「画家」という仕事。
洋の東西を問わず、有史以来続く古い営み、良く知られた職業でありながら、実際にはミステリアスに感じられる方も多いのではないでしょうか。
ベルリンをベースに活躍する、画家の星 智(Satoshi Hoshi)さん。
ロンドンやハンブルグ、ケルン等ヨーロッパ各地、そして東京で精力的に展示を続けています。
作品の源流からマネタイズの方法、絵を描く使命感に至るまで、画家の内側をお聞きしました。
抽象と具象の融合。「絵の中には、自由さと希望みたいなものが欲しい」
>>星さんは「花柄」を多用しておられて、ドイツのギャラリーで高く評価されていますね。
2009年頃から「花柄」を作品で使い始め、そうしたら発表する機会が増えてきました。
2014年末までの5年間は、どこにでも花柄を入れる前提で作っていたかな。
花の形だけでなく、パターンの色合いが、作品に込めた意味のつもりでしたね。
「花柄」を全面に出して、これこそ俺の生きる道!と思ってやって来たんだけど・・・
>>今は違うんですか?
今は、描きたければ描こうかな~という、自然体になっています。
ふと浮かんだ顔を描いてみたり。
色合いと具体的なモノの融合、抽象と具象のミックスという、より理想とするスタイルに移行してきたかな。
昔は具象画だけ・抽象画だけ描いてたんだけど、今やっと融合できてきて、もっと行けると思います。
絵の中には、自由さと希望みたいなものが欲しい感じなのね。
それをどうやって表現する?というよりは、言葉にするよりも先に浮かんだイメージを大切にする。
日常生活や本、話、映像・・・と言ったものが頭の中で熟成されるのかな。
自分なりに落とし込んだときに出てくるものが有って、そのディテールを詰めるためにモデルを使って写真を撮り、それを元に描いたり。
描いてから、これは何かな?と考える。
テーマを決めると、それに縛られてしまう癖が有るんです。
コンセプトありきで作品を作る人は多いと思うけれど、俺は自分のイメージを出発点としています。
文化と人間のルーツを辿る、バックパッカー時代
>>そもそも、絵を始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
初めて油絵具を触ったのは、高校3年生の春でした。
進路を考えていたとき、考古学や心理学にも興味が有ったんだけれども、あ!俺、絵を描くの好きじゃん!と気付いて。
高校2年の冬に新宿の美術学院で初めてデッサンを学び、3年になってからは油絵コースに移って道具を買いました。
>>結構遅めのスタートだったんですね。
実は芸大に入ってからは、油絵具の匂いが嫌いで、アクリルで描いていたんです。
グラフィックとかデジタルもやり始めた頃に、大学を休学。
ヨーロッパを自転車で、アフリカはバックパッカーとして回ることにしました。
>>お、旅ですか!その理由は。
高校1年の時に、関野吉晴さんが「グレート・ジャーニー」を始めたのね。
>>有名な大学教授の方ですね。壮大なプロジェクトですよね!
それを見て号泣しちゃって、印象がずっと残っていました。
大学3年生の頃、抽象画を描いていたんだけど「音を映像化する」という作風だった。
>>クラブのVJのような。
タッチパネル状で、映像とテクノロジーを駆使して、人の感覚全体をコントロールしたかった。
ただアイディアはあっても資本が無いし、どうやって形にするか・・・グラフィックを作りつつも、色々と限界も感じました。
一旦リセットしたいというものもあり、人間のルーツを改めようと思って、アフリカに行こう!と。
アフリカの前には、様々な文化の生まれたヨーロッパにも行こうと思っていたんです。
どうやって回ろうかな?バックパッカー?・・・いや、自転車で!
ということで、ロンドンで自転車を買って各地を回りました。
その時に、「将来ヨーロッパに住みたい」という意識が芽生えたかな。
アフリカは、流石に自転車だと死んじゃいそうで、バックパッカーをすることにしたんだけど・・・
ケニアのナイロビ空港に着いた時、自転車用バックしか持っていませんでした。
探しまわった結果、安宿で中古のバックパックを、高い値段で買うというスタートで。笑
「100年後も残るものは何だろう」油絵への回帰
>>ヨーロッパ・アフリカの旅は、星さんにどんな影響を与えましたか?
3~4ヶ月くらい、アフリカにいたかな。
タンザニアとかでもネットカフェに行くんだけど、FlashとかがWeb上で使われ始めているのを見て・・・いや違うな、と。
途中の街で展覧会を見て回ったり、地元の人々と話しながら考えていました。
「もっとダイレクトに伝わる方法があるんじゃないか」、「100年後も残るであろうものは何だろう」と。
逆に、100年前から残っているものは何だろう?と考えた時、油絵で。
アクリル絵具の歴史は、まだそんなに経っていない。
グラフィックをPCで作るよりも、触りながらの手作業が好きというのもあります。
旅から帰って、復学したときには「やっぱりアナログだろう!」という考えになっていて、改めて油絵具を使い始めた。
大学卒業制作は抽象画を描いて、大学院修了後、研究生として1年残りました。
研究生を終了した2004年春に、ベルリンに来たんだけど、その頃は抽象画が描けなくなっちゃって。
>>それは何故ですか?
なんかね、浮かばなくなっちゃったんだ。
漠然としたイメージ、目を閉じて音を聞いたり、ぼんやりしながら集中して浮かぶ絵を、そのまま落とし込んでいたれけど・・・
そこにだんだんカタチを見出し始めて、そうすると”カタチ”が気になり、全体の雰囲気や色を見れなくなって。
じゃあ逆に、見えるものからやって行こう!見るためには目が要るな!
ということで、しばらく「目」のシリーズを描いていました。
人間の目だったり、動物、魚の目だったり。
そういう段階を踏んで、自分の描きたいもののための技術を得て・・・というのを、一人でやりました。
>>孤独な作業ですね。
一緒にやる人も、クラスメイトも居なくて辛い作業だった。
2004年から5年間くらいは、ベルリンで一人で絵を描いて、発表して、売れなくて、一人で凹んで・・・という時期でした。