東国からヨレヨレ〜っと京の都へと「上洛」いたしましたが、いやはや京都はメシウマです。
20年以上住んだ表層の街トーキョーでは、ウマいものを食したければ襟元正して大枚叩きたまえよの「圧」凄まじく。ふらっと入ってお値頃でしかもウマーなどという飲食店は、ついに2軒くらいしか発見できず仕舞い。
その点で、京の都というんは、なんだこれは。特に観光目的の方々がちっとも来店せぬような、ちょっと寄ろっかなタイプの店のメシウマ度が。なんだかもう目眩く世界。積年のメシウマに対するこだわりとセンス、鍛え抜かれた「舌」のなせるワザだなあ。ああ。
さて、こちらに来てイの一番に下達されたところの言説、それは
「京都では、創業100年などは“ひよっこ”」
との由。
100年って、結構な年月だよ。へげたれ蠢く東国では、学校だって創立100年とか言われると「ほお」と一目置いたよな顔すんのが、当たり前だったような気がす。希ガス。
ところが京の都では100年前など5〜6年前とかとあまり変わらん、近々の時間感覚であるらしい。
言われてみれば、上洛後すぐに住んだとある地域、閑静な住宅地でありましたが、自宅から歩いて2分ほどの何の変哲もない、周囲の家々の間にはまり込むようにして在る小振りな酒店の壁に
「創業天保○年」
の文字が白抜きでスッキリ浮かび上がっているのを目撃。覚えず「どへえ」と驚いておりましたですが、元号「天保」というんは1831年〜1845年、ということは創業170年くらいですか。
ひよっこだった。
近所の創業170年の店舗に驚愕などしている場合じゃねえのだよ。ここらで恐れ多くも「老舗」を名乗るならば、創業300年とか400年とかじゃなきゃ、ダメなんだぞ! バーカバーカ。…ということなのであります。
最たる例は、京都三大奇祭のひとつである「やすらい祭り」というけったいな祭事や「あぶり餅」で有名な今宮神社ね。あすこの参道にある茶店ね。
創業1000年だから。(しれっ)
せせせ1000年。平安時代から続く店。
他にも850年だとか500年だとか、まあそういうのはゴロンゴロンしてるわけだよ。えっへん。
100年とかの単位でいとも簡単にひれ伏すような東国の人間などは、「吃驚して座りションベンしてバカになっちまわぁ」(by江戸前落語)の世界ですよあわわ。
何しろ「先の大戦は?」と聞かれたら「応仁の乱」と答えるような古都なんだから、しょうがないよね。ご年齢にもよるでしょうが、そこらの街角にて散歩中のお爺さんから
「ああ、ここにある何某は、戦争前からそこにおましたよ」
(合ってるんか京都弁…)
という説明などされた際、まさにその「戦争」の部分は決して第二次世界大戦などではないのだよ。応仁の乱なのだよ。尺が違うのだよ、尺が。ザクとは違うのだよ、ザクとは。
ここでフト頭をよぎるのは、店舗100年ひよっこならば、住人としてはどうなのだ? という。京の都に居を構え「うちは京都人どす」(それは花街言葉だよとのツッコミ、はいどうも)と言えるまでに、一体何代続けば気が済むのだ? という。そういう疑問。
意外に思われるかもわかりまへんが、京都市内は県外からの移住者が結構多いっス。特にどこの県に偏っているというわけでもなく、全国津々浦々から集まっていらっしゃるよな印象。そういう方たちとつらつらとお話しておりますと、例え何十年住まわり、地域に溶け込み、貢献し、商いなどして税金納めていようとも、皆さん一様に
「いまだに自分が京都の人間だとは、思ったことない」
とのご謙遜。いや謙遜じゃないわ。厳然たる事実。
思えば浮遊層の街であるトーキョーですら「3代続かないと江戸ッ子とは呼ばねえ」とか嘯いてるくらいだのに、一代ですんなり認められるなんてことはあーた、あるわきゃないですもんなあ。地球が菱形になろうと、空からうどんが降ってこようと、それだけはあり得ないです、ええ。
県外からやってきて何らかの店舗など経営しながら京都に住んではる方々というのは、そしたらこんなでしょうか。
- 市からデカいとか色が派手だとかドヤされたため、大金かけて小さくてやる気無いんかとも誤解されかねない、少しも目立ぬ保護色的看板を遠慮がちに掲げ、
- 近所の婆さんの遠回し極まる数々の嫌味やら、“ちょっとあがっていきなはれ”との言を真に受け、ウッカリうかうか人の家にあがり込むなどというとんでもない無作法をしでかさぬよう、配慮しながら
- 某はどこまでも末代までも余所者・闖入者なんであるとの自覚、ひじょーに肩身の狭い(店の間口も狭い)思いを抱え、ちまちま、じっとりと暮らしている
ええええええ。
拷問のようだよ、これ。
っつーか向こうウン10年かの、自らの未来予想図じゃん。(萎)
ただし、ほんじゃあ余所者がちっさくなってて、地元「京都人」は威張り腐っているのか? と言えばコトは古都だけにそうそう単純じゃあないのであーる。アールデコ。
街を見渡すと原色の衣服をまとい目を輝かせウキウキウォッチングしているのは観光客ばかり、かたや地元の人は? と目を凝らしますってぇと、どうも土気色というか塵埃色というか、なんつーか洗いざらしたような風合いの方々で、精気というんが感じられず、まるで亡霊のようでもある。
よくよく目を凝らすから発見できるので、そもそも注意しないと彼らは風景に溶け込んでいて容易に知覚できぬのである、進んで気配を消しておるのだね。
京都の街を紹介する際によく「京都人はうんぬん」と、地元の人はどうなのか考察をお決まりのよにとってつけているけれども、真の意味で「京都人」とは一体どこぞに生息するのやら、わかった上で言ってんのかよ、あーん? とか思うわけだよ。
他地域…ましてや江戸期前はただの沼地に過ぎなかったへげたれの街トーキョーなどには想像も空想もおよびもつかぬ、見たことも聞いたこともないよな激動・変遷の1000年をだね。
浮いたり沈んだり殺したり殺されたりして、めんめんと紡いできた「都」なあ。
そこに住む人々の心は狭く、暗く、臆病で、幾多の年月をずっしりと背負い、
「基本的に閉ざされている」
…のかもしれぬよなあ、と想像。