東人の初京上り。…とは、日本の古典芸能「猿楽」の演目のひとつ。11世紀頃の人気タイトルです。この猿楽、どうやら

 

「東国のド田舎もんめら、へげたれどもが、のたのた京都に上ってきはって、おかしなことばかりしてはりますなぁ、わっはっは、ばーか」

 

というような内容らしい。

 

01

 

こちら京都では「東京から引っ越してきました」と素性を明かすと、室温が3度くらい下がったよなムードとなります。それまでニコニコと小麦粉のこととか会話してたベーカリーの店員さんなどが「東京」という単語以降、「口にチャック」ですかそれみたいなビジュアルで、ちーん…と無言に。

いまだにそれ? 11世紀から変わらんの!? あ〜もー、マジ居辛ぇ。闖入者の心持ち。フッ。

 

何しろ京都の人は東京へ行くのを「上京」とは言わないのだそうだね。

 

そうやおへん。東京方面から京都へ来ることをこそ

 

「上洛」

 

と、呼ぶんえ。

 

(こんな嘘っコ京都弁も、こちらの人にバレたらえらいことだ…オロオロ)
(あ、間違っても京都弁を「方言」とか呼んだらあきまへん、「京言葉」とお呼びっ)

 

 

 

となると東京へ行くのは「下洛」つまり都落ちってぇことでせうか。まあ、実際そんな単語発してる京都人をひとりも見たことはないので、そろそろ死語なのかもわかりませんし、はたまたご高齢の方はまだ使っているのかもしれず、しかし実地に聞くのも怖すぎて無理。

 

この「洛」とはなんぞや? についてはざっくり申し上げて「古い京都市街」っつうことで、「洛中」と呼ぶところのエリア、地図を見るとものの見事に規則正しい「碁盤の目」になってるあの辺りだね〜と思えば合ってるらし。

詳しく記すなら、

 

東大路・西大路・北大路・九条通の内側。だそうでっす。へえ。(鼻水)

 

東は京都市役所・西は西京極・北は京都御所・南は東寺、あたりで、えいやっと囲んだ四角。ってかんじかなぁ。

 

うへえ。

狭い。

 

平安時代に徒歩でテクテク歩いてた範囲と考えれば、そんなもんか。

おもむろに「洛外」やらへと、出たら出たで、手の平返したように、

 

「遺体をぶん投げるエリア」

 

だったそうだしね。

 

ぶん投げてんだから風葬っつーか鳥葬っつーか、両方…? いや、鳥葬はたしかチベットなどで行われ、鳥が食しやすいように砕いたりなんかして、魂を天に届けるという宗教的な意味があったはずだからして。風葬ですねぃ。風葬。

一応、

 

東山区の「鳥辺野」

右京区の「化野」

北区の「蓮台野」

 

という三大風葬地が定められていたそうですが、しまいには風葬地まで運ぶのも間に合わず、そこらに野ざらしになってるご遺体も多かったそうだ。

 

「蓮台野」エリアに今も残る地名、この辺りはもう遺体だらけで血の海で地べたの色まで変わっちゃって、なので「紫野」。可憐な花とか東雲とか想像したら大間違い、紫は血の色だったんですねぃ。

 

あるいは「鳥辺野」なんてどこの僻地かと思いきや、バリバリ清水寺も含まれちゃってるあたり一帯なのだから、あの界隈レンタル着物でそぞろ歩いてる観光目的のおねーちゃんたちとか、まー、うーん、ははってかんじ。

 

(ああ、これか、京都人ならではの、ひん曲がった気持ちは)

(京都移住1年半、だんだん「いけず」に同化してきやがった)

02

 

そうだ京都に転居しよう。と考えた時、奈良住みの知り合いに「京都市内ならどのあたりがおすすめ」と聞いたところ即答で

 

「今出川駅より北」

 

というご返答があり、なぜピンポイントでそこから北なんだろうと当初は不思議だったのですが、これわりと誰に聞いても

 

「今出川より南に下ったらダメ」

 

という返答なので、なんだなんだ、東人(あずまうど)たる、関東のへげたれが京都御所より南方に住むと、投石されたり生ゴミ置かれたりするのかよと思ってましたが、今出川駅とは、上記で説明したところの京都御所らへん、という事なので、ズバリ

 

「洛外に住みなさい」

 

(そうしないといろいろ面倒臭いよ)(いらん苦労したくないっしょ?)(ってなわけ)(わかれよ?)(な?)

 

という有難〜いご­忠言だったんですね。

 

平安時代よりめんめんと1000年以上も意識され続けてきた「洛中」「洛外」の概念は、日常会話でこそ単語をわざわざ出すことがないとしてもだ、いやいや出さないが故に、隠語符丁レベルの秘密裏の周到さをもって、いまだ健在である。ということを学んだのだ、私は。