非効率的で非生産的な3ヶ月に及ぶ夏休みがようやく終わった。夏休みが3ヶ月もあると、生活にもまったくメリハリがつかない。共働きが多い昨今の風潮に、まったくあわない風習である。

3ヶ月、遊びたいだけ遊んだ子供たちは学校に戻りたがらないし、学校が始まってもさらに2週間は午前中で授業は終わってしまう。送り迎えが義務づけられているイタリアの小学校だから、朝は渋滞に巻き込まれ、学校周辺で駐車場探しに右往左往し、という毎日が始まった。

 

ところで、新学期が始まる数日前、ちょっとした事件があった。

夏休み中はなりを潜めていたワッツアップ(編集注:LINEのようなSNSアプリ)のメッセージが、りんりん鳴り出したのだ。ママ友たちのおもちゃと化しているこのワッツアップ、学校がある時期はそれこそ終業時間にはきっちりメッセージの着信音が鳴るのが常で、内容も決まっていた。

「今日の宿題はなに?」

私は子供にあまり干渉しない母親なので、「宿題は自分で覚えてきなさい。忘れたら、次の日に恥ずかしい思いをするのはあなただからね」と言いきかせている。

が、なにをするにも子供が水戸黄門の印籠の役を果たすほど「母は強し」のイタリアでは、子供が恥をかかないようにママたちが宿題を管理しているのだ。

 

まだ学校も始まらない数日前のメッセージは、だが宿題に関してではない。

まあ、初日にはなにを持っていくのか、とか、2年生から授業で使うノートは変わるのか、とかそんな話題だろうと思って、仕事中の私は着信音を消しておいた。

仕事が一段落してケータイを見てみると、なんと未読メッセージが120通あまり。

呆然としたが、我が夫はワッツアップを蛇蝎のごとく嫌い、妻の私に一任している。ママだけではなくパパの多くも参加しているワッツアップの学校のグループは、友達感覚の言葉遣いや冗談も飛び交うので、崩れたイタリア語は実は私にとっては非常にハードルが高いのだ。

 

ウンザリしながら読み始めたところ、コトのはじまりはクラス代表のメッセージにあった。

「学校の諸事情により、1年次に担任であった3人の教師は2年次を受け持たない」

という告知である。

毎年、担任はおろかクラスの友達まで変わる日本に育った私には、「はい、そうですか」ですむことだったのだが、ワッツアップ上にばらまかれたママたちの怒りは尋常ではなかった。学年ごとに学習のカリキュラムが定められている日本と違い、小学校の5年間は基本的に担任もクラスの友達も変わらず、学習の進め方はすべて担任3人にゆだねられているイタリアでは、1年次にその青写真を作ったはずの担任が一人もいなくなるというのは、父兄にとって許されざることであったのだ。

そして、クラス代表の告知に続く120通あまりのメッセージには、翌日すぐに数人の父兄が学校長に抗議に行く、という計画も含まれていた。

ワッツアップは忌避するくせに、子供のこととなると目の色が変わるのは我が夫もイタリア人の枠を出ない。即、私はラインで夫に連絡した。ワッツアップは嫌いな夫だが、ラインは愛好している。短気な夫がどんな反応をするのかヒヤヒヤしたのだが、案外冷静な答えが返ってきた。

「イタリアの小学校の教師は、99パーセントが女性だ。だから、妊娠や出産やその他諸々の理由で、担任を離れることは珍しくない。イタリアの学校教育は、財源不足で運営もへたくそだ。学校の決定だというなら、いくら学校長に抗議に行っても無駄だから君は行かなくていい。新しい担任たちが、優れた教師であることを祈るばかりだ。1年次のイタリア語の先生の話すイタリア語は、とてもきれいであったからそれだけが残念だけど」

 

翌日、校長に抗議に行ったママたち6人のなかには麻酔科医もいた。

ママの一人はその医師であるママ友に、「ブルネッラ、校長にブチ指す麻酔を一本病院から盗んできて!」とワッツアップにメッセージしていた。

抗議に行ったママたちは、さっそくワッツアップで事後報告だ。

「学校の決定を覆すことはできなかったし、これから先も担任の変更が起こらないという保証もできないと言われたわ。唯一、2年次から子供たちの担任となる3人は、教師として非常に優れているって言われたことが救いかな」

 

私は、子供のためにここまでする親は、本当にすごいと尊敬する。

私の弟は担任の先生と揉めることが多く、母はいつも頭を抱えていた。だから、私は担任の先生なんて「運」だけだと思っているし、イタリアの小学校だけではなくローマの日本人学校、日本の小学校ですでにいろいろな教師と接している我が娘に関しては、私は本人の胆力に恃むところが多いのだ。

 

ところで、日本人の私にとって頭が痛いのは名前についてだ。

イタリアは、日本ほど名前のバラエティーが多くない。だから、クラスのなかにはシモーネやマリーアが何人もいたりする。キリスト教の聖人の名前がそのまま名前のバラエティーになっているのだから数も知れているのだが、それでもはやりすたりはあるらしい。娘の世代で多いのは、ベアトリーチェ、マティルデ、カミッラ、アレッサンドロなどなどだ。

そしてイタリアでは、名字では呼び合わない。となると、ママ友たちの名前もファーストネームで呼び合う。さらに複雑なことに、イタリアは夫婦別姓だ。子供の名字は、父親のものとなる。だから、ワッツアップ上のママ友の名字と、クラスの子供の名字は合致しないのだ。

私は、表を作らざるを得なかった。

ミケーラ(金髪) → マティルデのママ

ミケーラ(化粧が薄い)→ヴァレーリオのママ

ドレッラ → ミケーラのママ

アントネッラ(眼鏡)→ ラケーレのママ

アントネッラ(髪が長い)→ エマヌエーレのママ

エマヌエーレ(ワッツアップ上で冗談しか書かない)→ソフィアのパパ

 

といった具合だ。クラスの子供は20人、両親は離婚していても、二人ともワッツアップ上に登録している人もいるし、私の夫みたいに外国人の妻に一任して自分はワッツアップは断固拒否という変わり者もいる。

しかし、こうもメッセージが垂れ流されてくると、重要なニュースや告知はその中に埋もれてしまうのだ。私はもう腹をくくり、クラス代表のパパのところに直接メッセージをする。

「ワッツアップの話題について行けず、読み切れません。重要事項だけ教えてください」

 

しかし、あまりにくだらないメッセージが多すぎて、クラス代表自身も自分が書き込んだことを忘れているのだから話にならない。

ちなみに、1年次のクラス代表が「父親」であったのも、同性同士であるとママたちと揉めるのではないかという深謀遠慮から、このパパが自ら立候補したのだ。一人っ子の息子を溺愛するクラス代表のパパは、だから学校での会合となれば仕事を休んで参加し、遠足やその他の学校行事も仕事より優先、といった具合だ。

 

こんな風にして子供を手で囲うようにした結果、子供たちはどうなっていくのだろう。

6月に、日本の公立小学校に通った娘はこう言ったものだ。

「イタリアの学校の友達は、静かに先生の話を聞くことができないけど、日本の学校の友達はみんなお行儀がいいよ。静かに先生の話を聞いている」。

 

新しい担任の評判は、今のところよろしくない。

毎日のように、ママたちの不満はワッツアップに更新されているが、まだ学校が始まって数日だ。1年次の担任の評判が良かっただけに、新担任たちはもともと白い目で見られがちなのだ。

新しい先生たちの新しい指導で子供たちも緊張感が生まれていいんじゃない、などという戯言は、私は間違ってもワッツアップには載せられないでいる。