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※この記事は、特集「よくわからなくなるお金のはなし」の記事です。

 

皆さん、唐突ですが、1万円札を刷るよりも1円玉をつくるコストの方が高いそうですよ。

 

がーん。

 

前々から薄々「なんじゃ紙っぺらのくせに」と思わぬでもありませんでしたが、物質としてフラットな目で見ると1万円札は1円玉に劣っているのだなあ。

現代における貨幣制度というものがいかに揺るぎない「信用」の上に成り立っているのかということを、嫌でも思い知らされます。

貨幣制度というもの、かような無条件かつ万年の巌の如き盤石な信用のされっぷりたるや。いいの? こんなんで。そもそもお金ってなんなんだ?

 

何しろ皆さん。

 

「世界の富の半分が5〜6%の一部の人間に集中」している(!)という現代death。

世界規模で見ればお金は余りに余り、だぶついている(!)のだそうdeath。

 

えー。

 

貧しさの悲惨を嘆くのも、そら感傷的な意味では愛なのでしょうが、コトの本質は貧困の存在ではなく大元の「富の偏在」にこそあり。ピラミッドの底辺で呻いているその呻きこそが、作られた構造の産物に過ぎんのでは? お金持ってる人ほどより偉い、貧乏人はクズ、と今日日はそこらの童だって認識しています。おいおい、たかがお金だよ。金というモンスターが、あまりに力を持ちすぎている。

 

…と、井戸にはまり込んだよな気持ちのところへ、かすかな一筋の光をもたらす概念があります

 

自由貨幣とはなんぞや

 

それは、ドイツの経済学者、シルビオ・ゲゼルが提唱した「自由貨幣」という概念です。

 

同じドイツの作家であるミヒャエル・エンデが書いた、日本でも人気のファンタジー小説『モモ』。“時間泥棒”なる悪党が暗躍する中、主人公が人々から盗まれた時間を取り戻す、微笑ましくも勇ましいストーリー。

…として良く知られていますがじつはこのお話、シルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」を着想の元にしているのだそうです。

誰もが単純に見つけ出す「みんな、忙しい生活を見直そうね♪」というテーマだけでは決してなく、

 

「利子が利子を生む経済システムへの警鐘」

 

という真意が、含まれている。

 

利子は得するもの、という印象を持ちますが、実際多くの人にとっては利子による利益よりも損失の方がよほど多く、そもそも資本主義社会の「経済成長し続けなければいけない」という強迫観念は、利子の確保のために他なりません。

エンデ氏はこうしたことを総括して「今日のシステムの犠牲者」とまで述べていました。じゃあ一体どうすりゃいいの? とモモでなくても思いますよね。

 

減価する貨幣

 

ゲゼル氏は著書「自由的経済秩序」(1912年刊行)の中で

 

「この世のあらゆるものが時間経過とともに劣化し減価するのに、お金だけが減価しないのはおかしい。お金もまた、老化すべきである」

 

と説き、

 

「自由貨幣」=「減価する貨幣」

 

を提唱しています。具体的には「スタンプ貨幣」なるものを考案、曰く

  • 紙幣に多数のマス目を印刷しておく。
  • 一定期間ごとに、一定額のスタンプ(印紙)を購入し、マス目に貼る。

…これが、お金を時間経過とともに減価させる仕組み。(アナログ社会の当時は、です)

ほお。

 

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一体何故お金の価値が減らなければならぬのでせうか。

 

貧民はそんな話を聞くと縮みあがり昼間から布団かぶって寝てしまいそうですが、先般我が国でも日銀が導入した「マイナス金利」の性質を、最初から“貨幣に持たせてしまう”イメージ。

これは何も、人々からお金を取り上げようというイジワルなどではなく、貨幣の“流通速度を上げる”ことが真の目的。

我々はお金がどんどこ出回る=インフレ、というイメージしか抱きませんが、自由貨幣制度下では「物資の取引量と通貨量がいつもバランスのとれた状態」故に、インフレもデフレも起きないのだそうですね。

 

また、いくら持っていても金利がつかず減価するのですから、特定箇所への資本の停滞構造も瓦解します。ゲゼル氏は

 

「お金も血液と同じように、役目を果たしたら排泄され、消えるべきである」

 

と言っており、これを聞くとまたもや一切の蓄財ができないのかっ!? とヤカンと枕持って駆け出したくなりますが、ゴールドや貴金属までも吐き出せと言っているにあらず。停滞させたくないのはあくまでも「通貨の流通」だけであり、貴金属の類いの購入は経済活動の一環に過ぎぬ、という考え方。目的である「通貨流通のスピードを上げる」妨げとはなりません。

 

…そんなこと言うけど、机上の空論じゃないの? と鼻で嗤いたくなる向きもおられるでしょう。この自由貨幣制度、実際にドイツやオーストリアで地域通貨的に取り入れた結果、あっさり「経済が再生した」という例がいくつもあるそう。スイスのWIR銀行は自由貨幣の理論を元に創設され、今も地域通貨WIRを発行していたりもします。知らんかった。

 

自由通貨制度下では誰もが「お金ありき」で物事を始めるのではなく、必要が生じた時に「お金を作り出す」。減価により発生する余剰分は、「困窮者へと還元」される。そもそも貯金する必要もないそうで(!)。

現行の貨幣制度にどっぷり浸かっている我々には、容易に想像できないニューワールドではありませんか!

 

来たるべき相互扶助社会

 

日本は経済成長が見込めない、マイナス成長の時代に入りました。

最後の砦の中国が失速したら、我が国のみならず、世界恐慌そして資本主義の終わりが来るのかもしれません。そもそも、大量生産・大量消費・大量破棄をぐるぐる回すやり方など、とうの昔に制度疲労を起こしている、としか思えません…。

 

自由貨幣の考え方は、資本主義でもなく共産主義でもない

 

「自由主義的社会主義」

 

と呼ばれているのだそうです。貨幣に与え過ぎていた「資本」としての増大な価値を剥奪し、本来の意味

 

「物やサービスの交換手段」

 

に、素朴に立ち返っていただく。資本主義社会に陰りが見られる今、新たなお金のあり方として、少なくとも皆が「知っておいたほうが良い概念」ではないかと感じます。

 

自由貨幣を考える時に見えてくるのは、行き過ぎた資本主義社会の狂ったような「顔の見えない経済活動」→「顔の見えるコミュニティ的経済活動」への転換です。お金をジャブジャブ使ってドンドコ経済回そうぜぃ! というイケイケムードというよりは、

 

「相互扶助」

 

的側面の方がいかにも大きいです。

何十年かかるのかは知りませんが、ゲゼルの思想が命吹き返し、来たるべき新しい社会の指針となりそうな、微かな予感。

ここ数年で活性化している「シェアリング」、ひいては「物々交換」「労働交換」の密かなブームも、もしかしたらひとつの息吹なのかもしれません。

 

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