やっぱり、美味しいものが好き
このように、オリーブオイルやラードやバターや、それ以外の油の分布図は、気候や地理的条件、社会的な階層、富裕度に左右されてきた。しかし、人々の嗜好によっても大きく変わってきたのだ。オリーブが育つ地に住むスペイン人たちが、四旬節にまでラードを好んだように、ヨーロッパの各民族の趣向や時代の流行が油の分布図を形成してきたといっても過言ではないのである。
12世紀のドイツに生きたある高名な女子修道院長は、「オリーブオイルを摂取することは健康を維持するためだけである。その味は、あらゆる食材の風味を台無しにし、吐き気さえ催させる」と書いている。はっきりいえば、数々の高名な書物を残したドイツのエリートともいえるこの女性は、オリーブオイルが「嫌い」であったのだ。
もともと、オリーブの木が育たないドイツでは、オリーブオイルのぴりっとした風味はまったく好まれず、動物性油脂のまろやかさが愛された。
イタリア育ちの人でも、北イタリアのクレモナ出身であった10世紀の政治家は、外交官として赴いたコンスタンティノープルで供された料理について、「オリーブオイルがあらゆる料理に使われて、身の毛もよだつ思いがした」と記している。エリート層に属していても、オリーブオイルの伝統がない地域ではまったく評価されていなかったことがわかる。
逆に、オリーブオイルが「大好き」であった地中海地方では、四旬節にオリーブオイルの使用を禁止された修道院もあった。理由は、「オリーブオイルを使用すると料理が美味になりすぎ、聖職者でさえ過食になりがちなため」、節制期間はオリーブオイルを食してはならぬと公布したのである。
そして、イタリア半島の商業都市が北ヨーロッパにまで商業路を広げる時代になると、ジェノヴァやヴェネツィアやピサの港からイギリスやベルギーに向けてオリーブオイルの輸出がはじまる。北イタリアでも、オリーブオイルを愛好する人々が存在していたことを示す事象である。
とはいえ、油と食材の相性というのは存在したようである。つまり、肉類の料理の際はラード、豆類や野菜の料理、サラダ、魚の揚げ物にはオリーブオイルが好ましい、といったたぐいの相性である。この時代、バターはあまりレシピにも登場していない。
バターがヨーロッパの人々のあいだで流行するのは、16世紀に入ってからである。灌漑技術が進み牧草地が確保できるようになり、牛の放牧が可能になったことがひとつ。畜産学も向上し、牛乳の質が向上したことが理由である。
イタリア半島への二度目の蛮族の侵入
15世紀、なぜかオリーブオイルを愛する地中海地方でバターが大流行する。この流行が、ヨーロッパを南下してきた。栄養学者たちは、この現象を「イタリア半島への二度目の蛮族の侵入」と呼んでいる。
一度目の蛮族の侵入とは、歴史上知られる「ゲルマン民族の大移動」のことで、戦争をともなったイタリア半島への侵略は当然武器を持ってなされ、侵略者たちの食の趣向が当時の食にも影響を与えたことは先に書いた。
ところが二度目のイタリア半島の「食卓」の侵略は、まったく静かに進行したのである。理由もよくわかっていない。しかし、ドイツの人々の食の趣向がイタリア半島に侵略してきた象徴的な事象が一つある。
15世紀初めにローマ法王となったマルティヌス五世のお抱えコックは、ヨハネス・ボッケンハイムというドイツ人であった。ちなみに、マルティヌス五世はローマの大貴族の一員で根っからのイタリア人である。ボッケンハイムはさまざまなレシピを残しているが、その中で「オリーブオイル、あるいはバター」という表現が大変多いのが特徴である。風味をまったく異にする油いずれの使用も可能、というのが面白い。そして、卵料理とバターの相性がよいことを世に知らしめたのもグッゲンハイムであった。グッゲンハイムよりわずかなに年下といわれるルネサンス時代のカリスマシェフ、マルティーノ・ダ・コモはパスタの味付けにバターを使用するレシピを残している。
これ以後は、ローマ法王や各地の王族貴族に使える高名なコックたちのレシピに、バターが欠けることはないほど流行した。当時の人文学者たちは、「古代ローマ時代に『蛮族のもの』とされていたバターは、ようやくその汚名を捨てた」と書いている。その流行を忌み、バターを「胃にもたれるもの」として仕える領主に苦言を呈した医師もいたくらいである。しかし、バターの大流行は医師たちの諫言などどこ吹く風で広まった。現在のイタリア人は、ドイツ人のことを「味音痴」として軽侮する。ほかの部門では劣ることが多いので、食文化に関しては優秀なドイツ人を凌駕していると信じたいのだろう。しかし、イタリア料理という食文化の形成過程において、ドイツ人がかくも大きな影響を与えたというのも愉しい事実である。
オリーブオイルとラードとバターの境界線
簡単に振り返ってみよう。
古代では、オリーブオイルが文明の象徴であり、バターやラードは文明の外にいる人々のものとみなされていた。ローマ帝国にラードが普及しても、庶民階級のものという位置づけであった。
中世になると、農耕を業としない民族の台頭により、ラードがヨーロッパを席巻する。キリスト教会にも浸透したこのラードはしかし、ユダヤ社会とイスラム社会にまでは到達していない。ユダヤ人たちは伝統的にガチョウの脂を、イスラム社会では羊の脂が主流であった。地中海世界ではしかし、オリーブオイルが愛好され続けた。オリーブオイルの入手が困難な地方では、クルミやギンバイカ、ごまの油などが使用される。
ルネサンス時代にはバターが流行する。四旬節の油として普及し始めたバターは、15世紀からイタリア南部にまで普及する。灌漑と畜産技術の向上により、生産量も増えたバターは、肉料理にもよく使われるようになり、ラードの使用が減る。
そして18世紀、フランスルイ十四世の時代になると、肉料理はそれまで珍重されていたスパイスを利かせた料理ではなく、バターを使ったまろやかな味のものがフランスで好まれるようになる。権力の頒布図は、そのままヨーロッパの食卓に反映する。貴族から庶民の食卓にまで、バターが普及したのはフランス宮廷の影響と言われている。
イタリアでは、オリーブオイルの人気は不動であったが、フランス王家の影響は避けられず、バターは上流階級のものというイメージが定着するようになる。
現代のイタリアではどうなっているだろうか?
私が考察するに、食の流行とはまず、富裕層からはじまり年月を経てゆっくりと庶民にも普及する。これは、油についてもまったく同様で、侵略された土地は侵略者の嗜好や、カリスマ性を持った料理人の影響を受けて、使う油も時代によって変化を遂げてきたのだと思う。だから、歴史を中では多少の時間のずれはあっても、富裕層とそうでない人々の油の選択は完全に合致する。
また、地理的にみれば、イタリアの郷土料理はこれまた地方ごとの排他性が高い。オリーブの木が育つ地方はオリーブを常用し、乳製品を大量に産する土地はバターの使用頻度が高くなる。
つまり、月並みな言い方をすれば「南イタリアはオリーブオイル」、「北イタリアはバター」という分布図が、各地の郷土料理のレシピだけを見ていれば歴然としているのである。
ところが現状はこうだ。
2016年9月に、乳製品製造組合が行った調査によると、「バターを使用した経験がある」イタリア人は76.8パーセントであった。ところが、「バターを高く評価する」と応えたイタリア人は、イタリア南部が最も高く、イタリア中部・北部を越えて81.6パーセントに上った。
それとは逆に、イタリアオリーブオイル組合が実施した調査では、オリーブオイルの消費量は、なんと北イタリアのロンバルディーア州が年間2400万リットルで第一位、イタリア中部のラツィオ州とトスカーナ州が1500万リットルで二位であった。オリーブオイルの代名詞ともいえるカンパーニア州やシチリア島では、800万リットルにとどまっている。南イタリアでは個人でオリーブの木を所有している人も多く、自家製オリーブオイルの使用度が高いので消費が低い、という理由はあるであろう。が、現在ではオリーブオイルとバターの境界線は、専門家でさえも「非常に曖昧」と表現するほかないのだそうだ。
イタリア人は、イタリア料理が最高と思っているから、異国の料理をあまり受け付けない。フランスのように世界各地に植民地を持った歴史もないから、食文化に関していえばかなり保守的である。それでも、たまさかにフランス料理が流行したり、和食が流行したり、という現象は起こっているのである。そうした現象がイタリアの食文化にも影響を与えたのと同じように、オリーブオイルが覇権を握るイタリアに侵入したバターやラードは、ひそかにイタリアの食文化に根を下ろしていたのだ。
参照元
Gusti del Medioevo
I prodotti, la cucina, la tavola Massimo Montanari 著 Editori Laterza
http://www.ristoramagazine.ch/2015/07/il-confine-immaginario/
http://www.ristorantiweb.com/tra-burro-e-olio-e-pari-e-patta/