この夏休み、我が家はエミーリア・ロマーニャからマルケ州を旅行してきた。

イタリアは地方によって料理が変わるから、ローマ近郊の田舎に住む我々にとっては旅行先での食事は最も楽しみにしているもののひとつだ。普段は食材の選択から食品の原材料にうるさい夫も、たまさかの旅行では手綱をゆるめる。

 

 

今回の旅行先のエミーリア・ロマーニャは、美食の都ボローニャを州都としている。というわけで、普段はあまり食べないコテコテのイタ飯をたらふく食べてきた。なにがコテコテかというと、とにかくサラミや生ハム、腸詰めといった加工肉がおいしい。そして、加工肉をふんだんに使った料理もおいしい。イーモラで食べた「腸詰めと赤タマネギのマカロニ」は、マカロニの量よりも肉の量のほうが断然多かった。

マルケ州に南下し、マチェラータ近郊の修道院で購入しそのまま修道院の庭で食したサラミや生ハムも、ローマでは味わったことがない美味であった。この地方は加工肉の消費がイタリア国内でも突出して多いところで、ゆえに発ガン率もほかの地方よりも高いといわれている。しかし、これだけおいしいものを退けて生活するのは、これまた至難の業だろうと思ったものだ。

 

 マルケ州で食した修道院特製サラミとパン  
マルケ州で食した修道院特製サラミとパン

 

我が家は普段は豆類が中心のヴェジタリアンに近い生活である。といっても、動物愛護のポリシーからではなく、ただただ健康上の理由による。娘が生まれたあと、夫は食に関する書籍を読みあさった。そして自らのダイエットのためにも、肉の量は最小限に抑え、タンパク質は豆類から摂取と決めたのだった。とはいえ、彼は出張先ではその土地の美味いものを食べるし、妻である私が「たまにはがっつりお肉が食べたくなっちゃった」と言って近所の豚肉専門店で生ハムを買ってきても黙認している。もうすぐ6才になる娘は、豆も野菜も果物も食べ、現在のところ偏食の傾向もない。食生活にもたまには「息抜き」が必要と、口うるさい夫も思っているのだろう。

 

ヴィーガン、という言葉が闊歩しはじめたのはここ2,3年のことだと思う。

歌手のマドンナがはじめたことで話題になり、イタリアでもあっという間にその言葉が広がった。義弟が経営するレストランのメニューも、「ヴェジタリアンでも可」「ヴィーガンでも可」という印がつくようになった。私が豆腐や玄米などを買いに行くオーガニック食品のスーパーマーケットでも、ヴィーガン用の食材が増えた。豆腐にはでかでかと「VEGAN」の文字が躍っている。日本が誇るこの食材は、ヴィーガンの人々にとっては貴重なタンパク源である。

 

しかし、動物愛護の精神からありとあらゆる動物性の食材を排除するというヴィーガンに同調できないという人々もいる。

イタリアのラジオ番組「ラ・ザンザーラ」を仕切っているジャーナリスト、ジュゼッペ・クルチャーニもその一人だ。彼は、ヴィーガンの人々の神経を逆なでするかのように、なんとラジオの生放送中にスタジオ内でウサギを料理して食する様子を中継したのだ。

これにヴィーガンの人々は激高した。スタジオの外にまでヴィーガンや動物愛護協会の人々が抗議に殺到した。実際、クルチャーニにつかみかからんばかりの人たちが、スタジオがある建物の玄関に押し寄せている映像がラジオの公式サイトに残されている。

ちなみに、この「ラ・ザンザーラ」というラジオ番組は、質としては上等に属しており、過去にも何度かジャーナリストに関する賞を受賞している番組だ。クルチャーニは、大仰な言動が鼻につくところもあるジャーナリストだし、ここ最近は言葉遣いも下品になったきらいはある。が、問題提起という点に関しては才能がある人でもある。私の夫も姑も、夕方の車のなかではよくこの番組を聴いている。だから、リスナーに多くのヴィーガンがいても不思議ではないのだ。

 

ところが、クルチャーニに同調する人々も多かった。「私は85才だ。85年間、肉を食べ続けているが、健康にまったく問題ない」というイタリアの田舎のおじさんたちが、スタジオに山ほど自分が作ったサラミや加工肉を送ってくるようになった。クルチャーニは、「今日届いたサラミは2メートルを超す巨大なもので、スタジオに入りきらない」と笑ったものだ。

クルチャーニに同調した一人に、俳優のルーカ・ビッザーリがいる。彼はサラミに頬ずりしている写真をフェイスブックに投稿した。彼の主張は、「食卓やベッドではそれぞれが好きなように振る舞う自由があるべきだ、自らの主張を正当化して他人に押しつけるのは辞めろ」、というものだった。このコメントは大炎上しこれまたヴィーガンの人々は大反発。フェイスブック側はビッザーリの投稿を削除した。「検閲されたサラミ」として、これも大ニュースになった。

 

このニュースを読んだ私は、「肉を食べない人たちも過激だな」と思ったものだ。主義主張を貫くのは立派なことだと思うし、動物愛護は立派な大義だ。「肉を食べる人々は好戦的」というイメージがあったが、肉を食べない禁欲的な人々もこのような行動にでるのだ。

 

私の周辺にも、ヴェジタリアンは何人かいる。しかし、ヴィーガンはまだお目にかかったことがない。チーズ、卵、牛乳といった動物性のものを一切排除することは、現在のイタリアでは日常生活を送るのにも非常な困難を要する。大きな都市であれば、ヴィーガンの要求に応じた料理も用意しているレストランがあるが、バカンスで田舎町に行こうものなら食べるものは何一つないだろう。特殊な加工法しか認めていない、厳格なユダヤ教徒のように彼らだけのコミュニティーでも作るしかないのではないか、と思ったこともある。

つまり、相当な覚悟を持って「私はヴィーガンです」と宣言しないと、初志は貫徹できない。そして、動物性のものを一切排除する食生活というのは、経済的にも恵まれた人たちのみに許された特権だろう。オーガニックのスーパーマーケットに行き「ヴィーガンでも可」とパッケージに書かれた食品を買い物かごに入れていけば、二日分の食材でもかるく5000円は超える。

 

ヴィーガンの両親から生まれた子供も、ヴィーガンとして育てるべきなのか。

これも現代のイタリア社会でかなり論争の的になっている。先日、美食の都ボローニャでイタリアではじめて「ヴィーガン給食」が提供された。この給食を我が子に食べさせたいと思う親は、まず子供を小児科医のところに連れて行き証明書をもらわなくてはいけない。つまり、動物性のものを一切食べなくても栄養的に問題はないのか、あるいは動物性のものを食べさせることによってアレルギーを発症させる可能性があるからか、等々の証明が必要となる。

 

イタリアの保健省は、両親の主張を尊重しその子供たちにも両親が希求する食事を与える権利を認める、しかし2才以下の子供はこれには相当しない、としている。

というのも、ヴィーガンの子供たちの発育が悪く、栄養失調などで病院に運ばれるケースがあとをたたないからだ。なかには、2才を過ぎても母乳のみしか与えられず、重篤な病状の子供もいた。あるいは、ビタミンB12の極端な不足で入院した子供もいる。

ヴィーガンの両親は子供も同様に育てたいのならば、栄養失調にならないように小児科医や栄養学の専門医に助言を求め正しい栄養知識を持つように、とも勧告している。

その一方で、イタリアでは3才から6才までの子供の肥満率は25パーセントに上るという統計もある。まったく両極端な例ではあるが、親としてはいろいろ考えさせられる記事ではあった。

 

ところでヴィーガンの人たちに目の敵にされているサラミや生ハムだが、その歴史は古い。

古代ローマ時代の詩人マルティアリスや政治家のペトロニウスに、その美味を称賛されている。また、古代ローマ一の美食家アピシウスは、生ハムは干イチジクとともに食するのが最高の美味と記している。現代では、生ハムはメロンと食べるものとされているが、ローマでは庭でも収穫できるイチジクは最も身近な果物のひとつで、生ハムやフォッカッチャなどと相性が良いとされているのだ。

ローマに首都があったローマ帝国では、生ハムなどの加工肉は当時はガリアと呼ばれていた現代のフランスの特産品であったそうだ。

中世になると、保存が利くこれらの加工肉はさらに発展した。とくに、ボローニャが発祥のサラミやモルタデッラ ( ラードを散らした太いソーセージ。ハムのように薄く切って食べるもの ) などは各国がこぞって輸入をするようになる。ルネサンス時代には、各国の王侯貴族たちの饗宴に、生ハムやサラミは欠かせないものになった。この時代に、薄く切られた加工肉をいかに美しく皿に盛りつけるかという作法も生まれた。

1700年代になると、生ハムやサラミはピクニックに持参するのが流行する。また前菜として定着したのも700年代と言われている。

1800年代に入り、加工肉は自家製のものではなくそれを生産する専門業者から購入するのが一般的となった。

 

最近、世界保健機構が「加工肉には発ガン性がある」と発表し、生ハムやサラミは形勢が悪くなった。しかし、二千年このかたイタリア半島ではこうした加工肉が食べられ続けてきたのだ。人々の生活からまったく切り離すのは無謀というものだろう。

 

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出典:wikipedia

 

先日、大きな地震におそわれた中部イタリアのアマトリーチェを発祥に持つスパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナ ( アマトリーチェ風スパゲッティ ) にも、豚肉の加工品は必須である。アマトリチャーナに使われるのは、豚のほう肉の脂身を塩漬けにしたグアンチャーレいうベーコンで、これを小さく切ってオリーブオイルでかりかりに揚げ、そこにトマトソースを入れて煮込み、パスタと絡める。最後に大量のペコリーノチーズをかけて食べるという単純な料理だが、わずかな材料を使って豪快に食べるアマトリーチェはローマでも絶大な人気がある。質の良いグアンチャーレを使うと、油であげるさいの匂いまで違うからイタリアの食材は奥が深い。

 

こうした美味を拒否して、自らの信条に忠実に植物性のものだけを摂取する人々を、私は非難するつもりは毛頭ない。多くのイタリア人も、彼らの信念を尊重しているからこそ「ヴィーガン給食」まで生まれたのだ。しかし、子供を犠牲にしたり自らの信条に忠実なあまり他人を攻撃することだけは避けるべきだと私は思う。

 

 

参照元

http://www.corriere.it/tecnologia/social/16_marzo_30/luca-bizzarri-sostiene-cruciani-contro-vegani-facebook-censura-foto-c069f336-f64b-11e5-b728-3bdfea23c73f.shtml

 

http://www.corriere.it/tecnologia/social/16_marzo_30/luca-bizzarri-sostiene-cruciani-contro-vegani-facebook-censura-foto-c069f336-f64b-11e5-b728-3bdfea23c73f.shtml

 

 

http://www.liberta.it/2016/07/28/menu-vegani-ai-bambini-biasucci-sconsigliato-fino-ai-2-anni/

 

http://www.ilfattoquotidiano.it/2016/07/01/bambini-vegani-denutriti-quanti-casi-di-disinformazione/2873042/

 

Il cibo e tavola Silvia Malaguzzi 著 Electra社刊