私の家庭は両親ともに珈琲党。
母の朝食はもっぱらパンとサラダや卵焼きと砂糖たっぷりのコーヒー。
それでも忙しい朝にきちんと毎朝ドリップしてくれていた。
母は紅茶をほとんど飲まない。
けれどもあるとき、スーパーで買った安いティーバッグを大きなマグカップに入れて、熱湯を注ぎじゃぶじゃぶと数回上下させてそこにたっぷりの砂糖とミルクを注いで出してくれた。
それが私の出会った最初の紅茶。
甘くて優しくて、身体の中がほっこりとあたたまるのを感じた。
photo by ashton
大学を卒業して、営業職についたがすぐに挫折した。
どこへ行ってもうっとおしがられて見られ、自分を否定され続けることに疲れた。
生活のために珈琲ショップの店員になった。
お客様がみんな「ありがとう」と言ってくれた。
珈琲一杯と、少しの心遣いでお客様を幸せな気持ちにさせることができることが嬉しかった。
いつしかカフェをやりたいと志し、そこから様々な飲食店でアルバイトをした。
働きすぎだったのか、心を病んだ。
カフェがやりたい、という気持ちなどどこかへ行っていた。
もう生きることがつらかった。
数か月は薬を飲んで眠る生活が続いたが、少しずつテレビを見たり新聞を読むことができるようになった。
その時にふと目に入った紅茶を学ぶ通信講座のちらし。
「カフェを開きたい」
とふと昔の気持ちを思い出した。
すぐに申し込みをし、教材が届いた。
10種類ほどの茶葉とポットとテキスト。
そういえば紅茶をリーフで淹れたことはなかった。
思えばティーバッグの紅茶すらも飲まなくなっていた。
テキストに書いてある通りの分量で、見よう見まねで紅茶を淹れた。
熱湯を注いで3分待つ。
紅い茶液がカップに注がれる。
そしてしばらく言葉を失った。
どの種類の紅茶を飲んでも香りよく、今まで飲んできた紅茶とは格段に違った。
ただただ美味しかった。
すっかり魅了された。
***
それから数年。
アルバイトをし、お金を貯めた。スリランカの茶園を見るために。
地図で見るとインドの右下にある小さな島。
九州より少し小さいくらいだろうか。
南国なので、フルーツも美味しい。
初めて見たスリランカの茶園。
色とりどりの服をまとった茶摘みの女性たち。
緑の中の赤や青がとても美しい。
ただただカメラのシャッターを切った。
この地から私の心を救い生きる意欲をくれたお茶が届いたのだ。
感謝の気持ちとともに涙があふれてとまらなかった。
キャンディというスリランカの古都がある。
敬虔な仏教徒の国スリランカはキャンディに仏陀の歯が安置された「仏歯寺」という美しい寺がある。
キャンディ市内で地元の人たちが飲むミルクティを飲んだ。
イギリス統治時代に建てられた瀟洒な白い建物の中にあるカフェ。
おじさんが銀のカップを両手に持ち、右のカップから左のカップへ、左から右へとミルクティを移した。
ジャバジャバと豪快に泡をたてながらそれを何度か繰り返し、小さなカップに注いだ。
帰国した後で教えてもらったが「キリテー(キリティー)」と言うらしい。
我々が飲むスリランカティよりもっと細かいダストというサイズの茶葉を煮込み、濃い紅茶液を粉ミルクと砂糖を入れたカップに入れ、混ぜ合わせるためにジャバジャバとやるそうだ。
砂糖がたっぷりでとても甘い。
熱くて汗をかいている体にその甘くてぬるいミルクティが沁みた。
毎朝最初に自分のために紅茶を淹れる。
その日ふと手にとった茶葉で現在の自分の心がわかるのだが、少し気持ちが落ち込んでいるとき、体調が悪いときはふとこの「キャンディ」という茶葉を選んでいる自分がいる。
朝は大抵ミルクティ。
ほっと一息ついてから仕事にとりかかる。
***
紅茶を飲むことで人と繋がり、会話が広がる。
実際に科学的根拠もあるそうだ。
テアニンという成分が会話を弾ませるという。
紅茶の国イギリスでは昔地方のなまりが酷かったと聞いたことがある。
話をしただけでどこの出身かがわかるほど。
だから紅茶を飲むときはそのことには触れない。
触れないように会話をする。
「あなたはミルクを先に入れる派?後に入れる派?」
「ティーカップにミルクを先に入れてから紅茶を注ぐなんて、カップが割れないようにする貧乏人の考えだ。」
「いやいや、先に紅茶をカップに注いでからミルクを入れれば好みのミルクティが作れるじゃないか。」
などと、紅茶を飲みながら会話をする。
せめて紅茶を飲む間は地方出身だろうと貧乏だろうと気にせず楽しく話をしようよ、というところから生まれた「MILK IN FIRST or AFTER」論争。
どちらが本当においしいのかは科学の力で十数年前に解決してしまったが、大切なのはそこではない。
目の前にいる人を思いやり、心を開き、会話をすること。
ミルクを先に入れたって後に入れたって、紅茶を飲みながら過ごすのは楽しい思い出になる。
紅茶には人の心を和ませるパワーがある。
そういえば日本茶だってそうだ。
昭和の時代にはテーブルに電気ポットと急須が必ず置いてあった。
きっと中国茶だってそうだろう。
茶館に集まってわいわいがやがやとお茶を飲んでいる風景をテレビで見たことがある。
今では世界中のお茶を飲むことができる。
ネットのおかげで世界中のお茶も簡単に手に入る時代。
それでもやはり茶が育つ姿が見たくて、産地にもいくつか足を運んだ。
欲を言うならその土地に住み込んで1年2年過ごしたい。
そうしなければ茶を作る人たちの苦労はわからない。
同じ風を感じ、雨に打たれて、冬を超えて、芽吹いた茶を摘みたい。
茶ができるまでの長い物語と茶を作る人たちの素晴らしい努力を語れるように。
美味しいお茶で疲れた心と体を癒せるように。
毎日一杯一杯心を込めて茶を淹れる。
初めて紅茶を淹れた15年前のあの時の気持ちを思い出しながら。
photo by Lyle Vincent