※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。

 

100年に1人の逸材。

…が、ほぼ「リングネームか」というほど。

1965年パリ生まれの天才バレエダンサー、シルヴィ・ギエム。

 

2014年に引退表明し、2015年は引退公演ツアーで世界を巡り、昨年12月約1ヶ月かけての日本公演、31日のBunkamuraオーチャードホールのカウントダウンコンサートでの一幕が最後の舞台に。大晦日のテレビ生中継で「ボレロ」をご覧になった方も多いのでは。

 

 

 

バレエダンサーが50歳で引退、と聞いても早いのか遅いのか良くワカラン…と思われるでしょうが、バレエの場合、引退年齢は人によって様々っす。

新体操やフィギュアスケートとは異なり、言うてもバレエは芸術なんでね。

スポーツのようにひたすら「身体能力」「超絶技巧」のみではなく、芸術性というものがあるわけだよ。

例えば日本には還暦を過ぎてもまだ現役で踊っている森下洋子さんのような方も、おられるわけだす。

 

ただし、一般的にバレエダンサーの引退年齢は40代前半くらい、とされてはいる様子。実際、パリ・オペラ座バレエ団では引退年齢を42歳と定めているのだそうで。

 

となると、11歳からみっちりと間団なく、踊ることに全身全霊をかけてきた半生。

冷徹と揺らめく情熱を併せ持つ「青い炎」という異名の持ち主でもある、シルヴィ・ギエムは。

じつに、

 

燃え尽きる寸前まで踊り抜いた。

 

ということなんでありましょうや。

 

「引退を決めたのは自分に失望したくないし、見る人を失望させたくないから」

 

というご本人の言葉が、そのぎりぎり感・寸止め感を物語ってるよなぁ。

 

…へー、シルヴィ・ギエムって、そんなに凄いの?

と、今しがたフトお思いになったという方は、ジャリタレのへなちょこダンスなどを観てやんややんや喜ぶみたいな振るまいを一旦休止し、ぜひとも一度彼女の代表作「ボレロ」の舞台動画、その身体表現たるものを、とくとご覧になれば良いかと思われます。以上。

 

え?

 

それじゃ不親切?

 

…最も視覚的にわかりやすいのはですね、足です。足。

 

足の甲がもう、ものすごい。

 

何か入ってるのか? と思うくらい、えらく「盛り上がって」おりますです。精緻な建築物(錦帯橋とか)かなんぞのように、きれーに弓形アーチを描き。

あー、あれはさぁ、生まれつき。

まさしく、舞踊の神様からの賜物。

としか、まずは言いようが。

 

私事ですが、ワタクシ、4歳から17歳くらいまで、長年バレエを習っておりました。そもそも習い始めは「お姉ちゃんがやってるからアタシもやりたいっ」という次女ならではのゴーマン、と親からは聞いていますが…。

何しろそんなして10年以上習っていたというのに、元々柔らかくもなかった身体は特に柔らかくなることもなく硬いまま、足は上がらん、尻は重い、と、

 

「まったく上達することがなかった」

 

のです。

今なら自信を持って放言できる。

 

「生まれつき足の甲が人並み外れて、ぺらっぺらだったから」

 

皆さんはあの「つま先で立つ」トウシューズって、一体どういう原理であんなしてツーンって屹立しとんの? と不思議にお思いになりませんか?

物理的に無理じゃね? と。

 

無理なんす、甲がうっすいと。あれは甲が厚く、弓形になることで力学的に安定するんでやんす。

実際踊ってた頃はあまり意識しなかったことですが、シルヴィ・ギエム大先生の足の甲などをまっじまじと見せつけられた日には

 

「自分みたいな、こんなぺらぺらした足でバレエを踊ろうという料簡がまず、間違っていました」

 

と軽犯罪でも犯した阿呆のような気分。

 

(とは言うものの、生まれつき要素以外にも、足裏の筋肉を鍛えることで自然と甲は盛り上がるのだそうですね。要するに努力というものができなかったんだな、自分)

 

そんな「賜物」であり日々のたゆまぬレッスンによる「鍛錬」の結晶でもある「甲」の持ち主、シルヴィ・ギエム。これまたおそらく生まれつき身体がどえりゃー柔らかかったのだろうな、と思われ。

片足を耳に触れるくらいまで上に伸ばした「6時のポーズ」はかつてイギリスなどで「開脚角度が過ぎる、下品だ!」と批判されたほどの、とんでもない柔軟性(および筋力)なわけで。

 

またぞろ私事で恐縮ながら、脚は訓練でもそら開くようにはなるのでありましょうが、生まれつきの骨格というもんがございますです。ええ。

10代の頃、同じレッスン場でストレッチをやる場面でも、足が開く子というのはこれはもう、何の努力もせず、痛い思いもせず、恥をかくこともなく、先生に罵倒されたり、無理やりぐいぐい押されたりすることもなく、

 

「ぱー」

 

っと開くのでやんす。

子ども心に理不尽だと思ったよね。あいつ、別に努力してねえじゃん。生まれつきじゃんそんなの。

まあ、開くから手放しでイイ、何ひとつ問題あらしまへんじゃなく、難なく開く人は開く人で、その分筋肉を鍛えなけりゃあかん。とか、いろいろあるらしいですけど。

 

でも苦もなく開くんだぜ。んだよ。んなろぅ。

 

ただし、ここにもやはりワタクシ側の落ち度というものが歴然と存在していたのであります。

要するに

 

「向いてないからやめれ」

 

という話。いや〜、ほんと向いてなかったわ。短足だし。

 

今はそんな風に自虐ネタとしてしか自分のバレエ体験を思い出さぬ私なのですが、親によれば「お前は一時期、バレリーナになるんだ、と息巻いていた」とのことなので驚愕。

たしかに、好きであるという気持ちなしには、10年以上もの年月、習い続けるわけがないわな。土曜も日曜も、朝から晩まで全部バレエのレッスンに費やしてまで。

 

きっとバレエが好きなのだろう。

 

そして、決定的に自分には向いていなかったのだ。

 

つまり、バレエへの片思い。

 

さて、最後の舞台の演目ともなったシルヴィ・ギエムの代表作「ボレロ」ですが。彼女にとってあまりにもはまり役、「ボレロ」のイメージばかりがつきまとうことを嫌い、踊るのをやめていた時期があったほど。だそう。

それだけに、「ボレロの女王」たるギエムの踊りが、他ならぬ日本で幕引きとは感無量…というか、むしろなんか、すいませんみたいな気持ち。

ちなみに最終公演が日本だったのは単なる偶然だそうですが、この作品の振付師である故モーリス・ベジャールは元より、シルヴィ・ギエム本人も「東洋的」な身体の使い方や踊りのあり方というものに、えらく親和性を感じておられた模様。

地を這うような動きや、無表情なままに高まる躍動感。言われてみれば「ボレロ」には能や歌舞伎に通じる精神性がある。とぞ思ふ。麩。いや、鵜。

(モーリス・ベジャールが「ボレロ」を踊ることを許可した数少ないバレエ団の中に「東京バレエ団」がシッカリ入っていることも、大きく頷ける話。)

(すごいじゃんね、東京バレエ団。)

(余談。)

 

かような、イロイロ尽きせぬバレエへの片思いを抱いて改めて観るシルヴィ・ギエム、ガラにもなく「ほーっ」とため息をつき、頰を赤らめ、体温が0.5度くらい上昇、

 

「こんなに踊れたらさぞかし、楽しいだろうなあ」

 

いやいや、違うんだよね。

 

1日でもレッスンを休んだら動きが劣化するというくらいに、フロアでストレッチし、バーに取り付き、練習曲で回転したり反ったり跳ねたり。

着ているものとて、筋肉を冷やさぬためにあちこちボロみたいな布切れやらウォーマーを巻きつけた「路肩のお地蔵さんか」みたいな。

それを休むことなく、毎日毎日繰り返す。

太っちゃいけないから食事制限も凄まじいしね。

んとーに地味で地味で、そこらの実家が裕福なOL(そんな人も日本では希少価値になりつつありますが)の日常の方がよほど華やかだよ、と。

 

だよなぁ。精進しよう。何を。

 

(シルヴィ・ギエムさん、これからもお達者で…)

 

※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。