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インプラントとサイボーグ

前回の文章でも少し触れたが、機械と人間の相互作用の最先端にあるサイボーグ技術の形態には、侵襲型と非侵襲型がある。前回は非侵襲型の例として、パワードスーツについて書いたが、今回は、侵襲型のサイボーグ技術について見てみようと思う。

ところで、侵襲という言葉はあまり馴染みのない言葉だと思う。何か怖い感じの語感ではないだろうか? 実際に戦いで侵入し襲撃するという意味もある様だ。通常の会話では、まず使われることのない言葉で、ここでは医療用語としての意味で使われている。辞書によれば「生体内の恒常性を乱す事象全般を指す」とある。これでもなんだかよくわからないが、要するに手術などにより、体に物理的変化を加えること、と思えばよいだろう。

つまり、侵襲型のサイボーグ技術とは、手術などによって人間の体に機械を植え付ける、あるいは植えこむ(英語で言えばインプラントする)ことで、人間の機能を改善したり増強したりする技術、といえるだろう。こう書くと、おじさん達では、キカイダーとかサイボーグ009、近いところでは攻殻機動隊などのSFを思い浮かべてしまって、まだ遠い先の話と思われるかもしれない。

しかし、実は医療の世界では、機械を人間に埋め込む(インプラントする)ことやインプラントデバイスの開発は、結構古くから行われており、実際有効な医療行為として十分な実績を上げているものもある。医療用語の侵襲という珍しい言葉がサイボーグ技術の中で使われているのも、実はこのあたりにその理由があるのではないだろうか。

 

インプラントと言われる技術で最も普及しているのは、ペースメーカーと人工内耳だろう。これらは、どちらも数十年の実績がある。これ以外にも、実用間近の物や、研究開発中の物を考えれば、およそ人間の器官のすべてがその対象になっていると言っても良い。

次から幾つかの事例を紹介して見よう。

 

ペースメーカー

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E8%87%93%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC

人の心臓は1分間におよそ70回拍動している。この拍動は、心臓の右心房付近にある洞房結節と呼ばれる器官から作り出される刺激によりコントロールされている。この刺激が何らかの疾病により、不安定になったりあるいはうまく伝わらなくなったりすると、心臓では徐脈(拍動が60回以下になること)や頻脈(拍動が100回以上になること)などの不整脈が発生し、血液の循環がうまく行われなくなる。

ペースメーカーは、この様な拍動の不調が起こった場合に、正しいリズムの刺激を外部から心臓に与えることで心臓の動きを改善する装置である。ペースメーカーは装着者の拍動を監視するセンシングと、このセンシングの結果を元に、適切な刺激を発生し心臓に与えるペーシングの2つの機能を持っている。これらの機能は、駆動源である電池とともに数センチの筐体にまとめられ患者の体内にインプラントされる。筐体本体は一般には鎖骨下に埋め込まれ、そこから電気信号を伝える1本あるいは2本のリード(電極)が引き出されている。このリードは腕から心臓に戻る静脈を通して心臓内に伸ばされ、適切な位置に電気信号を与えることが出来る様に留置される。

ペースメーカーの基本形は1930年台にすでに開発されているが、初期の物は、本体が体外に設置され、電極だけを体内に挿入したものだった。本当にインプラントと言える体内式の物は、電気回路と電池の小型化が可能になった1960年代のはじめに実現した。

古来、人間の体の中で最も重要で、魂が宿るとも考えられていた心臓が、ある意味単純な電気信号でコントロール出来るという事実は、実は大きな衝撃であったはずだ。ペースメーカーの実用によって、人間の体も機械と結合し得るということが実証されたわけで、医療技術の大きな成果であるとともに、サイボーグ技術にとっても大きな一歩であったといっていいだろう。

 

人工内耳

http://www.jibika.or.jp/citizens/hochouki/naiji.html

人工内耳も、ペースメーカーと同様にすでに実用化され、十分な実績をつんだインプラントデバイスの一つだ。

人が音を聞く仕組みを簡単に見てみよう。耳に入った音は鼓膜を振動させる。この振動は、鼓膜の後ろにある3つの骨からなる耳小骨(槌骨・砧骨・鐙骨)により蝸牛(かぎゅう)に伝わる。

蝸牛はその漢字の通りカタツムリに似た形で、2巻半のらせん状をしている。蝸牛の内部はリンパ液で満たされ、基底膜という膜を介して有毛細胞と呼ばれる多数の感覚細胞がつながっている。この有毛細胞が刺激を受けると電気的信号を発生し、これが脳に伝わることで音が認識される。

液体の中では、音波は波長が長いほど遠くへ伝わる。潜水艦の通信に波長の長い超長音波が使われるのはこのためだ。リンパ液に伝わった振動も同じ原理で、波長の短い音は短い距離しか伝わらず、蝸牛の入り口近くの有毛細胞で認識される。波長の長い音ほど蝸牛の奥の有毛細胞で認識される。つまり蝸牛の有毛細胞の位置によって異なる音の波長が聞き分けられていることになる。蝸牛がらせん状に巻かれているのは、なるべく広い波長の範囲で音を認識するためだ。このように、蝸牛はあたかも周波数分析器の様に、音を波長毎に分解し、信号化して脳に送り、脳はそれを再構成し音の意味を理解している。

難聴は、鼓膜や耳小骨、蝸牛の障害によって起こる。鼓膜や耳小骨の障害は手術などにより回復可能な場合があるが、蝸牛の障害はほとんどの場合、手術での回復は困難と言われ、人工内耳が有効な場合が多い。

人工内耳は、マイクロフォン、音声処理装置(スピーチプロセッサー)、信号の送・受信機、蝸牛を刺激する電極からなる。

マイクロフォン、スピーチプロセッサ、送信機は駆動用の電池とともにコンパクトにまとめられ体外の筐体に装着される。受信器と電極は頭部にインプラントされる。送・受信機間の信号のやり取りは、頭皮を挟んで電磁誘導により非接触で行われるため、受信機側には電源を必要としない。このため、インプラントされた受信機、電極は不具合が生じないかぎり交換の必要はない。

電極は蝸牛内に深く挿入される。先に述べた様に蝸牛の有毛細胞はその位置により、波長の異なる音に反応する。蝸牛の奥ほど波長の長い音に反応する。これに対応して電極も波長毎に複数設けられており、現在は20個以上の電極を有するものもある。

マイクロフォンで捉えられた音はスピーチプロセッサで、波長毎の電気信号に変換され、送受信機を介して周波数毎に電極に送られる。電極が波長毎に異なる有毛細胞を直接刺激することで、脳が音を認識することが出来ようになる。

人工内耳を装用すれば、すぐに健聴者の様に聞こえるわけではない。人の有毛細胞は数千あり、音を細かい波長に分け、高い分解能で聞くことが出来る。人工内耳では、それを制約された20個前後の低い分解能で聞き分けなければならないからだ。リハビリテーションと個人個人に合わせた機器の調整が必要である。十分なリハビリテーションを受ければ、電話での会話も理解出来るほどに回復している例もある様だ。

このリハビリテーションは、ある意味、機械と脳が協力して新しい聴覚システムを構築するための努力と言っても良い。地味に見えるかもしれないが、Human Machine Interactionの実際の成功例と考えてよいだろう。

 

人工網膜

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004347/20140623-OYTAT50010.html

人工網膜も先の人工内耳とある意味基本的な仕組みは同じだ。人工内耳はマイクロフォンという音響センサからの信号だったが、人工網膜の場合は、光学センサからの信号を、直接視神経に送り、脳に見たと感じさせるものだ。

人工内耳で実証されている様に、視覚であれ聴覚であれ、おそらく嗅覚、触覚、味覚も我々が感じるということは、それぞれの神経が刺激され、その電気信号を脳が感知すればよいのであって、そのための感覚センサなり経路なりは、生体であろうと機械であろうと構わない。

さらに言えば、センサや感覚神経なしでも、任意に生成した電気信号で脳を直接刺激しただけで、その場所さえ適切であれば、我々は何かを見たとか、何かを聞いたと感じるだろう。

残念ながら、人工網膜については、まだ実用化というレベルにはない。ぼんやりと形の判別が出来る程度だ。視覚が聴覚と比べて難しいのは、その必要とする情報量の多さにある。聴覚は一つの音を判別すればよいが、視覚ではデジタルカメラの画素に相当する様に、2次元の位置毎に光をそれぞれ判別しなければならない。例えば縦横100個ずつとしても2次元では100×100で1万個の情報を処理することが必要になるわけだ。

実際人間の網膜には、光に反応する視細胞が1億個以上存在する。蝸牛内の音を聞く内毛細胞が3000個程度であることに比較すると、ケタ違いの多さだ。これが、直径23mm程度の眼球にあることを思えば、技術的な困難さは想像がつくだろう。

我々が見ている(と思っている)視覚に匹敵させるには、コンピューターによる強力な画像解析の助けを借りたとしても、少なくとも数万程度の位置毎の情報が必要になるだろう。現在の人工網膜は、実験で実証されているものは50個程度、数年後に1000個程度が出来そうという段階だ。

一方で、現在の集積回路の配線寸法がナノレベル(百万分の1mm)に達していることを考えれば、困難ではあるが、実用的な人工網膜の実現も、それほど遠くない将来には十分可能になると思うのは、それほど楽観的な考えでもないだろう。

 

人工義足・義手

http://wired.jp/2015/01/27/next-world-7/

人工義足・義手は、実用化がまさに進行しているインプラントデバイスと言えるだろう。前回の連載で説明したパワードスーツも大きく見ればこの範疇に入れることも出来る。パワードスーツは、装着することが前提であったが、人工義足・義手では欠損した手足の替わりに、実際に機械を生体に移植する(インプラントする)。

動こうとする意思の読み取りに関しても、パワードスーツでは、皮膚に電極を付けてそこから生体電位信号を読み取っていたが、人工義足・義手では直接神経と接続して読み取る方式や、脳に埋め込んだセンサから脳波を読み取り、これにより意思を類推し制御を行う試みも研究されている。さらに、指先などに相当する部分に接触センサを設け、この情報を脳にフィードバックして、手足の触感も同時に再現出来る様な試みも行われている。

人工義手・義足は再生医療に分類される場合もあるが、実際は再生ではない。人工内耳のところでも述べた様に、これらの機器を使いこなすには、リハビリテーション(訓練)と個人個人に対する機器のパラメータの最適化が必要である。これは再生というよりもむしろ、赤ん坊が少しずつ手足を動かすことを学んでいくことに近い。これは、脳を含んだ機械と生体の一体化した新しい運動システムの構築、と考えることがより正しい見方だろう。

付け加えておけば、人工義足・義手の課題としても、パワードスーツのところでも述べた様に、モータ等の駆動装置と電池等の駆動源の小型化と高性能化、加えて生体と親和性があって、かつ軽量で頑丈な素材の開発が必須であることは言うまでもないだろう。

 

 

インプラントデバイスは他にもいろいろある。幾つか面白そうなものを取り上げてみよう。

 

手足を増やす

http://wired.jp/2015/03/02/next-world-13/

人工義手の技術を使って、新しい腕や手を付け加えて見ようという試みもなされている。生産性の効率が高めることが目的だ。確かに昆虫は6本の足を持っているし、タコは8本の手?を持っている。象の鼻はもう一つの手と言ってもいいだろう。手足が2本ずつである必要はない。手が増えるってどんな感覚になるのだろうか。

さらに思いついたが、しっぽがあったらもっといろいろな運動ができるかもしれない。人工翼が出来れば飛ぶことも出来る。

 

体内に埋め込んで妊娠をコントロールする無線式「避妊インプラント」

http://wired.jp/2014/07/10/remote-control-contraceptive/

ハッキングされた時、面倒なことになりそうだ。

このほかにも、ワクチンの入ったカプセルをインプラントして、定期的に接種できるようにしようとするものもある。

 

筋肉で発電

http://www.pi.titech.ac.jp/news/detail_1154.html

インプラントデバイスではないが、インプラントの泣き所である電源の解決になるかもしれない技術。筋肉の動きで発電して、インプラントデバイスの給電しようとするもの。

体内で発電が出来れば、電池の寿命や重量に左右されないで装置の自由度がますだろう。

 

人間に対しては、倫理的な制約や裁判沙汰になる恐れがあって、なんでもできるわけではない。それに対して、動物や昆虫に対しては結構むちゃくちゃということも試みられている。

 

赤外線センサを組み込んで赤外線が感知出来るラット

http://wired.jp/2013/02/15/implant-gives-rats-sixth-sense-for-infrared-light/

人工網膜が出来れば当然赤外線センサからの信号を視神経に入れれば赤外線を感じることが出来る様になるだろう。幾つかセンサを並べれば前方だけでなく、360度見ることも出来るだろう。

光であれ、音であれ、センサで測定出来ることならどんなことでも、原理的には感じることが出来る様になるはずだ。

 

ゴキブリをリモコンでコントロールするキットが市販

https://backyardbrains.com/products/roboroach

ゴキブリの感覚細胞に電極で刺激を与え自由にコントロール出来る。市販されているとは驚きだ。カメラを付ければ、災害時などの瓦礫の隙間の探査に使うことも期待出来るとか。確かに隙間に入るのはお手の物だろう。下手なロボットより安価で、しっかり動くことは請け合い。自分で物を食べてくれるから電池の心配もない。

 

カブトムシの飛行をコントロール

http://japanese.engadget.com/2015/03/25/beetle/

原理は多分ゴキブリと同じだ。

 

鳩の脳に電極をインプラントして制御する。

http://wired.jp/2007/06/01/%E9%B3%A9%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%81%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%81%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E3%82%92%E5%88%B6%E5%BE%A1/

昆虫だけでなく鳥でもコントロール可能。

つまりその気になれば、人間もリモートコントロールすることが出来るということだ。まあサラリーマンなんて、電極なしでも昔からコントロールされています、という声が聞こえてきそうだが。

 

ところであなたは、あなたを改造したい?

私達は、だれでも自分自身の肉体に満足はしていないのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。もっと強くなりたいとか、もっと美しくなりたいとか常に望んでいる。体を壊すほどスポーツやボディビル、ダイエットに熱中し、やり過ぎと思えるほど化粧や服装にこってしまうのもこのためだろう。

だが一方で、私達はあるがままの肉体というものに、ある種の不可侵性も感じているのではないだろうか。手術をすれば助かるといくら医者から言われても、体を傷つけることに逡巡して手遅れになってしまう患者の例を聞いたことがある。美容整形やカツラにすら、自分が実行するとなると、どうしようかと少なからず逡巡するだろう。一方、他人が実行しているのを知ると、何かしら揶揄したい気持ちを、どうしても持ってしまわないだろうか。

私達は多かれ少なかれ、自分の肉体に対するこのように相反する態度をどうしようもなく持っている様に思う。

それほど遠くない将来に、人工義足を付ければ時速100kmで走れる様になるかもしれない。人工義手では片手で100kgを簡単に持てる様になるだろう。人工内耳を付ければコウモリの様に超音波が聞こえる様になるし、人工網膜では猫の様に暗闇でも物が見える様になるかもしれない。もしかしたら、人工の翼が可能になり、背中に翼を植え付けて、羽ばたいて飛べる様になるかもしれない。

こうした夢の様な技術が実際に可能になったとして、何%の人が実際に自分を改造しようとするだろうか。案外少ないかもしれない。またおそらく、倫理的、宗教的方面からの反対活動も出て来るだろう。こうした夢が実現することにとっての案外大きな困難の一つは、技術的な問題点ではなく、人間の心かもしれない。