前回は「季語でひろがる俳句」と題して、俳句と季語のかかわりをご紹介しました。実際の季語を、いくつか手にとって触れてたしかめ、無季俳句の歴史を振り返り、俳句になぜ季語が必要なのかということを考えました。
季語というパスポートを手にしたら、すでに俳句の大門をくぐった、と考えてよいと思います。
もちろん実際には、よりたくさんの季語を自分の中にとり入れ、それを現実の季節の中で感じとるという訓練は延々とつづきます。
それでも、歳時記さえあれば、誰の俳句であっても自由に読むことができるようになっているはずです。
まえ置きがながくなりましたが、今回はその先にはいったいどんな世界が待っているのか、ということをご紹介します。
いま、俳句の門をくぐったあなたの目の前には、俳句にしたしむための世界が広がっています。
俳句の世界にしたしむ、とひとことで言ってもいろいろな方法があります。大まかには、独学の方法と、人から習う方法の二つにわけることができます。
独学の方法はあとでまとめてのべるとして、ここでは人から習う方法についてご紹介したいと思います。
人から習う方法もいくつの道に枝わかれをするのですが、ここでは主に俳句結社というものの存在をお話ししたいと思います。
俳句結社ってどんなところ?
俳句結社、というものがあります。単に「結社」と呼ばれたりします。もちろん俳句などというものに近寄らず普通に生活している限りは、まったく縁のないものです。
結社などというと、なんだか仰々しく、秘密結社などという不穏な組織をイメージされるかもしれませんね。
多少おおざっぱにいえば、大人の俳句サークル、といった方がわかりやすいかもしれません。俳句にしたしむ人の集まりであり、いわゆる先生のような存在がいて「主宰」と呼ばれています。
俳句結社の役割の一つに、俳誌とよばれる俳句雑誌の発行があります。
俳句結社に参加するのにはこの俳誌の購読というのが必要になっています。そしてこの講読料が俳句結社を支えているのです。
ちなみに俳誌ってどんなことが書かれているのでしょうか。どこの俳誌でも掲載される内容ははおおむね共通するところがあるようです。代表的なものを以下に挙げてみます。
【主宰の新作俳句】
巻頭に登場するパターンが多いです。
【俳文】
俳句を文章にしたようなものを俳文といいます。
【投句欄】
会員が投稿した俳句(投句といいます)掲載されます。もちろん主宰による選を受けるので、一定の実力は必要ですが、自分の俳句が活字化される、というところが結社に参加する魅力の一つなんだろうと思います。
【句会報告】
最近の句会の開催概要と句会で詠まれた俳句が列記されます。
つまり俳句結社とは同人誌にちかいものといえるでしょうか。
俳句結社のもう一つの役割は、句会をおこなうことです。
句会、というと何かとてつもなく大がかりな会合をイメージされるかもしれませんが、そんなことはありません。以下、私がはじめて句会に参加したときのようすを実況中継ふうにご紹介します。
句会のようすを実況します!
結社に参加してまもない頃、一枚のはがきを結社の支部の方からいただきました。おおむねつぎのようなことが書かれています。
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この度、結社にご参加いただいたとのこと、主宰より連絡がありました。
次の日曜日に月例の句会がありますので、よろしければご参加ください。
当日は、俳句4句をお持ちください。
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句会へのおさそいです。
参加します、という旨の返信を送り、さて何をすればよいのだろう?と考えました。ひとまず日程や持ち物を確認します。
また、句会用の俳句を作らなければなりません。自分で好き勝手に作るのとはちがって、人の目をはじめから意識して作るのはなかなか緊張しますが、なんとかひねり出しました。
①入室
当日。間に合うように到着した私は、まず会場の案内板で今日の催事を確認します。
目指すべき部屋を間違えないようフロア図で確認してから向かうと(方向音痴なのです)、すでに準備をしている方がいます。
挨拶をして名前とはじめての句会参加であることを伝えると、句会のすすめ方の説明とともに使用するグッズを手渡してくれました。
グッズとその用途は以下のような感じです。
【白短冊】(4枚)
用意した自作の俳句を書いて提出するためのもの。
【清記用紙】(1枚)
シャッフルされた白短冊のうち、割り当てられたものを清書するための用紙。
【選句用紙】(1枚)
清記用紙を回覧しつつ、自分がいいなとともった俳句を記録するための用紙。
【緑短冊】(1枚)
この句会の最後に、自作句の中の残したい句を転記し、提出(後日の俳誌に掲載される)
②出句
白短冊に作ってきた俳句を転記して指定の机に乗せます。全員の俳句が均等になるよう、4枚を4か所に分けて伏せておくような感じです。
なお、白短冊には名前は書きませんので、誰の俳句かわからないようになっています。
短冊というと七夕のイメージですが、七夕のものより小ぶりでした。
見ていると、後から到着する参加者もおなじように出句しています。
③顔合わせ
やがて主催が来場し、いよいよ句会のはじまりです。
司会の進行により句会がはじまります。
まず主宰のあいさつ。
つぎに初参加者のあいさつを求められ、なにも考えていなかった私はかなり慌てました。
名前と生年(ここで少しどよめく)とごく浅い俳句歴を告げて簡単にあいさつをのべました。
④清記
ここで、各自が出句した白短冊が配られ、清記用紙への転記を行います。
割り当てられた白短冊をA4判の清記用紙に転記してゆきます。
⑤選句
全員の清記が終わったところで、今度は清記用紙を回し読みします。
このとき、良いとおもった俳句は持参したノートにメモしておきます。
紙の音とペンの音のみの静かな時間です。学校の試験中のようでもあります。
のんびりしていると、あとから回される転記用紙に追いつかれてしまうな、というけっこうなプレッシャーがあります。
一巡したあと、今度は選んだ俳句を選句用紙に清書していきます。
選句用紙が回収されると、主宰の元に集められ、さらに司会から優秀句の発表が行われます。これを披講といいます。
⑥披講
さきに白状してしまうと、このとき私の出した4句は、まったくカスリもしない結果に終わりました。
唯一の救いは、選句した5句のうち3句が句会のベスト5に入ったことです。
この段階では、優秀句が誰の作品かがわからない状態ですので、俳句そのものを音読して発表するかたちになります。
さらに発表のたびに
「この句はどなたでしょうか?」
と司会が一座のメンバーに問いかけるかたちになります。
作者はそこで、それは自分の作品だという意思表示をするのですが、そのことを「名乗り」といいます。
名乗りは、名前だけを告げるやり方で行うのが一般的なようです。仮に、私の句が選ばれたばあいには「涼太」と名乗ることになります。「はい!」とか「私です」だとわかりにくいためにそうするのでしょうが、はじめての私にはコミカルな感じがして楽しかったです(じっさいには淡々とすすむところで、笑っちゃダメな空気です)。
⑦選評
このあと主宰の選評があり、選に入った俳句の読み方や連想のポイントについて解説がありました。
時おり、主宰に質問するメンバーがいて、かるく議論のように白熱した感じにもなりますが、主宰はそれにひとつひとつ丁寧に答えていました。
⑧自作句の校正、提出
最後に、自作句の校正と提出があります。
これは、句会の選句にとり上げられたかどうかではなく、今回の一番の自信作を提出することになります。
緑の短冊に書き直して提出すると、それが俳誌の句会の報告欄に掲載されるという流れです。
緑短冊を提出すると、句会終了。簡単なあいさつと次回の開催日時の確認のあと解散になりました。
以上、大まかな句会の流れをご紹介しました。実際には、はじめて尽くしでまごまごしてばかりいたのですが、それなりに感じるところはありました。以下、帰り道に考えたことも書き足してみます。
会場を出た私は、おおきくふたつのことを考えていました。
一つは、特に私のような初心者のばあいは「俳句のでき栄えは気にしなくていい」ということです。
じつは選評のなかで、主宰から私の句についていくつかアドバイスを受けていました。
要約すると、説明にならずに実感が伝わる詠み方を心がけること、という趣旨でした。
そもそも、初心者の私が出来ばえを気にすること自体に無理があるだろうと。それに句会のような場では、いっそ疑問や課題を持ち込んで、それをタネに学ぶ方がよいのだな、ということもわかりました。
もう一つは「若い人は歓迎されるんだな」ということです。
私が初めて句会に参加したときの年齢は、33歳でしたが、それでも自己紹介で生年をつげたときには、かるくどよめきがありました。
若い世代が歓迎される理由は、結社の経営上のこともあるでしょうが、ジェネレーションギャップによるいい意味での刺激、カンフル剤になりうる、ということもあるのかなと思います。
感想といいつつ、かなり理屈っぽいことを書きました。
蛇足ながらぶっちゃけた補足をすると、句会ってかなり楽しいです。
いろいろな考え方があることに気づかされますし、親世代あるいは祖父母世代の方と話すことができるのは、俳句というツールならではかなぁと感じます。
他にもある俳句への親しみ方
高いか、低いかはともかく結社や句会というものに敷居を感じる人は多いと思います。
私はもともと人見知りしてしまうタチなので、知らない人のグループに入っていくことのしんどさはよくわかります。
そこで、結社や句会以外に俳句にしたしむ方法をご紹介したいと思います。
【インターネット句会】
文字どおりインターネット上の句会です。結社が運営をしている場合も多く、大きなところでは現代俳句協会が運営するものもあります。そのほかにも様々なコミュニティがあります。
ルールや決まりごともまちまちで、主宰のような特定人が判定するやり方と、互選といって投句者が相互に票を投じるやり方に大きく分かれています。
リアルな句会とちがって、はじめから俳句と作者が紐づいた形になるのが特徴で、したがって当然ながら「名乗り」も存在しえません。
人と顔を合わせなくて良いのは確かに気楽ですし、それでいて他人の評価を得ることができるのも、インターネット句会の大きなメリットです。
ただ、運営母体によってレベルや方針に大きな差があることや、お互いに顔が見えないことで意思疎通がむずかしいといったインターネット特有のデメリットもあります。
【カルチャースクール】
いわゆる俳句教室ですから、講師の先生と生徒という図式になります。お客さんとして授業を受けるわけですから、その点では、結社の句会よりも人間関係がシンプルで、それほど批評めいた指導というのもないのではないかと想像します。
また、講師がどこかの結社に所属していることも多く、俳句教室経由で(講師の)結社に参加する受講者もいるようです。
【新聞・雑誌の俳句欄への投句】
ほとんどの日刊紙には週に一回ていどの割合で俳句欄が設けられています。また、結社の出している俳誌とは別に、商業誌として俳句をテーマにしたものもあります。
いずれも選者は各紙とも有名な俳人であることが多いので、掲載されることでモチベーションが上がりそうです。
今回は、俳句にしたしむ方法のうち、俳句結社と句会を中心に、他人から学ぶということについて考えてみました。
これは私の信念にちかいことなのですが、どのような道を歩んでいくのか、ということに正解はないだろうと思います。
まさに、学問に王道なし、ですね。
俳句にしたしむ道は、一つ一つ、目で見て、手にふれ、耳できき、肌で感じて、それこそ体で感じて歩んでいく世界なんだろうと思います。
それでは、また次回お会いしましょう!