今年の初め、イタリアは寒気に悩まされた。私の街は雪こそ降らなかったものの、水道管が凍結し破裂、一週間以上も断水が続いた。住民たちは、エネルギー事業をローマ市から委託されている民間企業に、絶え間なく抗議の電話をかけ続けた。この民間企業、とにかく評判が悪い。電話をかけてつながるまで1時間近く、ようやく応答があっても、途中で切られてしまったり、まったく緊急性を感じていない対応をされて神経を逆なでされるのである。一度だけ、まっとうな会話が成立した。夫は「あなたはコネ入社ではない社員ですね。これまでの電話の応答とは、まったく違いました」と褒めていたのが印象的であった。「顧客とまっとうな応答ができる」、こんなことは社会人の基本のキである。それさえもできない、つまり普通に会社に応募しても絶対に採用などされない人たちが採用されて大きな顔をしているのがイタリアのコネ入社社員である。

 

それで私はイタリアの「コネ社会」について調べてみようと思い立った。夫に尋ねると、彼はため息をつき、その日の新聞のトップ記事を指さした。「コネ社会について書きたいだって?僕だってどこから手をつけていいかわからないよ。だってほぼ毎日新聞を賑わす話題だからね。たとえば今日の新聞を見てみよう。レンツィの父親のスキャンダルがトップ記事だ」。

レンツィとは、元首相のマッテーオ・レンツィのことである。イタリアのテレビ局RAIのセキュリティーを任せられたのが、レンツィ元首相の父親の友達であるというのが大問題になっていた。しかし、コネ問題がいかに新聞のトップを飾ろうと、政治家が辞任に追い込まれるなんてことはほぼないといってよい。恒常化しすぎたスキャンダルに、社会は鈍感である。

 

コネクションで雇用する、ということについて、我々はネガティブに考えるが、非常に効率がよいという利点もある。ある人物が責任を持って人材を提供する、というシステムは、古代ローマ時代から存在していた。「パトロヌス」と「クリエンテス」という相互扶助関係がそれである。「パトロヌス」は「クリエンテス」を庇護し、さまざまな便宜を図る。「クリエンテス」は自分の「パトロヌス」がより条件のよい公的な地位に就くよう奉仕する。この関係は、古代ローマではシステム化されていて公然としたものであった。

ここまで決然とはしていなくても、どこの国の歴史を見てもそれは自然なことなのかもしれない。雇用する側にも雇用される側にとっても、じつに合理的な考え方であるからだ。古代ローマ時代にも、人材雇用の問題はあったことだろう。しかし、現代のイタリア人と比べたら比べるのも失礼なほど勤勉であったローマ人のこと、縁故採用の人材も全うに機能していたのではと想像している。

 

イタリアでは、ジャーナリストによって作られた言葉に「パレントーポリ」がある。「親族王国」とでも訳すべきなのか、親子、従兄弟、夫婦、伯父甥あらゆる家族関係を駆使して、就職する現象を指す。ここ数年よく使われるようになった言葉だが、かつては「ネポティズモ」と呼ばれていた。英語でも「ネポティズム」と呼ばれるくらいで、イタリア語がそのまま万国共通になったあたり、いかにもイタリア的な現象なのかもしれない。日本語では「縁故主義」。

中世からルネサンス時代にかけて、ローマ法王位が親戚間でたらい回しにされたこともあったし、ローマ法王が一家から排出されればそれこそ一族は天国であった。法王庁の要職や実入りのいい爵位は一族によって占められた。しかし、ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』の言を借りれば、「世界がまだ若く、五世紀ほどもまえのころには、人生の出来事は、いまよりももっとくっきりとしたかたちをみせていた。悲しみと喜びのあいだの、幸と不幸のあいだのへだたりは、わたしたちの場合よりも大きかったようだ。すべて、ひとの体験には、喜び悲しむ子供の心にいまなおうかがえる。あの直接性、絶対性が、まだ失われてはいなかった。」のである。ローマ法王が死んで支柱を失えば、栄華を誇る一族も没落する。あるいは、淘汰されて暗殺される。つまり、物理的に消されてしまったのが500年前であった。500年前ほど直接的でもなく単純でもない現代はどうであろう。コネ入社をした社員だって、立派な人材は皆無ではないだろう。そうした人々は、入社事情がどのようなものであったかなどは忘れられて、重宝されるのだ。いっぽう、箸にも棒にもひっかからないのは、それこそ虎の威を借りるなり法的処置を講じるなりして、無能を恥じることなく居座り続ける。

 

こうした現象が、国立大学にまで蔓延していたのがイタリアである。

2007年に、イタリア政府は大学の教職に関して縁故で採用することを禁止する法律を施行した。しかし、2010年の調査では、イタリア南部バーリ大学に在籍していた176人の教職者のうち、42人が「一族」であった。じつに25パーセントの教授が親戚同士という異常事態であったのだ。バーリ大学の経済学部、農学部などの教職位を独占していたのが、「マッサーリ」とそのライバル「デラッティ」一族。彼らが、バーリ大学の経済学部や農学部の教職位をほぼ独占していたのである。ひどい例になると、学長職最後の日に自分の息子を教職に押し込んだなどというえげつない例もあった。

当然、博士課程に進めるのはこうした教授たちの推薦を得ることができる学生ばかり。海外からバーリ大学に進学し、博士課程に進んだ心理学科のある学生が自殺するという事件まで起きた。マッサーリやデラッティ一族にコネがない、しかし才能ある学生たちは、状況に絶望し「頭脳海外流出」は止められなくなっていく。マフィア発祥の地にふさわしく、イタリア南部は「家族」の絆がことのほか強い土地柄である。しかし、私立ではない公立大学の教職の一族による独占は、なにもバーリだけにかぎられない。首都ローマでは、ドルチとフラーテ一族が、3つある公立大学の「医学部」を牛耳っている。こちらもひどい例を紹介すると、「医学部」を卒業していない「縁故教授」が医学部で教鞭を執っている。新聞には、学長や教授たちの名前や関係が列記されていた。マフィアの世界と寸分違わない、ファミリービジネスの世界である。

しかし、最高学究機関であるべき国立大学のこのていたらくは、数字にも如実に反映されている。イタリアの「大卒率」は、ヨーロッパでは最も低い19パーセント。ヨーロッパの大卒率の平均が、全国民の30パーセントであることを考えれば、先進国とも思えない低さである。そして、人口が減少しているとはいえ、大学進学人口も年々減っているという現象は、大学の質の問題にもあるかもしれない。いくら猛勉強し大学を卒業しても、公的機関のよいポストは、コネで入社した「非大学卒」に持っていかれてしまうのだから。

 

こうしたいい加減な大学を卒業した人たちはどうなるのだろう。

人命に関わる医師を育てる学部がこの調子では、道徳心など育ちようもないのだろうか。イタリアでは、医師たちの「アッセンテイズモ」が問題になっている。「アッセンテイズモ」とはなにか。「常習欠勤」のことである。「イズモ」がついているから、「主義」と訳してもいいだろう。仕事に穴を開けることを恥じず、健康上の理由などを楯にひたすら欠勤する状況を指す。イタリアでは、風邪を引いてホームドクターの所に行けば「一週間欠勤証明書」が公布される。「ストレスで不眠」とか「精神的なダメージが大きく出勤は無理」とかこじつけて、「慢性的な症状」を理由にした長期欠勤は珍しい現象ではない。それは医師たちがいとも簡単に、「欠勤証明書」を書くからだ。だから、受け取る会社側もマに受けてはいない。しかし、医師の証明は立派に法的に通用する。

しかし、救急センターに出勤すべき医師たちの「欠勤」は大問題で、さすがに逮捕者を出すようになった。地域医療を担う緊急救急センターにおける医師たちの欠勤は、イタリア社会の道徳の欠如の最たるものだといっていいだろう。

 

数日前には、保健所の職員が一人で何枚もタイムカードを通している映像がニュースで流されていた。友人たちから請け負った一職員が、彼らの「出勤」を証明するためにタイムカードを通すというレベルの低い現象が起きていたのだ。

 

そして、こうした問題は公共機関で蔓延しているというのがイタリアも問題だと思う。プライベートな企業でも、もちろんファミリービジネスを初め縁故入社は当然多いだろう。しかし、プライベートな会社であれば、営業が行き詰まれば会社は倒産し従業員は解雇される。生き残りがかかっているのだから、いかに縁故で社員を推挙されようが、我が身と会社を滅ぼすほどの人材はさすがにプライベートの会社では採用を躊躇するだろう。

いっぽう、つぶれる心配のない公共機関で就職した人々は、永遠に解雇の憂いもなく給料をもらい続けるのだ。

イタリア人は、日本人がグループで旅行することを「まるで羊たちの群れ」とバカにしていた。しかし、「みんなでやれば怖くない」を実践しているのは、実はイタリア人のほうなのである。

 

そこでふと考えたことがある。

イタリア人は、「コネを使って就職した」という事実を人に話すのだろうか。それに対して、恥ずかしいとかおこがましいという思いは持たないのだろうか。

夫を初め何人かの知人のイタリア人に聞いたところ、最初の質問の答えは「イエス」。後者の質問の答えは「ノー」であった。

イタリア社会に根付いた「パレントーポリ」は、それこそ古代ローマ時代からの伝統なのである。道徳心に訴えよう、などいうヤワなことでは消滅させることが不可能な「慣習」なのだろう。

たとえば、我々日本人はそばやラーメンを音を立ててすすって食べる。日本でこれをやっても、誰も責めない。そばやラーメンは、すすって食べるのが日本の「伝統」だからである。しかしこれをイタリアでやると、隣に座っているイタリア人が逃げていくくらい「耐えられないもの」らしい。

イタリアの縁故主義も、そのくらいにイタリア社会に根付いているものなのである。

縁故を頼って国営企業や企業に就職することは、恥じるどころか周りからは「あいつ、よくやったな」と思わせる事象であり、近所や知人友人すべてがその事情を知っている。そして、強力な縁故を持たない人々も、縁故入社して経済の安定を得た人を見て羨望を覚えるようになるのだそうだ。

 

国立大学の教授たちの「パレントーポリ」が、実名で記事にされようが当事者たちはへとも思っていない。イタリアの政治家の誰もが、この「慣習」を断ち切ることができないのを知っているし、断ち切ろうとした政治家はいなかったのではないか。なぜなら、我が身が危ない状況になるのがオチだからである。前首相レンツィは、閣僚たちの賄賂問題や縁故問題を野放しにしたことでも有名である。

 

実際に議論が展開したら、こんなことになっていただろう。

 

首相レンツィ「インフラ整備交通省大臣ルーピ(入札が有利に操作されるよう、ある企業が彼の息子にロレックスの時計を贈ったというスキャンダルの持ち主)、あなたの息子に関するスキャンダルは聞くに堪えません」。

 

インフラ整備交通省大臣ルーピ「それでは首相、あなたのお父上がされていること(前述したように、レンツィの父親は息子の権力を背景に自身の友人の会社をテレビ局RAIのセキュリティーに推している)はどうご覧になります?」

 

憲法改正・議会改正担当大臣マリア・エレナ・ボスキ「ルーピ大臣、ここで首相の父上のことを引き合いに出すのは、おやめになったほうが」

 

行政改革担当大臣マリアンナ・マディーア「マリア・エレナ、発言をひかえたほうがよろしいです。あなたの父親(マリア・エレナ・ボスキが大臣に任命されたとたん、父親はエトリリア銀行の総裁となり、のちに破産させた)に言及されたら…。」

 

レンツィ首相「マリアンナ(彼女自身が縁故で大臣に就任うえ大学時代の卒論は専門家の論文をコピーしたことが判明している)、おっしゃるとおりこの辺でやめておきましょう。あなたのご主人(映像プロデューサーで、自身の会社における撮影のためにラツィオ州から金銭を横領。それを訴えた国会議員を名誉毀損で告訴した)のこともありますしね」

 

議論、終わり。

ということになりかねないのである。

イタリア人の友人の一人は、「イタリアの政治は他国ではお笑い」と自嘲していたのを思い出す。

 

映画「ゴッドファーザー」を見た人も多いだろう。

マフィアの組織の外で成長した三男のマイケルは、やむを得ない事情によって父ヴィトーの跡を継ぎマフィアのボスとなる。インテリで合理的なマイケルは、情を廃した組織作りに徹するが、組織の強大化とともにマイケルは家族の愛を失い孤独な晩年を迎える。

父のヴィトーは、まさに古き良き時代のマフィアのボスで、それこそ家族やコネを優先して人望を集めていた。ヴィトーの時代のコルレオーネ家は、平和で幸せな家族像が描かれているのである。

 

イタリアのコネ社会にメスを入れる人物が将来登場するのか、私にはわからない。登場するとしたら、マイケル・コルレオーネのように、あるいはマフィアの撲滅に人生を捧げて殺されたジョヴァンニ・ファルコーネのように、満身に傷を受ける覚悟のある人にしか行えない大改革になることだけはまちがいない。しかも、2000年の伝統にメスを入れるのである。一人が一代でやり遂げられることではないだろう。

 

 

 

参照元

http://www.repubblica.it/scuola/2010/09/24/news/parentopoli_atenei-7372673/

http://www.lastampa.it/2016/06/19/italia/speciali/elezioni/2016/amministrative/dagli-autobus-allassenteismo-i-peccati-della-capitale-SqUBexb6o7sZqWIgHXutWI/pagina.html

http://www.ilgiornale.it/news/cronache/rai-capo-sicurezza-selezionato-suo-padre-1297420.html

http://www.huffingtonpost.it/2016/02/04/papa-boschi-indagato-_n_9156186.html

http://www.liberoquotidiano.it/news/politica/11767235/Il-marito-del-ministro-Marianna-Madia.html