え。

 

なに、この人。

 

めちゃうまい。

 

私は、耳まで真っ赤になるのを感じた。

こんな上手な人の前で、初見で間違いだらけの演奏をしてしまったとは。

 

一つの曲を弾き終わると、おじいさんは私のほうをギロっとにらみ、顎でページをめくるよう指示してくる。

 

「はいっ、ただいま!」

 

私は、おじいさんの横に急いで腰かけ、助手よろしく次のページを開く。

 

おじいさんが一曲演奏する。私がページをめくる。

 

そんな風にして、おじいさんはその本を最初から最後までまで、遂に弾きとおしてしまった。

 

「わー、すごいですね!本当に上手・・・・」

 

最後のページを弾き終えたとき、周囲から歓声が湧いたので、私も手を打っておじいさんの方を見た。

 

 

おじいさんが私の方に傾いてくる。

 

おじいさんの頭が私の肩に乗ったとき、周囲の歓声だと思っていた声が、実は悲鳴だったと私は初めて気が付いた。

 

おじいさんは、口から少し泡を吹いて気絶していた。

 

施設の方たちが数人、バタバタと足音を鳴らして駆けつけてきて、あっという間におじいさんを連れていく。

 

私は固まって、まったく動くことができなかった。

 

 ***

 

次の日私が研修に行くと、おじいさんはホールの中にある医療用のベッドの中で、眠っているような、起きているような眼でぼんやりと横になっていた。

 

よかった。。。

 

話しかけようと、私がおじいさんに歩みよった時、私は後ろから施設の方に呼び止められた。

 

振り向くと、そこに立っていたのは「素人は邪魔せずピアノを弾いてて」宣言をした看護師さん。

 

怒られるかも、と私は若干身構えたが、意外にも彼女はとても穏やかな口調で話し出した。

 

「昨日、このおじいさんの家族の方とお話ししたの。」

 

あれ?怒られるんじゃないんだな、と私は緊張を解いて彼女の方を見た。

 

「彼、若い時は教会でオルガンを弾く仕事をされていたんですって」

 

彼女の言葉に、私はゆっくり頷いた。

 

そうか、やっぱりプロだったんだ。

 

私はおじいさんの方に目を向けた。おじいさんは相変わらず微睡むように白いベッドの中に横たわっている。

 

「彼ね、入居してきたときからずっとこんな感じなのよ。自分でトイレも行けないし、ご飯も食べられないの。だからね、昨日は私たちみんな、本当にびっくりしたの」

 

私は目を見張った。

 

おじいさんの完璧な指さばき。

 

「オルガンっていうのはこうやって弾くんだ!」と言いたげに私を睨みつけたあの眼差し。

 

一体あれは。。。

 

「昨日、ピアノ弾いてくれてありがとうね」

 

彼女は丁寧に私に向かって頭を下げた。

 

鍵盤楽器を弾いて礼を言われるのは、あれが私の人生で最初で最後だと思う。

 

 

***

 

 

事あるごとに、この老人ホームのエピソードを私は思い出す。

 

 

「私は徐々に筋肉が弱っていく病気なのよねえ。最近は足がうまく動かなくなって、行きたい方向に足が動かないことだってあるのよ。でもね、おかしなことに、バイオリンだけは以前と変わらず弾けるのよ。他のことはどんどんできなくなっていくのに。なんでなのかしらねえ。」

 

先日も、ある演奏会を弾いた帰り道の車内で、そう同僚に呟かれた時にも、私はそのおじいさんのことを思い出していた。

 

自分でトイレに行けなかったり、食事ができないおじいさんが、オルガンを完璧に演奏すること。

どんなに具合が悪くても、バイオリンだけは何故か弾けてしまうこと。

 

そもそもそんな話になったのは、私たちがその日弾いたコンサートに、命に関わる重病と戦いながらもステージに上がったソリストがいたからだ。

 

まっすぐにも歩けないのに、腕も上がらないのに、鮮やかに完璧に彼は歌い上げ、笑顔で舞台を去っていった。

 

子どもの時から集中してトレーニングされたことは、もしかしたらほかのことができなくなってしまったあとも、最後の瞬間まで機能することがあるのかもしれない。

 

それは、脳内に特別なアウト―バーン(高速道路)が建築されて張り巡らされていて、音楽に関する情報だけは、そのアウト―バーンを通って体に伝えられていくような、そんな感覚に近い。

 

体内に構築されたアウト―バーンを、色鮮やかな音楽が駆け巡る様子を想像してみると、少し楽しい気分になる。

 

私は最期の瞬間まで、音楽家でいることができるだろうか。

 

なんだかそれは、とても贅沢なことのような気がする。