高校生のころ、歴史の授業が好きだった。
特に世界史。
教科書に書かれた言葉を頼りに、世界中の戦場に顔をだした。
小さな男の子が特撮ヒーローに憧れるように、空想のなかで、
わたしは古代ローマの戦士であり中世の騎士であった。
しかし、20世紀に起こった二つの大きな戦争が終わると、
わたしの空想も終わりを告げることになる。
争いは終わり、世界は平和になったのだ。
少なくとも教科書のうえでは。
お金のことも教科書には書かれていた。
農耕がはじまり物々交換から貨幣が誕生していくまでの過程。
海をまたぎ砂漠をこえて交易を行う諸民族。世界ではじめての「会社」と、帝国主義。
そして市場経済を否定する社会主義は敗れ、人々はより「人間的」な資本主義を迎え入れた。
高校生のわたしは、お金のことも、「解決済み」だと思っていた。
いろいろと問題はあるかもしれないが、世界経済はおおむね正しい方向に向かっている。
あとは細かい修繕を繰り返していくだけだ、と。
けれど、実際には、全然そんなことはなかった。
あと100年経てば、
いまの時代のお金は「そういう時代があった」として教科書に書かれるだろう。
100年後には、もっと優れた資源の分配システムが作られれているはずだ。
おそらくそこにはコンピューター・テクノロジーの力が大きく関わっている。
でも、100年後まで待たないといけない?
わたしたちはもっと疑ってもよいのだと思う。
この世界で解決済みになっていることについて。
わたしたちが、本当は何を欲望しているのか、何を欲望すべきなのか、について。
CIRCUS 編集部