実際差はある?高い楽器と安い楽器

 

気になるのは、実際高い楽器と安い楽器で質に決定的な差があるのかどうか、ということである。

もちろん、工場で大量生産された一万円のバイオリンとウン億円のストラディバリウスでは、一目瞭然の差がある。

使われている木の質も違えば、作りも違う。

例えば、「パフリング」といって、バイオリンの淵部分に装飾のように入っている2本の黒いラインは、丁寧に手作業で作られている普通のバイオリンならば、黒檀が埋め込まれてできている。これは、バイオリンが外から何らかの衝撃を受けた場合、板の割れがこの黒檀部分で止まるよう楽器を保護するためのものなのだが、工場生産の安いバイオリンの場合黒檀は埋め込まれておらず、ただ装飾用の黒いラインが引いてあるのみである。

音色はどうか、というと、これも決定的な違いがある。

目隠しして、二つのバイオリンを弾き比べた時、普段音楽に縁がない人でさえ、その差がわかるのではないかと思う。

しかし、現代の職人によって丁寧に作られたバイオリンと、ストラディバリウスの質に一億円の差があるか、と言われると、そこまではないなあ、というのが私の正直な意見である。

音色の差はもちろんある。しかし、それは好みの範囲程度だと思うし、やはりオールドのバイオリンの値段は行き過ぎだと思う。

実際どれほどの差があるか興味がある方は、こちらの動画をどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=Ml98SCgi5D4&feature=youtu.be

31億9920万円の差、おわかりだっただろうか?

 

プロが使っている楽器とは?

 

楽器には様々な種類やランクがあることがお分かりになってもらえたかと思う。

と、ここで気になることが一つ。

プロが実際使っている楽器はどんなものなのだろう。

やはり、せめて車が買えるくらいの値段のものを使用しているものなのであろうか?

やはり良い楽器を持っている奏者が多いことは事実だ。

ソリストや室内楽奏者など、自分の音が露出するような演奏家は、特に価値のある楽器を持っていることが多い。

とはいっても、誰もが誰も古いイタリアの楽器を持っているわけではない。弾き心地や音色の趣味で、好んでモダンの楽器を弾く有名なソリストもいる。

所持している楽器の価値で、演奏家の質を計り知ることはできないのだ。

オーケストラの奏者は、というと、これもまた一概には言えない。

「いやー、これ、この間リブロ(オーストリアにある文房具屋)で期間限定で売ってたんだけど、案外弾けるわー。」

と、文房具屋の一万円ほどのセールで買ったバイオリンを、オーケストラの練習の日に持ってきて弾いていた変わり者の同僚もいるし、(ちなみに彼は、自宅に高価なイタリアのオールド楽器を持っている。)楽器図鑑に載っていそうなほれぼれとする価値のある楽器を弾いている人もいる。

私が知っている限りでは、大抵の奏者は何台かの楽器を所有していて、その仕事内容に合わせて楽器を使いわけていることが多い。

例えば、大きなホールでソロを弾く時は、オールドの楽器で弾き、野外コンサートや冬の教会のミサで弾く時は、モダンの楽器で弾く、などの使い分けかたである。

古い楽器は、湿度や温度の影響を受けやすいので、天候の安定しない野外や、冷える教会での演奏には向いていないのだ。

日本のオーケストラで働いていた時、毎年夏に野外で演奏会をする仕事があった。

野外とはいえ、一応舞台には屋根がついていたのだが、一度公演中に降って来た雨が風で舞台に吹きこんできてしまったことがあり、みんな揃ってクモの子を散らすように楽器を抱えて舞台裏に退散したことはいい思い出である。特に、ストラディバリウスを持っていたコンサートマスターの逃げ足は速かった!

 

音楽家と楽器の出会いと絆

 

私たち職業音楽家が楽器を探すときは、楽器屋や職人を渡り歩き、何台もの楽器を試奏しながら、運命の楽器を求めていく。

私も、今の自分の楽器をパートナーとして選ぶ決断をするまでに、3年間色々な楽器と「お見合い」をし続けた。

価値のある、高価な楽器を持つことができることは素晴らしい。

でも私は、奏者は値段やブランドに捕らわれすぎずに、自分に合った楽器を持つことが幸せなことなのではないかと思う。

コンクールや、ソロ活動でバリバリ弾いて行きたい人が持つ楽器と、オーケストラの中で周囲と調和しながら弾いて行きたい人が持つ楽器は当然違ってくる。

底抜けに明るくよく笑う楽器、落ち着いていて優しいけれど、ちょっぴり愁いを含んだ楽器、など楽器にも人間と同じように実に様々な性格のものがある。自分の好みにぴったり合った楽器に出会うのは本当に難しいのだ。

私の楽器は、どちらかといえば物静かなタイプだ。華やかとは言い難い見た目と性格のため、出会った時の印象は薄かった。でも、その真面目で純粋な音色に、じわじわと時間をかけて私は恋に落ちた。

楽器の出会いと人間同士の出会いはとても似ている。

違うことといえば、楽器の場合、こちらが好きになれば、楽器がこちらを好きかどうかはあまり関係がないということである。ただし、こちらがどんなに好きになっても、手の出ない値段の楽器だったら諦めなければならないという欠点もある。これはこれでちょっと泣ける。

なんにせよ、演奏家にとって楽器を選ぶことは、結婚相手を探すくらいの大仕事なのである。

私は時々、自分の楽器と会話ができたらなあ、と心から願う。あらゆる局面、人生の分岐点に立ち会ってきた私の楽器は、ある意味、親の次に私を良く知る存在なのだ。

どんな時でも、大抵一緒。レストランなどで食事中も、楽器ケースの一部が体に触れていないと、不安になる。時折、楽器なしで出かけることがあると、出先で、「あれっ!?楽器がない!」と慌てることもしばしば。

ここまでくると、ほとんど体の一部だ。

楽器と演奏家は、想像以上に固い絆で結ばれているのである。

 

 

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ウィーンのオーケストラではたらくということ OP.2  オーディションの話。
ウィーンのオーケストラではたらくということ。あるいは踊る指揮者とオーケストラの喜びについて