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photo byAndy Eick

 

生命の設計図「遺伝子」という言葉を聞いたことがある人は多いと思うが、そもそも、遺伝子とはなにか説明できるだろうか。それに、遺伝子という言葉の他にも、似たような状況でDNA、染色体、ゲノムと何種類かの呼び方を聞いたり読んだりしたことがあるだろうが、それらの違いを理解できているだろうか。

当たり前のように目にするので、なんとなく理解できているような気もするが、実は、はっきりとは説明できない遺伝子、DNA、染色体あるいはゲノムだが、実はこの言葉のそれぞれの意味を明確に理解することは、生命の設計図の全体像を把握する近道である。

 

生命の設計「図」といわれる遺伝子だが、実は「図」ではなく、「文章」と考えたほうが正しく理解できる。そして、DNAとはこの生命の設計文章の文字列そのもののことだ。つらつらと、改行もチャプター分けも、句読点も打たれていない、長い一行の文字列がDNAである。

次に遺伝子だが、遺伝子はDNAで綴られた文字列に読点を打って取り出した、「一つ」の設計文章のことである。生命の設計文書は、生物そのものを記述する文章というよりは、生物の構造をつくる各種部品や生命を維持するための各種機械の設計文章が、部品、機械別に沢山書き込まれた構造をしている。つまり、生命の設計文章の中には、複数の遺伝子が書き込まれているのだ。

さらに、読点を打っただけの長い一行の文字列では使いにくいので、改行したりチャプター分けしたりして一冊の本のようにコンパクトに綴じたものを染色体と呼んでいる。

この本は1冊だけではなく複数冊に別れていることもあるので、一つの生物に備わっている設計本1セット全巻を、その生物のゲノムと呼んでいる。(一冊しか持っていない生物では、その一冊がその生物が持つゲノムの全てだ。)

つまり、一つのシリーズものの書籍が 文字→文→巻(冊)→1セット(全巻)という構造になっているように、生命の設計文章も、DNA → 遺伝子 → 染色体 → ゲノムの順で構造化されているとみることができる。

 

4文字64単語の設計文章

それでは、生命の設計文章の全体像について理解できたところで、設計本を開いて文章(DNA)を読んでみよう。

あなたは、そこに使われている文字がA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)というたったの4つの文字(塩基)だけであることにまず驚くだろう。アルファベットですら26文字なのにたった4文字で、何の情報を伝えられるのかと不安になるだろうが、そこは安心してほしい。遺伝子は塩基(文字)3つのつながりを一つの単語(コドン)として読むのだ。そのため、4×4×4=64通りの単語で設計章は綴られている。

64単語。多いだろうか、少ないだろうか。私は最初にそれを知ったと、「たった」64単語「しかない」、と感想をもったが、あなたはどうだろうか。私たち生物はとても複雑で多種多様である。それを、いかに4文字、64単語で語れるのだろうか。その答えは、遺伝子が設計している「もの」にあった。

 

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photo by Duncan Hull

 

遺伝子が設計するもの

遺伝子の中にある一つの単語(コドン)はアミノ酸一つに対応しており、例えばグアニンーアデニンーシトシンという塩基配列のコドンはアスパラギン酸というアミノ酸を意味している。細胞の中には、このコドンを読み、意味されているアミノ酸を、DNAの並び順につなぐ装置があり、遺伝子のとおりにアミノ酸がつながれてできた生成物(=タンパク質)が、遺伝子が設計しているものの正体である。

アミノ酸がつながってできた紐のようなタンパク質だが、実は紐のままで存在するのではなく、自動的に曲がったり、ぐねぐねとらせんを描いたり、あるいは折りたたまれながら非常に複雑な三次元立体構造をとるという性質がある。アミノ酸の並び方が、タンパク質の折れ曲がりや、らせん、あるいは折りたたみに関係しているため、タンパク質はアミノ酸の並び方次第で多種多様で複雑な構造を作り出すことが出来る。そのため、生物の構造の骨格や、あるいは細胞が正常に生存するために不可欠なエネルギー生産、ごみ処理、損傷個所修理・修復のための装置の建材として、生体内では大活躍している素材なのだ。

 

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photo by CLS Research Office

 

つまり、遺伝子は、一次元の紐(アミノ酸の繋がり)さへ作れば、驚くほど複雑な構造を自動的に取れるタンパク質を設計しているので、遺伝子そのものが4文字64単語というシンプルなものであっても、結果として、複雑で多様な生物の設計文章として問題なく機能できるのだ。

 

一つのゲノムから作り出される個性的な細胞たち

私たちの身体は十数兆個の細胞でできており、それぞれの細胞はゲノムをもっている。体の各部を見てみると、皮膚の細胞、毛の細胞、筋肉の細胞など部位によって細胞の形・性質が異なり、まったく別物のように「個性的」だ。一つの生物を作っているが、全く別物のように見える細胞達は、別物の遺伝子がつづられた本を持っているのだろうか。

答えはNOである。どこの細胞を取り出しても、それが同じ生物に由来しているのであれば、過不足なく全く同じゲノム(設計本1セット)を持っている。では、なぜこんなにも異なるのか。それは、細胞が外部からの刺激に応じて、その刺激に応答するための遺伝子を取り出し、タンパク質に翻訳しているからだ。

外部からの刺激は、環境の変化だけでなく、他の細胞からの命令や、隣接する細胞とのコミュニケーションと多様だ。受け取る刺激や命令が異なれば、異なるタンパク質が組み立てられ機能する。くみ上げられたタンパク質の作用は、別な遺伝子からタンパク質をつくるきっかけになるかもしれない。

こうして、受け取った刺激の違いから生じた差異は徐々に蓄積し、同じゲノムを持っていながら異なる「個性」をもった細胞ができあがるのだ。

 

細胞完成後の遺伝子の役割

個性的に細胞が出来上がれば、遺伝子の役目はそれでおしまいだろうか。実は、細胞が完成した後も遺伝子は完成した細胞が、壊れないように、多細胞生物ならば周りの仲間の細胞達と協調して働けるように、完成した構造物(細胞)をメンテナンスするために重要な役割を担っている。実際に機能しているのは、遺伝子から作り出されたタンパク質ではあるが、必要な時に必要なタンパク質を作り出せるのは、ゲノムの中に予め必要な遺伝子が書き込まれているからこそだ。生命の設計文章は単にある構造物を設計するだけでなく、その完成した構造物を壊さないように維持する方法まで書き込まれているのだ。

 

以上のように、遺伝子は生物の構造の情報だけでなく、構造を維持するための方法も含めた情報を運ぶという機能がある。しかも、遺伝子はとてもシンプルな構造ゆえに、細胞が分裂・増殖する際にも、あるいは、子孫に受け継がれるときも、ほとんど損なわれることはなく、何十億年もの間、生物の情報を運ぶ媒体として機能し続けている。

 

遺伝子がない生物(細胞)はありえるのか

それでは、ここで1つの問いかけをしてみたい。遺伝子がない細胞や、遺伝子がない生物はありえるのか。

遺伝子の無い「細胞」はある。代表的なものでいうと、私たちの体の中に流れている「赤血球」が遺伝子の無い細胞だ。赤血球は体の隅々まで細い毛細血管も柔軟に通り抜け、酸素を運搬するという使命を担っている。そのため、その使命を全うするために、細胞が成熟する過程で、核やミトコンドリアといった細胞小器官をすべて捨て去るのだ。

ただ、遺伝子を持たない細胞=赤血球は、果たして、一つの生物だといえるのだろうか。赤血球は私たちの体の中で生物としての機能の一部として働いているにすぎず、それ単体では増殖もしなければ、その構造を維持し続けるための機能も持たず、生物の一部ではあるが、それ一つで生物であるとは言えない。つまり、遺伝子を持たない細胞というのは、多細胞生物は細胞それぞれが役目に応じて機能を特化させる上で生じた特殊な例なのだ。

 

それでは遺伝子のない「生物」はありえるのだろうか。

遺伝子は生物の構造の設計文章で、生物か出来上がった構造物だ。何か構造を設計するものという観点から言えば、例えばあなたが住んでいる家屋も、図面に書かれた設計図をもとに組み立てられた構造物である。遺伝子も図面もどれも構造を設計しているという点では共通だが、出来上がるものは片や生物と呼ばれ、片やただの物体だ。この違いは何なのだろうか。

それは設計図と完成した構造物との関係性にあると思う。遺伝子は構造を設計すると同時に、設計物であるタンパク質を介して、完成した構造が損なわれないように維持するための情報も併せ持っており、さらには、大切にメンテナンスしてもいずれ壊れてしまうであろう物理構造(個体)を見越して、自分のコピー(子孫)をつくることで、その情報を維持するための機能も持っている。一方、設計図は構造が出来上がればそれでおしまいだ。別に雨漏りを直したり、壁のひび割れを直したりはしない。

遺伝子は自ら作った構造を維持しながら、構造物との関係性を保ち続ける一方で、設計図は、構造物が出来上がればそれと無関係の状態になるという点が、遺伝子と設計図の違いでありそれが生物と呼ばれる構造物と、非生物である構造物との違いでもあるのだろう。遺伝子が無ければ、そこに形があったとしても、それは生物とはいえず、ただの構造物になってしまう。つまり、遺伝子のない生物はいない。

ただし、遺伝子の種類については、いろいろな見方が出来るかもしれない。先に遺伝子はATGCという四つの塩基でできた鎖と言いったが、これがAUGCというチミン(T)がU(ウラシル)に変わった遺伝子を使っている生物もいる。さらに、この広い宇宙、塩基ではなくもっと別の物質を塩基の代わりに使っているものもいるのかもしれない。