世界を旅し、各地の料理を紹介する「旅の食堂 ととら亭」。お店の歩みもまた、旅そのもののような足取りを辿ってきた。久保さん夫妻の思いが手塩にかけて育てたお店はどのような足跡を辿ってきたのか。そして、この先どこへ向かうのかーー。

インタビューの前編はこちらです。

 

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ー今年でお店も5周年。開店当初から振り返っていかがですか。

こんな店がよくもっていますね。でも、自慢ではないんですけど、開業前にマーケティングをちゃんとやった甲斐もあって、意外とぶれていないんですよ。最初は「洋食」という軸と「旅の食堂」という軸のダブルスタンダードで始めたんです。それが洋食側にぶれたら厳しい話になったと思います。幸い、野方のこの場所だと旅の料理を受け入れてくれる市場が少なからずあるという見込みが当たってくれた。外れていたら、多分3年もたなかったと思いますね。

 

ーなぜ野方だったんですか?

それは本当に旅そのものでね。会社員をやりながら、2年以上かけて極秘プロジェクトを動かしていたんです。妻と2人だけの「ととら亭開業プロジェクト」。都内でリサーチした候補エリアは40箇所くらいあって、商店街の店舗構成や、平日と週末の昼夜の集客状況を、自分の足を使ってサーベイして、商業的な価値を数値化して比較した。その結果をもとにエリアを絞り込んで、不動産会社60数社に逆プレゼンをかけたんです。ここまでは自分の努力で進むんですが、難しかったのはここから。人が絡んでからは、自分たちの努力以上に運と縁が大きいですからね。最初、野方は網に入っていなかったんですよ。っていうか、野方という土地を知らなかったですね。

 

ーえっ、そうだったんですか

2009年の10月から不動産会社を回り始めたんです。その中に当時、高円寺に店舗専門の不動産会社さんがあって、そこの人にお願いしていたら、「野方で面白い物件があるんだけど見に行くかい?」って言われて。「失礼ですけど野方ってどこですか?」「いや、ここから歩いてでもいけるよ」「そうなんですか」。初めて野方にたどり着いたのが翌11月の第1週でした。

だけど、一度は断ったんです。すっごい魅力的なんだけど、トイレの位置が一番奥だったんですよ。そこまでの動線を残すと厨房機器がレイアウトできない。そこで後日「トイレが動かせたら・・・」って相談したら、すぐ工務店さんを呼んでくださって。「この金額でできますか?」って相談したら、「できます」って言ってくれた。それで、ここに決めたんです。不動産会社の方と工務店の方と大家さん、この3者がいなかったら、今日この場も仕事もなかったです。

 

ーそれも旅みたいですね。

ほんと、旅そのものなんですよ。僕はその前に2009年6月に会社を辞めて、妻と一緒に3ヶ月間中南米に行っていたんですよ。日本に帰ってきて、この起業プロジェクトのフェーズ2に入ったんですけど、その旅からつながっちゃっていますね、ずーっと。それは2015年の今も終わっていなくて、あの延長でいる感覚。それは、自分で努力しなきゃ進めないけど、自分の努力だけでもダメなんだと教えられた日々。それ以前の旅でも、助けてくれた人の数は数え切れません。本当に困ったなあっていうときに、名前も名乗らず謝礼ももらわずに助けてくれた人がたくさんいた。そういう人たちのおかげでここまでこれた。奇跡の6年目がもうすぐ。お店に来ていただいているお客様もそうですけど、本当に感謝の念にたえませんね。

 

ーメニューの一つ一つにそういう思い入れが。

そうですね。低予算企業なんで、メニュー製作だけではなくデザインや設計も自分でやっているんですよ。とにかく大変でしたけど、僕らのイメージが形になっていく感動は例えようのないものがありましたね。会社を辞めてから自分で自分を褒めてやりたい瞬間が2回あって、一つはととら亭が形になった時、もう一つはマチュピチュを目の前にした時。

あそこは山の頂上にあるんで下から見えないんですよ。つづら折りの山道をバスで登っていって、公園の入り口で切符をもいで入っていって、しばらく藪みたいなところを歩いていくと、写真で有名な景色が目の前に突然パッと広がるんです。ドラマチックですよ。いつか行きたいって言っていてもなかなか現実にならないですが、自分たちで本当にきちゃったよっていう感動。あの時ばかりは自分を褒めましたね。お前は大したもんだよ、あれ本物だよって。

お店をオープンする時も疲れてボロボロでしたけど、夢じゃねえよ、形になったよ、凄いねって。いろんな人に助けてもらったおかげだけど、ちょっとは自分を褒めてやってもバチは当たらないだろうってね。そんな瞬間でしたね。今もその延長です。

 

ーこの5年間の中で、洋食から旅のメニューをメインにシフトしてきた

実は、それを意図的にやったのは、実は今年(2015年)の4月からなんです。店の前にかかっている暖簾も「旅の食堂」って入っていますけれど、最初は「洋食」って書いてあったんですね。変えたんです。

 

ーえっ、そうだったんですか? じゃあ僕が最初にお店に食べに来たときは・・・

まだ洋食って書いてあった。今はランチも「洋食ランチ」「旅ランチ」って分けていますが、以前は一緒にやっていた。コンビネーションや日替わり等と表現していたんです。どのタイミングでダブルスタンダードを解消して、一本化するのかっていうのは結構切実な話でした。
料理はうちの妻が一人で手作りしていて、本当に朝から晩まで働いちゃっている。早くこの業務量をどうにかしなきゃいけなかった。加えて洋食と旅の料理の混在がコンセプト上の解りづらさになっていました。開業3年を過ぎた頃から旅の食堂というコンセプトが浸透し、旅のメニューの注文が増えてきたことで、ようやく踏ん切りがつきました。それで、(2015年の)春にダブルスタンダードを解消して、表の暖簾から「洋食」の文字が消えたんです。

 

ー思い描くお店に近づいた

そうですね。完成形というよりは、思い描いていた次のフェーズに入ったと言った方がいいかな。もっとその先まで色々な計画はあるんですけど、なかなか一足飛びにはいかないですからね。

 

ーこれからのととら亭はどこに向かうんですか。

たまにお客さんから「再現するのはすごいですね」って言われるんですけど、再現するだけなら実はそんなに難しくない。これは餅は餅屋なんで、2トライか3トライで大体作れるんです。だけど、それをアラカルトのオーダーに載せるラインを作るのがめちゃくちゃ難しい。味はもちろん提供時間やコストを安定させて3ヶ月間その料理を出し続ける、という条件をクリアできるラインを作らなきゃいけない。それはかなりハードルが高い。

実際、その制約のせいで提供できないメニューは数知れずなんです。今夜だって何人お客さんが来て何を注文するかは、蓋を開けてみないとわからない。常にニュートラルな体制を整えるのは、業務量もすごいけど、アウトプットする料理にもすごく制約がかかってしまいます。どこかで、今の量的なものを質的なものにシフトして行った方がいいような思いはありますね。そのロードマップはこれから描いていくところです。

 

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調理中の奥さま。笑顔が素敵です。