よくわからなくなるお金のはなし

What is money?

”キルゴア・トラウトは金のなる木をテーマにした本も一冊書いている。
その木は、葉の変わりに20ドル札をつける。
花は国債。果実はダイヤモンドである。
人間たちはそれに魅せられ、根の周囲で殺しあいをする。
死体は良質の肥料となる。そういうものだ。”
カート・ヴォネガット「スローターハウス5」より

高校生のころ、歴史の授業が好きだった。
特に世界史。
教科書に書かれた言葉を頼りに、世界中の戦場に顔をだした。
小さな男の子が特撮ヒーローに憧れるように、空想のなかで、
わたしは古代ローマの戦士であり中世の騎士であった。
しかし、20世紀に起こった二つの大きな戦争が終わると、
わたしの空想も終わりを告げることになる。
争いは終わり、世界は平和になったのだ。
少なくとも教科書のうえでは。

お金のことも教科書には書かれていた。
農耕がはじまり物々交換から貨幣が誕生していくまでの過程。
海をまたぎ砂漠をこえて交易を行う諸民族。世界ではじめての「会社」と、帝国主義。
そして市場経済を否定する社会主義は敗れ、人々はより「人間的」な資本主義を迎え入れた。

高校生のわたしは、お金のことも、「解決済み」だと思っていた。
いろいろと問題はあるかもしれないが、世界経済はおおむね正しい方向に向かっている。
あとは細かい修繕を繰り返していくだけだ、と。

けれど、実際には、全然そんなことはなかった。

あと100年経てば、
いまの時代のお金は「そういう時代があった」として教科書に書かれるだろう。
100年後には、もっと優れた資源の分配システムが作られれているはずだ。
おそらくそこにはコンピューター・テクノロジーの力が大きく関わっている。

でも、100年後まで待たないといけない?

わたしたちはもっと疑ってもよいのだと思う。
この世界で解決済みになっていることについて。
わたしたちが、本当は何を欲望しているのか、何を欲望すべきなのか、について。

CIRCUS 編集部