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photo by archi206 kyoto-seika

※この記事は特集「世界には輪郭なんてない」の記事です。

私は地方都市の小さな設計事務所で主に木造住宅の設計をしている。打ち合わせをしては日々コツコツと図面を書き、模型を作り、工事現場に出向いて職人さんや監督さんと話をしたりしながら、依頼主である家族にとって唯一の住まいをつくっている。

 

建築物の多くは試作のできない一品生産品で、例えば電化製品のように図面通りに何度も試作品をつくり、検証を重ねる事はおよそ不可能である。実際の土地に試しに建ててみて、都合が悪ければ壊して、を繰り返す事など理想的であっても富豪の娯楽でない限り、現実的にはありえない。また、土地によって住宅環境がさまざまに違う以上、パターン化された規格住宅をいくらモデルハウスで体感しても、本当の住み心地を感じることは難しいだろう。

 

我々のようなフルオーダーの建築をつくる場合、出来上がりの姿は模型や図面、3DCGなどから想像力を働かせてイメージするほかなく、様々な計算や原寸での動作検証を行い、依頼主に「住むに、使うに充分か」を納得してもらうしかない。数千万単位の費用がかかるにもかかわらず、建ててみないと分からない要素が多分にある、というのがフルオーダーで建てる建築というものの未だ解消されない悩みであるのは否めず、大きな賭けだと感じる人も少なくない。この大きな賭けからできるだけ大きなリターンを得ること、イメージを超えた満足感を得られるものをつくることが私達の仕事の目指すところになっている。

 

もちろん、「つくる」といっても実物をつくっているのは職人さん達で、私達の仕事でつくるのは図面という線の集合体にすぎない。ただ、この線の集合体がなければ、住宅を建てることはできないのだ。

 

同じ図面でも、一品生産品の建築図面は、電化製品のような大量生産を前提にした製品の図面とは大きく違う。

何度も試作を重ねて出来上がる製品の図面は、改良を重ねた精度の高い図面になり、最終的な完成品と寸分違うことなく一致する。私の夫は某音響機器メーカーの技術者として製品設計に携わっているが、同じ「設計」と名がついていても試作をするかしないかは大きな違いだと感じている。試作し、様々なパターンの動作確認をし、そのたびに出てくる多種多様の問題を改善して初めて生産ラインに乗せる事ができるという。

それに対し、建築物は試作のない一発勝負であり、試しにプロトタイプを建ててみることはできない。

そのかわりに、完成するまでは設計の変更が延々と続けられる。特に工事に入った後は「つくりながら考える」状態で、図面は微細に変化していく。どんなに念入りに線をひいたとしても、実際につくっていく過程で図面通りにいかない点が出てくる事はあるため、全体のイメージを損ねずに要望を満たす方法を模索していくことが必要になる。様々な議論や判断が積み重ねられることで、着工前に一度は「完成」したはずの図面は、建築物の完成にいたるまで変化し続けるのだ。

 

 

私たちが図面に引いた線は、住宅が完成するまでは現実には存在しない抽象的な線だった。その線は、建築物が完成するとともに現実に存在する物体となることでその役割を終える。いっぽうで、建築物そのものやそれを取り巻く環境の中には、さまざまな新しい関係の線を見出すこともできる。

まず建築しようとする敷地と隣の敷地には境界線が存在する。これ1つとっても線のあり方は様々である。敷地はおおよそ多角形でその端点には境界杭という目印があるが、杭同士をつなぐ境界線は塀だったり、道路際の側溝だったり、特になにもない場合もある。

お隣さんとの境界線は、人間関係が垣間見えるところでもある。見られたくないからがっちり高い塀を立てる、それでは心象が悪いだろうからほどよく植樹して目隠しする、はたまた気にしないから何もつくらない。といったことから、「所有関係とその持分をはっきりさせておくために低くても塀を立ててその費用を折半する」なんていうこともある。

建築物そのものに目を向けていくと、室内と室外を隔てる外壁や屋根、室内の間仕切壁もはっきりとした境界線を形作るものであるし、床の高さを変える、材質を変えるなんていうのも境界を作る手法といえる。また、置き家具で大きな空間を仕切り、空間的には一体だが性格の違うスペースを生み出したり、カーテンやロールスクリーンといった簡便なやり方で緩やかに空間を仕切ったり。そのやり方は、なんとなくあちらとこちらを意識させるものから、はっきりと分かるようなものまで色々で、境界線は作り方によって濃淡がある。

外はここだ、中はここだ、玄関はここだ、トイレがここだ、お風呂がここだ、いった具合にあちらとこちらは違うということの認識の繰り返しで空間は作られ、秩序が生まれ、住むことに一定の規律が生まれる事で生活は成り立っているのである。

 

こうした境界線は図面の中では1本の線であっても、実際は物体であり、我々設計者は1本の線に敏感になり、それに立体を見なくてはならない。

例えば、住宅の壁面の足元には多くの場合、幅木(ハバキ)と呼ばれる帯状の部材がある。これは掃除機等がぶつかった時の壁の保護であるのと同時に床材と壁材の取り合い部分を隠すカバーのような役割がある。床材と壁材は異なる材料である事が大半で、そういったものが接する部分は美しく仕上げるのが難しい。

図面にするとこの幅木は横線1本で表現されるのだが、シンプルさを追求するならそこに1本の線を書き加えたくない。そこで床材と壁材がどのような材料・作り方なら幅木無しでもきれいに美しく仕上げられるかを検討したりする。線をより少なくできることは、構成する部材を少なくし、空間をよりシンプルにすることとイコールなのである。そしてこのような線の有る無しの積み重ねで空間の質が決まっていく。それは実際に空間に入った人がすっきりしていると感じるだけのものかもしれない。しかし、1本の線を引くか引かないか、そのことに私達は思い悩むのである。

 

とはいえ、そうやって思い悩みながら苦労して完成させた後も、建築物はいくらでも変化する。扉を取るくらいの小さなものから改築・増築に至るまで、建築物は長い期間を見ると生き物のように変化する。

私達の仕事は、完成引渡しというポイントに向かって、図面を変化させながら理想の形を生み出す作業である。そのポイントを過ぎ手を離れてしまったあとは、私たちが空間に引いた線が消え、新しい別の線が生まれることを、1つの生命体の成長のように受け止めるほかはないのだ。

※この記事は特集「世界には輪郭なんてない」の記事です。