Roberto Benigni

 

※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。

 

私は日本人だから、電話中でも相手が日本人ならば自然にお辞儀をしていることがある。それがイタリア人にはおかしいらしい。逆に、日本人だからといって両手を合わせながら私に挨拶をするイタリア人もいる。私は苦笑して、日本人はそんな挨拶はしないと相手に伝えるのが常だが、インターネット全盛の時代で世界が小さくなったといっても、文化の壁は高いものだと実感する。

西洋人のジェスチャーの大仰さは日本でもよく知られているが、イタリアのそれはその西洋の中にあっても突出した存在であるらしい。イギリスやアメリカでは、イタリアのジェスチャーを学んだり真似してみようなんていう講座もあるのだという。まったく、ジェスチャーは立派な「メイド・イン・イタリー」なのである。

 

イタリア人のジェスチャーの特徴は、言葉を口にしなくてもその仕草ひとつで相手に意味が通じるところにある。コミュニケーション力強化、という意味合いももちろんあるのだが、声を出さなくてもジェスチャーだけで相手に思いを伝えられるのである。

ローマ・トレ大学 ( Universita` degli Studi Roma Tre ) の情報科学部教授イザベッラ・ポッジ ( Isabella Poggi ) によれば、イタリア人がコミュニケーションの手段として言葉を発せずに共有できるジェスチャーは、なんと250に及ぶのだという。

 

では、イタリア人の多様なそして独自のジェスチャーはどこからはじまったのだろう。

これにはいろいろな説があるらしい。

 

・まず、紀元前の時代に、古代ギリシア人がイタリア半島南部を植民地化するさいに、ジェスチャーを使い地元民と交流したところからはじまったという説。

 

・ローマ帝国時代も末期、帝国領に侵入してくる蛮族にわからぬよう暗号のようにローマ人が使い始めたという説。

 

・イタリアがひとつの国として統一される以前は、イタリア半島内の各地の方言が強すぎてイタリア国民となってからも同胞とのコミュニケーションがとれなかったために、ジェスチャーが生まれたという説。

 

・16世紀中頃に生まれた「即興演劇 ( Commedia dell’ Arte ) のパントマイムの中で使用されたジェスチャーが、庶民のあいだに広がっていったという説。

 

どれも納得できる理由だし、これらのすべてがおそらく正しいのだろう。とにかく、長い歴史があることだけは確かだ。

一番古い「古代ギリシア人がイタリア南部に普及させた」という説は、シチリア島のジェスチャーを見ていれば納得してしまう。シチリア人のイメージは、寡黙でなんとなく粗野、そしてジェスチャーだけでコミュニケーションをしているイメージが一般的にはある。一日、シチリアでイタリア人たちの動きを見ていた外国人は、「民族舞踊を見ているようだった」と語っている。また、カラーブリア州やブーリア州といったイタリア南部も、独特の方言とともに使われる大仰なジェスチャーで有名なのである。そう、イタリア人であれば通じ合えるジェスチャーも、南部の方がその動きが大きいのである。これはおそらく、南部で話されるイタリア語の発音とリズムの強弱が激しいのが原因だと思う。

そのイタリア南部は、北部に比べると経済的にかなり劣っている。ゆえに、ジェスチャーを大仰に使う人は「田舎っぺで無教養な人」というイメージを抱きがちだ。

が、テレビを見ていれば総理大臣も市長も司祭も会社員も農民も、みな同じジェスチャーを使っている。老若男女も関係ない。ようは、話すイタリア語が洗練されているかいないかによって抱かされるイメージの相違であって、ジェスチャーを使うイコール田舎者という先入観は事実ではないことがわかる。感情的になると、ジェスチャーも振りが大きくなることはあるけれど。

私が個人的に考えるのは、ヨーロッパの中でもイタリアでのみジェスチャーが発達したのは、やはりイタリア語の歯切れ良い「発音」に依るところが大きいと思う。英語やフランス語を話しながら、イタリア人が使うジェスチャーを使ってもリズムが取れないのだ。

 

また、それぞれの方言が強すぎてコミュニケーションが取れなかった時代にジェスチャーが生まれた、という説もうなずける。

私は日本滞在中、それぞれの県の特徴を紹介するテレビ番組を見た。地方の方言は、その地方以外の人にはまるで外国語である。イタリアもこれと同じ状況で、私はこの山の田舎町に引っ越して5年が経とうとしている今も、生粋の方言を話されるとまったく理解できない。ちなみに、ローマ郊外ということでは同じでも、ローマを挟んで現在住む田舎町とは反対側にある新興住宅地で育った夫も、今住んでいる田舎町の方言は理解できないそうだ。首都ローマからわずか40キロ離れただけの田舎町でこれである。

レオナル・ダ・ヴィンチの手稿には、フィレンツェからミラノの宮廷に招聘された彼が、ミラノ方言を理解できず、それ覚えるために方言とイタリア語を書き留めた箇所がある。天才も方言には苦労したのだ。それほどに方言が強いイタリアなのだから、手っ取り早くコミュニケーションができるジェスチャーは、実用的なものとして発展したのだろう。

そしてジェスチャーは、時には言葉を伴わないぶん、より強い印象を相手に与える。時にはそれが、非常に攻撃的であることも多い。

5歳の娘は、幼稚園で覚えたジェスチャーを交えてイタリア語を話す。しかし、いくつかのジェスチャーや言葉については、夫は「それは使ってはいけない」と教えている。それらはつまり、相手を侮辱することにつながるからだ。

そのひとつに、「コルナ」と呼ばれるジェスチャーがある。人差し指と小指だけを立てて、ほかの指は丸める。「コルナ( Le corna ) 」とは「角」の意であるから、まさに角の形のジェスチャーだが、これは「寝取られ男」を表すジェスチャーとして相手を強く侮辱するものなのだ。

イギリスやアメリカでジョークのように行われる「イタリア人ジェスチャー講座」では、参加したおじさんたちはこのジェスチャーに喜んで、みんなで笑顔で「コルナ」のジェスチャーで撮った写真が載っていた。イタリア人の夫はこの写真を見て「直視できないほど恥ずかしい」と言っていたし、実際にイタリアでこのジェスチャーを相手にすれば、ケンカを売っているのと同義語だ。二義的な意味として、近寄ってきてほしくないものに対して、日本の「えんがちょ」のような使い方をすることもあるが、とにかくこれをされた相手はいい気分でないことだけは確かだ。しかし、40年前にはイタリア大統領ジョヴァンニ・レオーネ ( Giovanni Leone ) が、ピサ大学の学生の質問に対してこのジェスチャーをして問題になったこともあったし、スキャンダルまみれであった近年のシルヴィオ・ベルルスコーニ ( Silvio Berlusconi ) 首相はなんと、EU首脳会議でこのジェスチャーをして非難された。下品なジェスチャーとして知られているこの「コルナ」だが、なにも社会の最下層だけが使っているのではないことがよくわかる。

 

外国人である私は、だからめったやたらにジェスチャーは使わないようにしている。というのも私が観察するのに、イタリア人が日常的に使うジェスチャーは喜びや幸福を感じるポジティブなものより、怒り・苛立ち・困惑・嫌悪などを示すネガティブなもののほうが圧倒的に多いからだ。

それでも、慣れというのは恐ろしいもので、イタリア語で口論をするときには手が勝手に動いてしまう。いくつかの言葉とジェスチャーは、すでにセットになっていて、単品だけ使うのはほぼ不可能なのである。それどころか、言葉は出さずに胸に収められても、手だけは動いてしまった、なんてことも起きる。こうなると、手の動きは口よりも饒舌としか言いようがない。

 

キリスト教会の歴史の中でも、様々なジェスチャーの文化が築かれてきた。文盲率が高かった時代、教会内に描かれる絵や彫刻には、様々なジェスチャーが残されている。

イエス・キリストが信者に祝福を与えるジェスチャー、イエスの死を悲しむ人々のジェスチャー、聖人たちが自らのシンボルを示すジェスチャー、などなど、見るだけで当時の庶民が理解できる構図になっている。特に、遠近法があまり使われなかった中世では、ジェスチャーとなる手の部分だけが大きく描かれていたりもする。

現代科学の分野の研究でも、視覚から相手の手の動きを自分の脳に伝達させることによって、理解力が上昇することが証明されているのだそうだ。

日本には「見ぬもの清し」とい言葉がある。自分が傷つかないために、防御手段として相手の意思をあえて理解したくないこともあるのだけど、いやでも目に入ってくるジェスチャーから夫婦げんかに火がつくこともあるのがイタリアなのである。

 

※この記事は、CIRCUS第2回特集「いいカラダ。」の記事です。

 

参照元

http://www.inliberta.it/larte-del-gesticolare-made-in-italy/

http://www.corriere.it/esteri/13_novembre_18/italiano-che-insegna-stranieri-come-si-fa-gesticolare-69af669a-5051-11e3-b334-d2851a3631e3.shtml

http://www.raffaellalippolis.com/i-gesti-gli-italiani-comunicazione-parole/

『Il Gesto e l’espressione 』 Barbara Pasquinelli 著 Electa社刊