朝起きると、雨の匂いがした。

カーテンを開けると、部屋に鉛色の光が広がり、雨だれがしとしとと涙のように窓を伝って落ちていくのが見える。

こんな日はブラームスのバイオリンソナタ第一番「雨の歌」が聴きたくなる。

CDをかけて彼の音楽の中に身を置いてみる。明るい音楽の中にブラームスの泣きはらした後のようなため息が聞こえる。

 

 

ブラームスの名前を聞いたことがない、という人はそう多くはないだろう。ヨハネス・ブラームス。ドイツ、ハンブルク生まれの作曲家である。

シャイで皮肉屋で不愛想で人付き合いが苦手。それでもなかなかのイケメンだった若かりし彼の周りには、女性の影がないわけではなかったようである。(「太陽のように美しい青年だったらしい!」)しかし交際が進んでいざ結婚となると、とたんに臆病になり逃げだしてしまうという残念なダメ男ぶりで婚期を逃し、結果生涯を独身で通した。

そんな彼がずっと慕い続けていた女性がいた。

クララ・シューマン。作曲家ロベルト・シューマンの妻である。

既に作曲家として地位のあったロベルトは、当時20歳だったブラームスの才能を見出し絶賛。ブラームスを世に出した、いわば恩人である。

ブラームスはよりにもよってその恩人の妻、しかも自分より14歳も年上のクララに叶わぬ恋をしていたと言われている。

二人の間でやりとりされていた手紙の多くは、本人たちの手で破棄されてしまっているのだが、何通かは今も残っており、そこにはブラームスの情熱的な愛が綴られていて、内容は読んでいるこっちが恥ずかしくなってきてしまうほどである。

その愛がプラトニックなものだったのか、実際二人がこっそり付き合っていたのか、その真相は闇の中。今はもう知る由もない。

ロベルトは44歳の時、精神病を患い自殺未遂をする。その後精神病院に収容された彼は、結局2年後にそこで亡くなってしまうのだが、彼の死後もブラームスとクララの関係が発展することはなかった。それでもブラームスは、家族のようにクララと、その7人の子供を支え続けたという。

バイオリンソナタ「雨の歌」のタイトルは、3楽章に彼の歌曲「雨の歌」のメロディーが使われていることからきている。歌曲「雨の歌」の詩を書いたのは、クラウス・グロートという詩人であり、彼をブラームスに紹介したのは外ならぬクララである。その礼として、ブラームスはグロートの詩に曲を付けて、クララの誕生日にプレゼントしていた。歌曲をとても気に入っていたクララのために、そのメロディーを用いてブラームスが新たに作ったのがこの曲だ。

初めて聞いたとき、クララは感動のあまり庭に走り出て泣き出し、言ったという。「天国に持っていきたい」と。

 

1楽章は、明るく暖かいメロディーに満たされている。

第1主題はピアノのシンプルな和音で軽やかに始まる。バイオリンがため息のようにそっと重なり、絡まり合いながら見えない行き先を探る。第2主題へと流れ込むとバイオリンは翼を得たかのように、自由にのびのびと明るいメロディーを歌いあげる。すると、ピアノもバイオリンに寄り添うように、同じメロディーで答える。少しコミカルで、不透明な展開部。音楽はやがて熱をおびて高揚し、聴き手に何か特別にドラマチックなことが起こることを期待させ、、、否。すっと何事もなかったかのように、静かな冒頭のメロディーに戻ってしまう。クララへの抑えきれない愛情が膨れ上がるも、諦めようとする、彼の恋心そのものだ。

 

2楽章は、抒情的なメロディーで幕を開ける。そのメロディーは、ブラームスが以前、クララに宛てた手紙の裏に書いたものだ。クララの末子フェリックスの病状を心配するものであった。フェリックスはもともと病弱で、結局病状は回復せず25歳という若さで病死してしまう。名付け親でもあり、彼をかわいがっていたブラームスはとても落胆した。

このバイオリンソナタはフェリックスが病死した年に完成されている。クララが、「天国に持っていきたい」と言ったのは、この2楽章のテーマが、以前ブラームスから受け取ったフェリックスを見舞う手紙に書かれていたメロディーだと気づき、天国の息子に聞かせてやりたいと思ったからだろう。

 

「雨の歌」のタイトルの由来となった3楽章に耳を澄ます。しとしとと降り注ぐ雨のしずくをピアノが表現しているのが聞こえる。淡々と続く起伏の少ないメロディーが長く続いた後、突如抒情的な、2楽章のメロディーが津波のように押し寄せて膨れ上がる。しかしそれは長く続かず、急速に収束する。再び音楽は静かな雨の描写へと移るのだが、突然、雲間に光が差し、大気に残った雨のしずくが光を反射してきらきらと輝く。陰鬱な短調のメロディーは浄化されて長調へと移り変わり、2楽章のメロディーを回想しながら、泣きはらすように曲を閉じる。

 

 

ブラームスの名曲の多くは、叶わない恋と孤独がなければ、生まれなかった。

現在彼の曲を楽しむ立場の私たちにとってみれば、名曲へのインスピレーションを与え続けた、彼の叶わぬ片想いは大変意義のあるものであったと言えるのだが、ブラームス当人のことを考えるとちょっと気の毒である。

もしも、彼の恋が叶えられていたとしたならば、ブラームスは一体、今どんな作曲家として現代に語られていただろうか。