※この記事は特集「世界には輪郭なんてない」の記事です。

震災当時のこと

ブログを拝見したのですが、震災の1ヶ月後くらいにはもう被災地に行かれていたのですね。

そうですね。4月の上旬にはもう行っていましたので、そのくらいです。

 

– ブログでも書いていらっしゃいましたが、改めて被災地に行かれたきっかけなどお聞かせください。あのときはテレビなどのメディアでも震災の状況は伝えられていましたし、やはり「行かなきゃ」という使命感のようなものがあったのでしょうか?

行かなきゃっていうことはなかったのですが・・・。

写真仲間はみんなもう行っていましたし、僕は報道写真家というわけじゃありませんから、ニュースの写真をとってもしょうがない。そういう写真を撮る人たちはいっぱいいますから。僕が行く必要はないなと最初は思っていました。

もちろんいろいろと情報は集めていて、それを整理していました。ただやっぱり悶々とはしていて。あの頃はみんなそうだったと思うんですけど、日本人として被災者のために何かしたいという気持ちはありました。

それで、月並ですけど、僕は写真を撮っていますから写真で何かできることをやりたいなとなりまして。いろいろと考えてみたんですが、僕しかできないことをやろうと思っていました。

ちょうどその頃、原発の放射線のことやガイガーカウンターのこと、被災地に物資が届いていないことなどが報道されていました。放射能にまみれて危ないところ、のような報道がされていたんですが、そこに暮らしてる人はどうなんだと。そこに暮らしている人はいるわけで。じゃあその人たちを記録しようと。写真を撮って、それでその人たちに渡そうと。そういうことがきっかけでした。

 

– 原発の建屋が爆発している映像がテレビで伝えられましたが、あれの後に行かれたんですか?

後ですね。あれはたしか3/15くらいですよね。

 

– あの当時はまだ混乱していた時期でしたが、怖くはなかったですか?

知識がなかったから行けたというのもありますね。知ってたら行けなかったんじゃないかな(笑)

 

– 原発の近くまで行きましたか?

近くまで行きましたけど、よくわからなかったですね。現地では飯館がヤバイとかいろいろ言われていましたけど。

 

– 最初に取材した人は覚えていますか?

覚えて・・・ないですね。最初に取材した人というか、最初に避難所に行きました。避難所で寝泊まりするしかないかなと思っていましたので。それで、避難所に着いて、その両隣の人と話しましたし、そこでいろいろと聞きました。避難所で会った人たちも写真をたくさん撮っていましたね。

南相馬には「野馬追い」っていうお祭りがあって、そこには昔から行きたかったんですが、行けてなかったんですね。僕は馬が好きなので、馬がどうなってるんだろうということが気になっていました。それで南相馬に行ったというのもありましたので、馬を飼っている人のところに最初に行ったと思います。

– その後は、その方に紹介してもらって。

そうですね。その方がけっこう手伝ってくれました。いろいろなところに連れて行ってくれたり。ツアー的なかんじで、津波の被害があった場所とか「ここが結構危なかったんだよ」とか。

 

– 被災地はどんな状況でしたか?悲惨な状況だっと思いますが・・。

まあでも、死体は見てないです。瓦礫の山とか。ある程度テレビで見ていましたし、震災前の風景も知りませんので、想像を超えることはなかったです。ヴィジュアル的には。

それより人が全然いなかったのが印象に残っています。30km圏内で屋内待機とかそういう指示がでていて、残った人は人口の1割くらいだったのかな。みんな逃げていってしまっていました。8万人いたのが8千人くらいしかいなかった。

– 津波はどのあたりまで来ていましたか?

国道(6号線)かな?場所によっては国道をちょっと超えて。

 

– 原町のあたりは直接的な被害にはあっていなかったのですね。

そうですね。市内はほとんど大丈夫でした。一見普通でした。でも人がいない。

 

– 避難所はどうでしたか?みなさん落ち着いて生活をしていたのでしょうか?

まあ直後はみんな協力的だし、こういう事態だから我慢して助け合わないといけないというのがありました。僕なんかもそんな煙たがられなかったです。「来てくれてありがとう」というような雰囲気でした、最初は。

 

– だんだん変わってきた?

だんだん変わってきました(笑)

「なんだこいつは」みたいな。やっぱり日が経つにつれてストレスもたまっていくし、家に戻れないっていうのは異常ですからね。

それととにかく狭い。ダンボールで区切ってやってますけど、一人一畳くらいのスペースで、狭いし、音は丸聞こえだし。まあ、変わった人もいますし。

あれはきついでしょうね。

 

– 1回の取材でだいたいどれくらいの期間滞在していましたか?

1週間くらいです。

 

– それを何回かに分けて?

8月くらいまでは月1で行っていました。その後は3ヶ月に1回くらい。

プライベートで結婚して子供が生まれたので、それからは頻度は落ちましたね。

今年は多めに行ってたんですが、ペース的には今は1年に1回くらいです。

 

– 取材で心に残っている人はいますか?

みんな心に残っていますけど、撮影を断られたことが結構心に残っていますね。断られることのほうが多かったです。そっちのほうがひっかかっています。

 

– どんな風に声をかけるんですか?

普通に「東京から来た写真家ですけど、撮らせてもらってもいいですか?」みたいに。

やだっていう人もいるし、何のために撮るんだ!っていう人もいるし。

 

– たしかにあの状況だと・・しょうがないのかもしれません。

みんな誰かしら亡くしていますからね。家族とか友人とか親戚とか。

逆の立場だったら僕も取材受けないかな・・。

そういうかんじで断られてもやっていくっていう・・・そのことが心に残っています。

 

– よく続けましたね。

まあ断られるのは慣れてますからね。ずっと写真は撮ってきたから。

とはいえ、断れ続けると、まあ落ちますよ。今日写真全然撮ってないけど・・・みたいな。(笑)

 

– 撮った写真は送ってあげていたんですか?

手渡ししていました。次回行ったときに。

 

– 喜んでくれましたか?

撮ってくれてありがとう、っていう人もいるし。まあ普通にありがとうっていう感じの人もいました。

写真撮ったあとも定期的に会うひともいるし、疎遠になる人もいるし・・。そのへんは相性というのもありますからね。

 

– ブログの写真の構図は正面からのものが多いですが、何か理由があるのでしょうか?

6×6の宿命です。正方形。(編集注:カメラのフォーマットのこと)

こういうシリーズだから、奇をてらって撮る必要はありません。その人をそのまま撮ろうとすると、やっぱり正面になります。僕も逃げたくなかったし、相手にも向かってきて欲しかったんです。