眠れない夜にお勧めのクラシック曲はありますか?と聞かれた時、私がよくお勧めするのがバッハの「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと様々な変奏曲」だ。

と、言ってピンと来る人はあまりいないと思う。

では、「ゴールドベルク変奏曲」と言えばどうだろう。その名を耳にしたことがある人もいるのではないだろうか。

 

バッハ「ゴールドベルク変奏曲」

 

ゴールドベルクというのは、カイザーリンク伯爵の家に住んでいた14歳の少年の名前である。カイザーリンク伯爵はよくライプチヒに滞在していたのだが、その際、ゴールドベルクを連れてきては、バッハに音楽のレッスンを受けさせていたのである。

当時不眠症に悩まされていた伯爵は、眠れない夜に気分が晴れるような曲をゴールドベルクの為に書いてほしい、とバッハに依頼してきた。完成した曲を気に入った伯爵は、この曲を「私の変奏曲」と呼ぶようになり、眠れない夜が来るたびにゴールドベルクにこの変奏曲の中から一曲弾かせるようになった、というエピソードがこの変奏曲が「ゴールドベルク変奏曲」という俗称で呼ばれるようになった由来である。

この話がが本当のものだったかというと、実際は懐疑的な意見が多い。

当時の作曲家は、特定の演奏家に曲を書く場合、その演奏家の得意とする技巧を曲中に多く散りばめるなど、その曲が特定の演奏家の下で特別美しく響くように作曲することが多かった。当時14歳だったゴールドベルクが、果たして華やかな技巧を持つこの曲を弾きこなせる実力を持っていたかというと、ゴールドベルクが残した作品から推察するにそうでもなさそうであるし、何より、この出版譜に当時習慣だった献辞がない。

いくら研究者が議論しても、もうバッハもゴールドベルクもこの世にいないため本当のことはわからないが、なかなか素敵なこのエピソードを私は個人的に気に入っている。

 

さて、作曲者のバッハについていえば、さすがに彼を知らない、という人はいないだろう。

どのバッハ?と聞く人は、クラシック音楽通の人に違いない。

バッハはドイツに多く見られる名字で、日本語で言えば小川さんなのだが、このゴールドベルク変奏曲を書いたヨハン・セバスチャン・バッハは音楽家ファミリー、バッハ家の8男として生まれた。このバッハ家は、たくさんの優れた音楽家を輩出している。私たちが普通バッハ、と言えば、このヨハン・セバスチャン・バッハを指すことが殆どだが、彼が生きていた時代も、ずっと彼だけがスーパースターだったかと言えばそうでもない。むしろ、彼の音楽は当時時代遅れになっていて、もてはやされていたのは息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの方だった。

せっかくだから、ちょっと聞き比べてみてもらうと、それがなぜだったかわかると思う。

 

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ「フルート協奏曲イ長調 Wq 168 H 438」

 

ヨハン・セバスチャン・バッハ 「フーガの技法」

 

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品はすっきりしていて聞きやすく、ヨハン・セバスチャン・バッハの作品は、どこがメロディーかわかりづらくて難しい、という印象を受けるのではないだろうか。ヨハン・セバスチャン・バッハが生きたバロック時代と呼ばれる時代の音楽は、縦のラインよりも、横のラインが大切にされていて各声部が複雑に絡まり合っているので、ぱっと聞き曲の構造がわかりづらくなっている。それに対して、バロック時代の次の時代への橋渡しポジションにいるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品は、メロディー+伴奏というすっきりした曲を書いたのでわかりやすく、多くの人に受け入れられたのだ。

しかし、ヨハン・セバスチャン・バッハはいくら時代遅れと批判されようとも、自分のスタイルを貫き通して作曲し続けた。ただ、例外的に幾曲か、新しい様式を取り入れて書いた曲も存在する。

ゴールドベルク変奏曲の冒頭のアリアは、そんな曲のうちの一曲なのではないかと思う。

 

このアリアを聞くと、私の心はとたんに凪いで、温かく明るい真っ白な空間に、しんと沈んでいるような気持になる。生まれたての赤ん坊のような純粋さを持ったこのアリアは、30回様々に姿を変えて変奏される。それらは、快活で明るかったり、物憂げで哲学的だったり、絶望的で疲れ果てていたり、華やかで自信に満ち溢れていたりする。そして、最後に再び冒頭で演奏された純粋なアリアが現れ、ゴールドベルク変奏曲は曲を閉じる。

自分自身で演奏していると、(弦楽3重奏版もあるのだ!)まるで1つの人生の早送りを体験しているような気分になる。雨の日あり、晴れの日あり、笑ったり泣いたり様々な経験をして、最後は生まれた場所に還っていく。繰り返しを含めて全部弾くと相当長い曲なので、最後のアリアにたどり着いたときは全ての変奏曲を回想してしまって、走馬燈を見ているような錯覚にさえ陥る。

このゴールドベルク変奏曲には、ちょっと見逃せない点がある。曲の構成である。冒頭のアリアは16小節+16小節の32小節で成り立っている。そして、このゴールドベルク変奏曲全体を見ても冒頭のアリアと15個の変奏曲+15個の変奏曲と最後のアリア、つまり16曲+16曲、合計32曲という構成になっているのだ。

これは決して偶然ではないと思う。バッハは数字に意味を持たせて作曲した人だった。ゴールドベルク変奏曲をさらに細かく見てみると、全30曲の変奏曲のうち、3の倍数の変奏はカノンになっている。カノンとは、カエルの歌のように、同じメロディーがずれてスタートしている曲のことなのだが、このカノン、第3変奏曲は同じ音程のカノン、第6変奏曲は2度のカノン、第9変奏曲は3度のカノン、と音程を1度ずつ開きながら第27変奏曲の9度のカノンまで作曲されている。しかし、クライマックスの第30変奏曲は10度のカノンではなく、クオドリベットという、民謡を2曲取り入れて混ぜたものが作曲されている。

ここで気になるのは、なぜ、ここでバッハが10度のカノンにしなかったか、ということだ。本当のことは、バッハに聞いてみないとわからないが、私が考えるにバッハはこの長大な曲の最後にお茶目なオチが欲しかったんじゃないかと思う。

同度から、3曲ごとに2度、3度と徐々に音程を広げながらカノンは演奏され、曲は進む。第30変奏になるころには演奏開始から1時間15分程経っているだろう。いよいよクライマックス。聴き手は、ついに10度のカノンが現れるに違いない!という期待を持って身を乗り出す。しかしそこで始まるのはなんと「長いこと会ってなかったね、おいで、おいで」と「キャベツとかぶらが僕を追い出した。母ちゃんが肉を料理しててくれたなら出て行かないですんだのに」という、耳慣れた民謡のテーマ。気づいた聴き手はもちろん目が点になる。

だが、聴き手は徐々にその仕掛けに気づき目を見張る。2つの民謡のテーマは、あちらこちらの声部から次々にたたみかけるように現れてくるのだが、それらはゴールドベルク変奏曲のベースラインの中に見事におさまっていて、立派に一つの変奏曲を成しているではないか。一本取られた、と私たちの口元に笑みが浮かべば、バッハのドッキリ作戦大成功!というわけだ。バッハのドヤ顔が目に浮かぶようである。

 

バッハが生きた時代はバロック時代。バロックとは歪んだ真珠、という意味で、これは後世の人が付けた時代の名だ。バッハが当時、「僕、バロック時代の作曲家だもんね」、と思いながら生きていたわけではない。バロック時代の後には、すっきりとした形式美を重んじる古典派という時代がやってくる。その新時代の人たちが、バロック時代の芸術は、ごちゃごちゃしていて形式がなく、いびつだったという少しバカにした意味で、バロック、という名前を付けたと言われている。彼らが、このようなバッハの構成美に気づいていれば、これをいびつだとか歪んでるとかバカにすることはなかっただろう。バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ2番のシャコンヌなんて、「小節の比率と太陽系の惑星の配置の比率が対応していて、宇宙を表している」、なんていう意見もあるくらいだから、もうここまでくるとスケールが大きすぎていびつどころの騒ぎではない。

バッハが只者でないのは、彼の作品の多くに、こういった構成の秘密や暗号、数字の謎が含まれているにも関わらず、構成の枠にとらわれすぎて音楽の美しさが損なわれていないことだ。彼が生きていた時代、彼は時代遅れだとか、古めかしい変な曲を作る変人と言われてきたらしいが、実際は彼の曲はいつだって挑戦的で新しかった。新しすぎたり、精緻すぎたりして、理解されなかったのだろう。彼の音楽に再び価値が見いだされるようになったのは、ずっと後のことになる。

そんなことを考えながら、このゴールドベルク変奏曲を聞くと、なんだか集中して聞きこんでしまうので余計眠れなくなってしまう。

この曲を眠れない夜に聞く曲として推薦するのは、ちょっと考え直した方がいいかもしれない。