ー先ほど「もうちょっと現役で」とお話していましたね。

 

サッカー界に名を刻みたいというのが一番の目標なんです。

僕の場合は日本代表とかW杯に出るといった王道じゃなくて、ちょっとアウトローな感じから攻めているんですけど、そうやって名前を刻んでいこうかなっていうのがあって。で、小さな目標でまず10ヵ国って設定したんです。それをクリアして、次にギネスで16ヵ国という選手がいて、またそれをクリアした。その後、プロ生活をスタートしたベガルタ仙台の本拠地であるユアテックスタジアムにもう1回立ちたいという目標ができました。昨年、運良くクラブの記念試合があって、そこで戻ることができた。

そして今は、40歳まで現役でやりたいというのがある。昨年の11月で40歳になったんですけど、今の時点で正直現役選手って言い難いんです。チームが決まってないから。チームと契約してこそ現役選手。まずは次の40歳のピッチに立ちたい。そして仙台でプロ生活を始めた時の背番号が19番で、思い入れもあるので、今の目標は40歳で19ヶ国目というのが今の目標ですね。いろんな意味でこれがラストチャンスなのかなって思います。まあ、わからないですけどね。そこまで行って、20ヵ国が目前だから「20ヵ国まで」ってなるかもしれない。

 

ー名を刻むといえば、ギネスを更新した時にFIFAのサイトにも報じられていましたね。

 

FIFAマガジンもそうだし、ガゼッタデロスポルトにも2回特集されましたね。あとタイのテレビが3、4回くらい特集を組んでくれたり。日本だけじゃなくて海外の人も気にかけてくれる人が増えてきて、続けてきてよかったなというのはありますね。

 

ー改めて18ヵ国を振り返って印象深い国はありますか。

 

良い意味ではブルネイ、待遇もよかった。逆にネパールは過酷でしたね。人が良いんですごい大好きな国なんですけど、とにかく寒いし、電気が1日13時間計画停電したり。

 

ー(2015年4月に起きた)地震の影響ですか?

 

いや、その前から電力不足で、毎日じゃないけれど、地域ごとに週何回か計画停電があって。アウェーの試合に行った時に、部屋の中も暖房が使えなかったり。シャワーもお湯が出ないので、やかんでお湯を沸かしてもらって、それをバケツに入れて水と合わせて、シャワーというか、洗い流す・・・みたいな。寝る時も暖房がないので、ニット帽を被ってマスクして、ダウン着て、靴下履いて寝ている感じ。

 

ー冬だったんですか?

 

ちょうど今くらいの時期。ヒマラヤの麓なんで、寒いし。それが一番だったかな。

 

ーアジアでプレーする選手が増えた一番の理由は

 

僕も含めてそうだと思うんですけど、以前はまず情報がなかったと思うんです。僕もそうだった。アジア各国にリーグがある、まさかシンガポールやマレーシアにリーグがあるというのはみんな知らなかっただろうし、待遇面でどのくらい給料が出るというのももちろん、熱狂度とか、サッカー熱も知らなかっただろうし、情報がなかったのが一番かなと。実際行ってみると、盛り上がっている国もあるし、給料の良い国もある。初めのうちは僕も情報に流されがちだったんですけど、海外生活が長くなるにつれて、情報に振り回されてはいけないなとすごく感じています。百聞は一見に如かずじゃないけど、まずは自分の目で確かめて、物事を語るようになりましたね。

 

ー自分の目で見て

 

その人にとっての「すごく盛り上がっている」「お金がいい」が、僕にとってそうじゃない場合もある。最近タイなどのリーグで日本人が増えて、急にタイリーグが強くなったようなことを言われていますけれど、僕がいた時(2003年)も、BECテロサーサナというクラブがACLで2位になっている。それ以前にはタイファーマーズバンクが優勝したこともある。

今に始まったことじゃないんです。明らかにお金的には良くなったし、全体のレベルは上がったかもしれないけど、クラブ単位では昔の方が強かった。タイリーグがお客が入ってお金もいいよと言われますけど、色々な国を見てきた僕からするともっとお金が出るところもあるし、もっと人が入るところもある。それで、(1月に出版した)本で比較も書いたんです。

 

 

ー国別の比較表ですね。あれは面白かったです。

 

実際にプレーをしたことがないとわからないと思うんです。いろんな国で実際にプレーしたからこそ語れるのであって、代理人をやる時も無責任に紹介はしたくなかった。まず自分でプレーして、自分の目で確かめて、その上で選手を紹介する。選手にとっても僕が太鼓判を押せるチームに紹介してあげたい。逆にチーム側にも信用を落としたくないので、チャレンジャスでトレーニングを積んで、自分の目で見て性格的にもプレー的にも太鼓判を押せる選手を紹介してあげたい。双方にメリットがある形がいいなと。そういうことを考えた時にまず自分でプレーするのはすごく大事。説得力が全然変わってくる。

 

ーあと1ヵ国か2ヵ国か、もしかしたらもっとプレーを続けることと、チャレンジャスの5ヵ年計画が、現在の目標。

 

日本を含めて18ヵ国でプレーしましたけど、これだけの国とコネクションがあるから、もっともっと受け皿を広げていきたい。Jリーグのチーム数も昔の倍以上になって、下手すると地域リーグまでプロ契約がある。アジアの国とか最近はヨーロッパも東欧まで選択肢が広がって、今はすごく恵まれていると感じます。

でもアマチュアでもまだまだいい選手はいるので、僕のプレーした国を紹介してあげて、そこで初めてプロ契約を結んで、そこから逆輸入という形もありだと思う。早い段階で諦めちゃう選手もいるけれど、一番の目標がJリーガーであれば、高校や大学を卒業してダメでも、そこで諦めるんじゃなくて、どこかを経由してでも目指せばいいし、そのためのチーム探しも手伝えたらなと思っています。

 

ーより若い人たちも対象にする

 

あと、海外に住むと、その人の意識次第でもあるけど、日本にいるより英語も話せるようになる。今の時代、英語を話せるからって就職先がたくさんあるわけではないけれど、しゃべれて損は絶対ない。そういう、引退後も見据えて経験を語ってあげたいなって。各地で日本人選手が増えたらチャレンジャスもスクール展開して、現地スクールの経営を選手に任せたり、引退後の準備も一緒にやっていけたらと思っています。

僕もそうだったんですけど、ずっとサッカーばかりやってきていざクビになった時、抜け殻のようになって何をしていいのかわからないし、気持ちも切り替えられない。今のうちからできることはなんでもやってみて、引退したらそっちにすんなりシフトチェンジできるようになればいい。そこはベテランの立場から口を酸っぱく指導していきたいなと思います。

 

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伊藤壇

仙台大学卒業後、ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団。01年よりシンガポール→オーストラリア→ベトナム→香港→タイ→マレーシア→ブルネイ・ダルサラーム→モルディブ→マカオ→インド→ミャンマー→ネパール→カンボジア→フィリピン→モンゴル→ラオス→ブータンでプレー。1月に出版した著書「自分を開く技術」(本の雑誌社)では、代理人を立てずに契約を勝ち取ってきたノウハウを公開。

 

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