差し支えなければで良いのですが、どんな事故でなられたのか聞いて良いですか?

工務店に勤めとったから、現場で2階のベランダの足場に登ってた時に4m位から後ろ向いて落ちたんです。まともに背骨をバキッと潰してしまうとこに落ちたみたいで、背骨11・12番、粉砕骨折っていうやつで、脊髄損傷で「あなたはもう歩けませんよ。一生車椅子生活ですよ」と言われて、丸9年経ちましたけどな。その時の事は全く記憶が無いんです。気付いたら病院のベッドに寝とって「あれ?何ここ?」みたいな感じやね。

 

もう手術も終わってからですか?

いえいえ。運び込まれてどれ位かわからんけど、救急で「あれ?体ちょっと動くけど足動かへん」って。もうその時点では、家族はドクターから説明は聞いてたと思うけどね。集中治療室で、ちょっと落ち着くまで引張とったんです。その間何回も目覚めたんは覚えてますわ。

それから3日程したら意識と言うか目が覚めたというんですかな。それで咳したら痰に血が混じってて、何よりもまずそれを処置しないと命に関わると、肺に穴開けて血抜いてくれたみたいです。それなかったらもう完璧にアウトですわ。気楽な話なんやけどね。

 

今でこそ、そう言えるけど、その当時にしたら・・・

そうやけどね。まだらにしか覚えて無いんです。意識不明の重体で運ばれたみたいで、何日位経ってから手術したんかも覚えて無いけどね。そのあと1ヶ月ちょいくらいで転院してすぐリハビリ始まったんです。今は止まったらダメなんですと。

 

あちこちの筋肉とかが固まるんですよね

そう。そう言うんですわ。せやから抜糸する前に始まるんで、痛いんですわ。はははは。でも痛いっていう甘えはきかない。とにかく動け動け動け!リハビリセンターの看護婦さんが、またキツイおばちゃんおってね「あんた何しに来てんの」って言いよるんですわ。「ここはリハビリするとこで寝るとこ違いますよ。寝て治るもんなら皆治りますよ」ってね。

 

優しいこと言うたら動かへん人もおるからですかね

たぶんそうかもしれません。でもね。初期の段階の人間はかなり落ち込んでますやん。気持ちがですよ。全てにおいて落ち込んでますやん。その人間にまだ頭から「何しに来てん」って言われたら・・・何ぬかしとんのこのガキと思ってね。そういう言い方されたんはすごい頭に残ってますわ。

最初に運ばれた病院ではね、精神的にちょっとおかしくなったらまずいから、「家族さんそれだけは気ぃつけてや。おかしなことやりだしたら困るんで」とね。ほんでこっちは気持ちが動揺してると言うかね。夜眠れないんですよ。せやから先生は黙って薬処方してくれて、飲んだら気持ち落ち着くんかちょっとは寝れたんです。

 

安定剤みたいな?

安定剤言うんか睡眠導入剤言うんかな。5年位続いたかな。飲まないと寝られへん。変に気になって。何でも気になって。ひとつ気になりだしたら段々段々うつむいて沈んで行く。ちょっと気になりだしたらかなわんから、寝るちょっと前になったら薬飲む。

 

やっぱり突然動けなくなったらね

急に動かんってとにかく困るから。どこ痛いかしこ痛い言うんは無いけど、下半身は全くあかんし。手はある程度動くけども、裾の感覚は全く無いからね。そういう苦しみは無いんやけども、生活のパターンが一気に変わってしまうんでそれに慣れないと言うんかね。

 

気分的にも落ち込まはりましたよね

あ~もうそんなん。うちの家族全員ごそ~っと落ちたんちゃうんかな。一気に奈落の底じゃないけどね。当時まだ80過ぎた両親おったからな。嫁にしてみたら病院は来てもらわんなん、両親はおるしね。もう大変やったやろなー。子供にしてみてもまだ大学やったからね。仕事はできない。歩くことはできない。じゃあ一体どこまで悪くなってくねんみたいなね。そうなったら全員真っ暗ですわ。

 

うーん

私自身生きるか死ぬかは逃れたけど、まずは生きる方に行ったんやけど、じゃあこれからどうすんねんって話ですわ。年老いた両親居てるのに全部やり変えるっていうんわね。私の怪我自体も中々受け入れられないと言うか、理解できないような状況で、そりゃもう苦労したいうかね。

住んでたところも、元々ガレージやったんを改造して使ったんやけどね。

 

えっ!?ガレージですか?

そうそう家の中みたいどこも行かれへん。帰るとこあれへんから、改造してもらって、ここで何年間かね。

 

段いっぱいありますもんね

家の中玄関からじ~っと見てるだけですわ。両親は年いっとるから全く理解できないしね。そういうショックの中でまあ無理ですわ。それやったらある程度落ち着くまで、そこで生活した方がええかなってね。病院でいてる間に当時の工務店の社長にお願いして、「こういう風に作ってよ」ちゅーてね。狭いスペースですやん。風呂もトイレもベッドも置きたい。パソコンも置きたいですやん。そりゃもう病院で図面書きました。

 

工務店で働いたはったからそれも出来たんですよね

そうそうそのへんはな。自分が使うとこやから、動きやすい使いやすいようにな。これ不便やなあれ不便やなって、自分の家やから毎日生活する場所そのものがね。確実なもんにしないとね。

 

なるほど

余談ですけど、バリアフリーって書いてるとこに泊まりに行ったんですよ。フラットでしたけどね。1番大事な洗面、風呂、トイレの入口が狭くて入れない。

全く立てないから車椅子でって話してんねけども、バリアフリーで本にも乗ってるからお願いしたんですよ。ほんだら全くダメでした。洗面入れないから髭そるのも出来ない、歯も磨けない。3階から1階の車椅子用トイレまで行って、もうええ。次のとこ行こってね。

 

ここまでお話聞いてたら、病院で図面書かれたり退院してからでもそうですけど、すごい前向きに考えはったんですね

これはねやっぱり家族の支援ですわ。支援って言ったらおかしいですけど、尻叩かれて無かったらここまでよう動けんかったかもしれんな。1番厳しかったんはやっぱり嫁がな、尻叩いてくれてたからな。

 

あ~奥さんのお陰なんですね。奥さん強いですね~!

あれは強い。女性強いですわやっぱり。心鬼にしてでも突き放さないと、いつも手差し伸べてたら、わしら段々悪なるばっかりですやん。それこそ下るばかりで悪なるばっかりですわ。

 

奥さんの負担も大きなるしね。年齢いってきたら奥さんもやしね~

皆に負担かかりますやん。お互いやっぱりね。ちょっとでも楽なように自分もその方が楽やし、やっぱり動けないと、ハッキリ言って何でも手貸してもらわんなん。何でもあれしてこれして言わんなん。今はあまり言わなくても何とかおさまってるからな。自分のやりたいことも出来るし、遊びみたいな事もやって、やりたいことやってるから自分の気持ちも晴れるし、家族にも私の為にそんな時間さいてもらわんでも良いし。この事故に関しては労災を使わしてもらって外からの力を借りれます。今思ったら環境としては良かったなと。

落ち着いて来たらこうやって笑ってでも話出来るし、人に相談されたりするしね。「どうやって立ち直ったん」ってよ~言われます。

 

ですよね。自分やったらどうやろって・・・

そんなもん人に頼ってできる位なら皆努力せーへん。やっぱり気持ちも強くならなあかんし、自分なりにどうしたいかしっかりもたなあかんよな。どうしたい何したい。できることをな。でも自分の出来る範囲があるから、それを見つけたらええん違うかと。でも中々それが見つからんみたいやな。

 

そりゃ難しいと思いますわ

ははは。かな!?

 

車椅子の方ってこもりがちになる人も多いじゃないですか

確かにね。出ていけないもんな。病院の室内と違いますやん道がな。ガタガタしてタイヤハマるし、決して優しくない。家におる間だけ心配しなくて良いのは。漕いでても絶対真っ直ぐ行きませんよ。ちょっと傾いてたらそっちに曲がって行くしね。駒やから。道路は大概片方に傾いて行きますわ。

 

私ら健常者にはわからん苦労ありますね

こんなんでずっと生活せんなんならんのは最低ですわ。もう最低やけどな。生かしてもらってるから、何かする事があるから生かしてもらってるから、じゃあ自分何をすればええんやみたいな感じで、木工みたいな工作みたいなことやってるんですよ。最初は大変やったけど、今のとこはまあちょっとできるから楽しいかな。

 

リハビリ兼ねてですか?

カンナ使ったりするんでかなり腕の力ついてきましたわ。訓練じゃないけど普通何もしなかったら座ってるだけやけど、何かしてたら考えることもあるし、頭と指先使ってたらボケ防止にもなるし訓練にもなるかな~と。趣味実益。

 

 

帰りにはすごく雨が降っていたので、カッパをかぶると言って車椅子の後ろから出されたのは・・・ブルーと白の可愛いポンチョでした(笑)

 

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雨の中ポンチョをなびかせてさっそうと帰って行かれる姿を見送りさせて頂きました。ポンチョは可愛いけど・・・やっぱりカッコイイですね。

 

岡本さん雨の中本当に有難うございました!

 

今回岡本さんとのご縁を繋げて頂いた上に、インタビューする場所を無料提供して頂いた(岡本さんが治療の為に通っている)「上山鍼灸接骨院」の上山先生本当に有難うございました。

岡本さんはじめ、沢山の方のご協力があったからこそ、今回のインタビューが実現しましたことを、心より感謝致します。有難うございました。

今回ご協力頂きました方々の情報です。

上山鍼灸院/接骨院

株式会社ワイディーエス(EVC製造販売)

P.Oラボ(義肢装具会社・WVC販売店)

アビリティーズ・ケアネット株式会社