グザヴィエ・ドランはまだ27歳なのだそうだ。『mommy』は2014年の作品だから、当時25歳ということになる。その若さで、こんな風に人を描くことができるのか、と驚く。心に傷を負い、それでも日々を生きることに懸命な、不器用な人々。彼は、そんな人々をカリカチュアにすることなく、ふとした仕草や言葉に漏れでる感情を拾いあげてみせる。その視線は甘くはないが、温かい。

 

シングルマザーのダイアン、ADHDの息子スティーブ、そして隣家に済む吃音でひきこもりのカイラ。それぞれ感情に問題を抱え、外の世界とはうまく折り合いをつけていくことができない。それと同時に、3人が作る小さな世界も問題ばかりだ。

スティーブは純朴で、母への愛に溢れているが、その障がいゆえに衝動の制御がきかない。ダイアンも立派に生きているとは言いがたく、仕事はクビになったばかりだし、喜怒哀楽の激しい性格だ。母子は派手に衝突することもしばしばだった。そして、カイラはそもそも自分の感情を表現することすらできない。

 

そんないびつな3人だが、不思議なバランスを見つけ出す。カイラはスティーブの家庭教師を引き受ける。スティーブは、最初は反発しつつも彼女を受け入れ、学ぶことにも意欲を見せ始める。その間にダイアンは、息子との生活を軌道に乗せるため、仕事を見つける。走り始めた自転車が徐々に安定を増すように、3人の日々が回りはじめるのだ。

 

誰しも一度は、魔法のように幸せな数ヶ月を過ごしたことがあるのではないだろうか。気の合う仲間たちとでも、恋人とでも、家族とでもいい。何もかもがうまくいきそうで、楽しくて、素晴らしい日々。特に何か素敵なことが起こったわけでなくても、毎日が愛おしく、きらめきに満ちている。それは人生を構成する様々な歯車が、偶然にも完璧に噛み合った瞬間だ。3人が共有する、そんな魔法のひとときを描くシーンに、オアシスの『ワンダーウォール』が流れる。

 

この映画を一緒に観ていた夫が、後で「あのワンダーウォールは卑怯だな。」と言った。全く同感である。監督のグザヴィエ・ドランは、公開時のインタビューにおいて、このシーンに『ワンダーウォール』を使った理由についてこう語っている。

 

“『ワンダーウォール』に思い出のない人なんかいないはずだから、その思い出とシーンを重ねることで観客の体験は能動的なものになると思ったんだ。”

 

その確信のもと、このシーンに「最高にエモい」この曲を持ってくるという卑怯な一手を打つ。そして、画面に仕掛けられたちょっとしたギミックと相まって、観客の心に美しいシーンとして刻まれるのだ。

 

 

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“とある世界のカナダでは、2015年の連邦選挙で新政権が成立。2ヶ月後、内閣はS18法案を可決する。公共医療政策の改正が目的である。中でも特に議論を呼んだのは、S-14法案だった。発達障がい児の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、法的手続きを経ずに養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障したスキャンダラスな法律である。ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、大きく左右されることになる。”

 

これは、映画の冒頭に示される1文である。

 

S-14法案は、架空の法律だ。しかし、全く同じではなくとも、似たような法律は日本にもある。

 

「医療保護入院」という言葉を聞いたことがあるだろうか。病識のない精神疾患の患者を、病院と家族の意思に基づいて強制入院させることを可能とする制度だ。

 

以前、私はこの制度を使って母を入院させた。母は認知症で、激しい妄想で周囲を攻撃したり、夜中に突然、これから家に火をつけて死んでやる、と電話をしてきたりするようになったからである。

 

簡単な決断ではなかった。その経緯を書くと、本1冊分くらいになってしまうから省くけれど、私がその選択をした理由は、母の安全のためももちろんあるが、大きくは当時10歳にもなっていなかった娘を守るためだった。

 

母が一人で暮らすのはもう無理だ。母を引き取ることも、私が実家に戻って面倒を見ることも、選択肢としてはあった。だが、私はすでに義父と同居中なのだ。この家には連れてこられない。夫は子煩悩だが忙しい人だから、実家で暮らすとしたら、娘を連れて行かざるを得なかった。

 

しかし、娘を転校させ、夫と引き離してまで、前触れもなく理不尽な怒りを爆発させる母と生活することは、私にはどうしてもできなかった。だから、通いでの介護にも限界を迎えた時、私は母を入院させると決めた。母には病識がないから、自発的な入院などできない。私と弟は別の用事を装って母を車に乗せ、病院まで連れていった。道中、何かおかしいと感じた母は徐々に不穏になっていく。

 

病院の駐車場で、ついに母の怒りは頂点に達した。一人の人間から、その意思に反して自由を奪うということは、これほどの抵抗を生むものなのか。70歳になろうという小柄な女とは思えない力で暴れまわり、若い男性の看護士数人を振り回したのだ。あげく、鎮静剤の注射を打たれぐったりとなった母が、車椅子で運ばれていく光景を私は一生忘れない。

 

その日の夜、長い1日を終え、風呂に入ろうと服を脱いだ私は、両脚全体が青黒く腫れ上がっていることに気がついた。弟が病院の職員を呼びに行く間、逃げようとする母を必死で押しとどめていた時、母に蹴りつけられてできた痣だ。私はしばらくその青黒い脚をながめていた。涙は出なかった。ただ自分がもう人間ではなくなったような、心が抜けてしまったような感じがした。やむを得ず選択した、最後の手段だった。それでもその事実は私の気を楽にはしてくれないし、罪悪感は今でも消えない。

 

***

 

全てが済んだあと、カイラが、別の町に引っ越すことになったと報告にやってくる。ダイアンはそれを祝福し、自分の選択は希望があったからこそだと笑って語る。そしてカイラが去った後、堪えきれずに涙を流す。

もうあの魔法のひとときは戻ってこない。ダイアンの選択は、彼女のためでなく息子のためだ。しかし、それを息子が理解し、彼女を許すとはダイアンは思っていない。だから、一人になって自分を見つめた時、そのやりきれなさがあふれ出るのだ。

 

それでも彼女はまだ諦めてはいない。状況が違っていれば、息子にあったはずの未来、息子に与えられたはずの幸せを。彼女は、何かが母と子の未来をあるべき道に戻してくれることに、かすかな希望を抱いているのだ。

 

 

障がいの有無に関係なく、母親の毎日は選択の連続だ。出かける時に上着を着せるかどうかといった些細なものから、どんな時に叱り、どんな時に見守るに留めるかといった、子どもの人格形成を左右するようなものまで、日々母親の内心では選択が繰り返されている。そしてその選択が正しかったのかどうかの結果は、大抵時間が経ってからでないとわからない。その時になってやり直そうにも遅すぎるものが多いのだ。

 

たとえ自分の選択が思った通りの結果にならなくても、責めるべきは子どもではなく、選択をした自分だ。子どもが自分の人生を自分で選択するようになるまで、母親はそうやって、選択と自責を繰り返しながら、子どもを守る壁であろうとする。

 

もし、何らかの困難によって、その選択肢が大きく削られることになったとき、母が極限で願うことは子どもに生きていてほしい、ということだろう。子どもにたとえ憎まれても、許してもらえなくても、それで子どもが生きていられるのなら、多分母親は何でも犠牲にできる。ダイアンの選択はそういうことなのだと、私は思う。

 

映画の中では語られることはないが、ADHDの人全てが暴力的なわけではない。時間をかけて、生活のうえでの対処方法を工夫し学んでいくことで、日常生活に適応している人はいくらでもいる。成長につれて改善されていくことだってあるのだ。それを思うと、S-14法案というものが、単に「子捨て」のようにも見えることが少し残念に感じる。

 

 

 

その後私の母は、数度の転院を経て今はまあまあ穏やかに入院生活を送っている。病気は進行して、もう私が誰かもわからないし、会話も成り立たないけれど、機嫌がよければ歌を歌い、どうにか自分で食事をすることもできる。

 

そして、あの時私が守りたかった娘は成長し、来年は大学生だ。自分で進路を決め、目標に向かって日々努力している。私が彼女のために何かを選択する必要はもうほとんどない。せいぜい弁当のおかずを何にするか程度のものだ。それは母親として少し寂しくもあり、同時に誇らしくもあるのだ。