下田治子の同名の小説を映画化した『愛を乞う人』は、戦後の混乱期に母から壮絶な虐待を受けた娘が、成長して亡くなった父の遺骨を探して歩く姿を、過去と現在を織り交ぜながら描いた作品で、虐待する母と成長した娘の二役を原田美江子が演じた、平山秀幸監督の代表作だ。

 

「母性」は、長いこと女性には生まれつき備わっている本能とされてきた。「本能」という言葉は学術用語ではないそうだが、日常会話レベルでは頻繁に登場する単語の1つだ。何の学習なしに発動する生得的な性質、くらいの意味で使われている。しかし、母性が本当に生得的なものなら、母親による虐待をどう説明するのか。

 

警察庁の統計によると、2016年度児童虐待での検挙総数のうち約3割が母親で、そのほとんどが実母である。『シンデレラ』や『ヘンゼルとグレーテル』で子どもをいじめるのは継母だが、その件数は意外なほど少ない。死別ならともかく、生別の場合子どもを引き取って育てるのは圧倒的に実母の方が多いからだ。この統計は検挙数だから、検挙されないケースや、虐待まで至らないものを含めるなら、世間の期待ほどには子どもをかわいいと思えない母親がもっといるはずだ。そう考えると、母性は生まれもってのものではないという方が適当だろう。

 

「母性」という言葉は、我が子のためなら自己犠牲も厭わない無償の愛情という強いイメージを持っている。このイメージは社会に深く浸透していて、ほとんど神格化されていると言ってもいい。母親ならそれくらいできて当然、と多くの人が考えている。当の母親たちも含めて。もちろん、多くの母親たちは子どものために日々奮闘している。私だってそうだ。しかし母性がこうまで神格化されると、背負わされる荷が重すぎて苦しくなってしまう。子どもひとり産んだだけで神様になんかなれないのだ。

 

それは私が今母親の立場になったから思うことで、子どもの頃は私自身もこの神話を信じていた。童話や昔話には献身的な母の物語がたくさんあるし、国語の授業ではそれらの話で母の心情を考察させられたりするわけだ。「子どもを愛さない母親はいないのですよ」という前提のもとに。私の母は冷淡だったが、当時の私はそれなら私が悪いのだろうと思っていた。母性信仰のもとでは、母に愛されない子は、その理由を自分の中に探し続けなければならない。『愛を乞う人』は、そういう子どもが母への満たされない愛着から解放されるまでの物語なのだ。

 

 

 

夫を亡くし、娘と二人で暮らしている照恵は、台湾人の父、文雄の遺骨を探して関係先を訪ね歩いている。離婚し幼い娘を連れて家を出た父は結核で命を落とし、孤児院に入れられた照恵は、父の遺骨の行方を知らないのだ。ある日、詐欺で逮捕された父親違いの弟に30年ぶりに面会したことで、父の死後、母と過ごした過酷な日々が鮮明に蘇る。

 

母の豊子に突然孤児院から連れ戻された先には、新しい父と弟がいた。豊子はまもなくその男とも別れ、三番目の夫のもとに転がり込む。祭りの夜、照恵が恐る恐る小遣いをねだった時から、豊子の激しい折檻の日々が始まった。理由などあってないようなものだ。とにかく豊子の気に障れば殴る蹴るの目にあわされる。殴られて嘔吐すれば吐しゃ物に顔を押し付けられ、階段から落とされ、虐待の描写は目をそむけたくなるほどに壮絶だ。

 

それでも母親の中に、かすかでも自分への愛の痕跡を探す姿が痛ましい。いつものように激しく殴られた直後、命じられて髪を梳く照恵に豊子がかける「上手だね、気持ちいいよ」の一言。照恵はその一言で報われた思いで、嬉しそうに笑みを浮かべるのだ。

 

 

 

ところで、子を虐待する母親が登場する作品の中で、その母親はたいてい自堕落であったり、狂気を抱えていたりの「普通でない」人物として描かれる。そして虐待された子どもは苦難に耐えた末、やがて何らかの理由で救済を得るというのが、この手の物語の基本パターンだ。『愛を乞う人』も、おおむねこのパターンに沿ったものである。

 

私たちが普段接する物語は、いくつかのパターンのバリエーションで作られている。このことについて、これまで様々な考察がされてきた。最も有名なものは、フランスの著作家ジョルジュ・ポルティの「36の劇的境遇」で、多くの古典作品を研究した結果、物語はすべて36のシチュエーションに分類することができるというものだ。他にも、アールネとトンプソンによるAT分類、ウラジミール・プロップによる31分類等、どれも物語はいくつかのパターンに分類できると結論づけている。

 

人は、物事を解釈し、記憶するためになんらかのストーリーを必要とする。妖怪伝説は説明できない事柄を「妖怪のせい」というストーリーで整理するために昔の人々が必要としたから生まれた。歴史を覚えるのに年表だけを暗記する人はいないように、人間の脳は、ストーリーという形で、物事を時系列に並べ、因果関係を整理し、そこに感情を結び付けて認知するようにできている。それが事実であるかどうかはそれほど重要ではないのだ。

 

例として、私の母はアルツハイマー型認知症で、初期の頃は妄想がひどく大変苦労した。アルツは短期記憶がまず阻害されるから、直近の記憶はすぐに消えてしまうのだが、厄介なことに不安や怒りといった感情だけは残る。すると、母の頭の中で、その感情に辻褄をあわせるためのストーリーが作り上げられる。例えば「父の不在」(入院中だった)と「財布の紛失」(しまった場所を忘れた)に認知症による混乱が組み合わされて、「父が財布を盗んで逃げた」という話になる。そうすることで、その一瞬母の中では、いるはずの父がいないことや、あるはずの財布がないことへの混乱の説明がつくのだろうと私は理解した。

 

人が物事をストーリー化する際にいくつかの「納得しやすいパターン」に収束していくことは自然な流れなのだ。だから、虐待する母親はどこかイレギュラーな存在として描かれなければならない。「普通の母親ならあり得ない」という前提に皆が納得するからだ。だが、ストーリーのパターンは、とりまく環境の変化によってバリエーションを変えていく。最近「毒親もの」のストーリーをしばしば目にするようになったのは、女性の働き方や家族の形の変化で、神話を支えきれなくなった母親たちが増えていることの証なのかもしれない。それでもその奥にはまだ、「母親とは女神のように完全でなければならない」という規範が横たわっている。

 

 

 

中学を出て働き始めた照恵は17歳でついに家を逃げ出し、二度と帰らなかった。その後どう暮らしてきたかの説明はないが、女手一つで育てた娘の深草は屈託なく母親思いに育った。過去を捨て去ったはずの照恵は、なぜ父の遺骨にこだわるのか。

 

「お母さんは、本当はお祖母ちゃんを探したかったんでしょう?」

 

深草の言葉に促され、見つかった遺骨の弔いの後、照恵は海辺の町で美容室を営む豊子を訪ねる。客として座った照恵の額の傷を見て、豊子もそれが自分の娘と気づくが、二人は互いに名乗らず別れる。帰路のバスの中で、照恵は初めてこう口にして、人目も気にせず泣くのだ。

「あんなひどい女でも、お前がかわいいよって言ってほしかった。」

 

その時初めて、照恵は母への愛着を葬ることができた。同時に、母が父と自分を捨てたのでなく、父が母を捨てたこと、その時母は「ひとりにしないで」と懇願したことを思い出し、豊子もまた求めても得られない愛に苦しんだことを知る。『愛を乞う人』は、照恵のことでも、豊子のことでもあるのだ。

 

 

 

物語のパターンの話に戻ると、『愛を乞う人』はオイディプス王の神話のような心理的「親殺し」のバリエーションであると言える。ただ、オイディプスが息子による「父殺し」の話であったのに比べ、娘による「母殺し」は単純ではない。男性の場合、親になることの身体性は女性よりも希薄だが、母と娘は、産み育てる性を共有している鏡のような存在であり、母を殺すことは自分の一部を殺すことにつながる。照恵が豊子への愛着を葬るとき、照恵自身も自らの母性を神話から切り離さなければいけないのだ。

 

だから、通常母と娘はそういう形で断絶することを選ばない。もっと複雑な形で、依存と反発を内包しながら関係を持続させるものだ。私の母は冷淡だったと言ったが、私はこの歳になっても母から自由になったとは思えない。もはやアルツの母が直接に私を支配するわけではないけれど、もっと母を愛さなくてはいけないのではという後ろめたさを今でもずっと感じている。私が女神ではないように、母もまたそうであったはずで、それを許してやれないことは、私自身が娘に断罪される恐怖からいつまでも自由になれないということでもあるのだ。