アジアの18の国と地域でプレーした異色のプロサッカー選手伊藤壇さん。近年は各国で渡り歩いた経験を生かし、日本人選手の海外移籍を後押しする”チャレンジャス”を立ち上げた。”アジアの渡り鳥”が新たに描く”アジアの架け橋”としての夢を伺った。

 

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ー今日はお忙しいところありがとうございます。明日(2/1)からネパールでサッカークリニックとお聞きしました。

 

政府系の事業(※編集注:日本国政府が推進する国際貢献事業SPORTS FOR TOMORROW)でJリーグに話があったみたいなんです。サッカーだけじゃなくて他のスポーツも何人か行くようです。

 

ー以前ネパールでプレーした時の縁なんですか?

 

協会側も僕の持っているコネクションは魅力だろうし、僕も当然協会に協力できるのならしたいと思っています。こうやって、サッカー協会やJリーグから依頼される仕事が入ってきたというのは、ブレずにやってきたからというのが大きいですね。

 

 

ー以前インタビューさせて頂いたのは8年前。マカオに行かれる直前でした。

 

ああ〜! 10カ国・・・

 

ーちょうど10カ国というタイミングでしたね。今では18ヵ国。改めて凄いですね。

 

あれからまた状況が変わってきて、本を出したり、NHKのスポーツドキュメンタリーに特集されたり、アシックスの広告キャラクターになったり。始めは批判みたいな声もあったんですけれど、それでも信念を貫いた結果こうなって、よかったなと思います。

 

ー批判、ですか?

 

10人いたら8、9人は「アジアの国に行っても…」とか「日本に残ればいいじゃん」と言われましたけど、僕の中でこれからアジアの時代が来るんじゃないのかなという直感があった。どんどん時代がそうなってきてくれて良かったです。アジア枠ができたり、アジア各国のリーグが盛り上がったり、それらが追い風になってくれた。

 

ー最近はアジアでプレーする日本人選手も本当に増えましたね。

 

僕はもうかなり早い段階で、雑誌やブログで「日本人がアジアに渡る時代が来るだろう」と言っていたんです。当時は「そんなわけねーだろ。金もないのに」と言われたんですけど、今では日本よりお金が出たりする時代なんで、わからないですよね。

 

ー周りの目が変わってきたのはいつごろから? それこそ10ヵ国前後くらいでしょうか。

 

うーん、そうですね。始めは10ヵ国というのも周りは本気にしていなかった。それが、「お、本当に10ヵ国いくんじゃないか」となってきて、そしたら今度は「10ヵ国やったから何になるの」と言われたり。僕の中ではずっとプランがあってやってきたんです。本を出したいというのも、かなり前から思っていて。ネタになるといったらあれですけど、チーム探しもオリジナリティーのあるやり方でやろうと思っていて。

行き当たりばったり、無計画と思われがちなんですけど、ある程度はプラン通りに来ている。その中で失敗することもあるし、ちょっとした挫折もありますけれど、一回道が閉ざされたとしても、回り道してでもそこを目指そうかなと。最初の道が閉ざされてそこで諦めちゃう人もいるけれど、僕は別の角度から。

 

ー以前、アジアの架け橋になりたいとお話してました。2年前に始めたチャレンジャスアジアがその取り組みなのではと思いました。実際どのような活動なのですか?

 

一つの転機として、ラオスに行った時にチームメートに日本人がいて、どういう経路でチームに入ったとか、代理人がどういうことをケアしてくれているとか知ることができた。僕はずっと一匹狼としてやってきて、まったく日本人と接点がないようなことばかりやってきていたので、今までまったく情報が入ってこなかった。代理人やコーディネート会社の内情がそこでわかった。いろんな選手の話を聞いて、みんなが言っていたのが、僕自身も感じていたんですけれど、オフシーズンのケアがすごい大事だなと感じて。

 

ーコンディショニングやトレーニングをする場所ということですか?

 

トライアルやテストを受けに行く時は代理人もケアしてくれるけれど、1チームダメで、また代理人がチームを探し直すとなると1〜2週間連絡がこない。その間ずっと一人で練習して、いざ「明日からトライアルを受けるチームが決まったから行ってくれ」と言われても、その1〜2週間でコンディションが変わってしまっている。いざテストを受けるときにベストな状態じゃないということが多かったんです。

僕自身も北海道出身で、冬場のオフシーズンに帰っても外でトレーニングできないのでフットサルだけになってしまう。それだったら、そういう選手を集めてトレーニングをして、情報交換をしたり、お互い同じ目的を持ったもの同士ならいいトレーニングもできる。チャレンジャスアジアというのは、依頼されたら代理人やチームを紹介したりもするけれど、むしろトレーニング、コンディションを上げることをメインにしています。中には違う代理人が付いている選手もきたり、それも全然OK。トレーニングだけもOK。

 

ーグラウンドの確保が大変じゃないですか?

 

いや、バンコクでやっているんですけれどタイはあちこちにグラウンドの芝があって、僕たちが使っているところも無料で使えるところなんです。ゴールはないけれど、最低限のことはそこでできる。

バンコクを選んだ理由の一つは滞在費がすごく安いんですよ。グラウンド使用料がかからないだけでなく、物価、食費も安い。また、周辺のカンボジア、ラオス、マレーシア、インドネシア、あと香港やミャンマーとか、そういった国がオフシーズンにキャンプに来るんです。だから、バンコクでトレーニングをしていたら、わざわざ出向かなくても、キャンプに行けたりすることもある。

移籍というのは椅子取りゲームみたいなものなので、1日1日で状況が変わってくるんです。どこかチームから連絡があって、「明日FWを1人連れてきてくれ」と言われた時、日本にいると明日っていうのはたぶん無理ですよね。早くても3日4日かかる。タイだったら隣の国ならバスでも行けるし、LCCもあるからその日のうちに行けるじゃないですか。動きやすい利点もありますね。そうやって総合的に考えてバンコクを選んだんです。年間通してっていう訳ではなくて、移籍市場が動く12月から1月中旬くらいまで僕も現地にいて、ていうことをやって2年目になります。

 

ー2シーズンが終わったところ。

 

一応5年計画でやっていて、1年目は全く告知もせずにトレーニングだけをしていた。ある程度口コミで広まったんで、2年目の今年は、トライアルをコーディネートする代理人的なこともして、一応今年も、カンボジアとかタイ、ラオス、あとは日本のJFLに選手を契約させることができた。それがまた来年に繋がると思うんで、最終的に5年目くらいに、僕がプレーしたアジア各国にチャレンジャスがサポートする選手が行けるようになれば理想です。

 

ー常設しているわけじゃないんですね。

 

各国微妙に移籍のシーズンが違うので、年中代理人的なことはやっているんですけれど、トレーニングだけは期間限定で12月初めから1月中旬ですね。

 

ーアジアのリーグは日本のように春〜秋というシーズンなんですか。

 

国によるんです。香港はヨーロッパと同じで9月から始まるし、東南アジアは2月や3月くらいに始まることが多い。日本はもうちょっと遅くなる。モンゴルだと4月とか5月とか。年中どこかの国はチャンスがあるような感じです。

 

ー以前移籍ウィンドウの時期によって行ける国が限られてしまうというお話をお聞きした

 

僕が移籍先に10ヵ国を設定した時も、レベルじゃなくてどこに住みたいかで12〜13ヵ国ピックアップして、その中から時期があっているところに行きました。順番は多少前後しているんですけれど、この10ヵ国は最初の時点でイメージしていた国だった。

 

ー改めて見ると、前半と後半でだんだんマニアックな方に(笑)。ベトナムやタイは最近日本のファンにも馴染みがでてきましたね。

 

そうですね。僕が道を切り開いたところに、数年後に日本人が流れる、そういう流れになってきている。

 

ーだいたいの国で「初の日本人選手」でしたね。

 

前半行った国は、行きやすい国。ビザがいらなかったり。まだちょっと現役でやろうと思っているんですけど、これから行こうとする国は入国するのにビザが必要とか、なかなか今までのやり方が通用しない。今までは旅行者のふりをして現地へ行って、あわよくばサッカーに参加して・・・みたいな、そういうノリで行けたけど、そういう国はほとんど行き尽くしちゃった。