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photo by NIAID

 

細胞膜とは

最後に、細胞膜を見てみよう。遺伝子によって各パーツ、装置が設計され、遺伝子によって設計された酵素によってその正常性が維持されている細胞だが、そもそも、境界が無ければ中身が外界と混じり合い一つの構造として成立しえない。細胞膜は「ここから、ここまでが自分です」と世界から自分を区切りとり主張するための細胞の一番外側にある境界膜だ。

 

細胞膜の主な成分はリン脂質と呼ばれる分子だ。リン脂質は球体に2本の足がついた形の分子で少し面白い性質を持っている。球体状の頭の部分は水が好き(親水性)なのだが、足のほうは水が嫌い(疎水性)なのだ。一つの分子の中に二つの正反対の性質を持っている二重人格分子がリン脂質である。

そのため、リン脂質の分子たちを、水に入れると、面白い現象が起こる。水に油を落とした時を想像してほしい。リン脂質たちは水に落ちた油のように、自然に寄り集まり、水が大好きな頭の部分を外側(水側)に向けた球体を作るのだ。

リン脂質をさらに増やすと球体では納まりきらないため、リン脂質は内側に足を向けて、外側に頭を向けた、シャボン玉のような形になる。ここで、大事なことは、シャボン玉の内側も水になっているので、シャボンの膜は必然的に二重の構造になるということだ。そして、これが細胞膜である。

 

外部と応答する細胞膜

さて、細胞膜はリン脂質が並んだだけの構造なので、小さな酸素や二酸化炭素といった分子はリン脂質の分子の隙間通って内側と外側を自由に行き来できる。おかげで細胞膜にぴったりと包まれていても、細胞が呼吸困難に陥ることはない。

一方、細胞膜はリン脂質がぎゅっと並んでできているので、細胞の内側にある、核やミトコンドリアといった器官や、細胞内の生体反応を担っている酵素達は細胞の内側にしっかり納めら、ふらふらと細胞内から漏れ出すことはない。細胞膜は細胞の各種パーツ、装置を包み込みながら、一つの細胞という構造を作り上げているのだ。

 

こうして細胞膜に包まれて存在している細胞だが、残念ながら自給自足ではないので、外部から必要に応じて糖やタンパク質を取り入れる必要があるし、時には自分の内部で作り出した物質を外部へ送り出す必要もある。しかし、こういった物質はリン脂質の隙間をとおるにはいささか大きすぎる。さらに、何でも内部に取り入れていいわけではない。細胞の害になる物質も外界には存在しているので、内部に取り入れる物質は選別する必要がある。

そのため、細胞膜には、細胞の活動に必要な物質を選択して、膜を通過させるためのトンネルやゲートがいくつも埋め込まれている。このトンネルやゲートは、通過する物質がそれぞれ決まっているだけではなく、通過させる量、タイミングについても様々に工夫されている。例えば、エネルギーを使ってポンプを動かすことによって物質を通過させるトンネルや、普段は鍵をかけて閉じているが、ある条件になると鍵が開いて物質を通過さることができるゲートなどである。必要なものを必要な時に必要なだけ、手に入れる、厳しく賢い検疫所・税関のような働きも細胞膜は担っている。

さらに、細胞膜は細胞を包んでいるだけではなく、外部環境の変化を知るための基地局としての働きもある。外部環境は刻一刻と変化する。その変化に適切に対応しなければ、細胞は病気になったり、あるいは死んでしまったりするだろう。そのため、細胞膜には外部の環境を把握するためのアンテナが随所に設置されている。このアンテナによってキャッチされた情報は細胞内部へと伝わり、既存の酵素反応系のスイッチがはいったり、あるいは遺伝子へと伝わり新しい酵素が作られる。

 

このように細胞膜は自己と外部を区切るための境界として重要な役割を担っている。さらに、細胞膜はただの壁として存在するだけではなく、同時に外界の状況を知り、必要な物質を外界からとりいれるための、自己と外部を繋ぐための最前線の基地局として機能するからこそ、生物は外部環境の変化に取り残されず、自己を維持することができているのだ。

 

細胞膜がない生物(or細胞)、はありえるのか

さて、まずは細胞膜の無い細胞だが、リン脂質でできた細胞膜につつまれている生物の最小単位が細胞なので、その定義上、細胞膜がない細胞は無い。何か類似の構造が存在したとしても、残念ながらそれは細胞とは呼ばれない。

それでは細胞膜がない生物はいるのだろうか。それが生物か非生物かは別にしてインフルザウィルス、HIVウィルスと病気の運び屋で知られているウィルスは、実はその外殻はタンパク質でできている。したがって、ウィルスは細胞膜を持たない存在だ。

実はウィルスが生物か非生物かという問題は、現在でも議論の分かれている問題だ。そもそもウィルスは、タンパク質の殻のなかに遺伝子だけを入れ込んだ存在だ。呼吸もしなければ代謝もしない。そのため、ウィルスをただの遺伝子を運ぶための粒子であり、生物ではないとする意見もある。しかし一方で、自己の遺伝子を他の細胞に寄生することで複製しているという点から生物であるといする考え方もある。

ここではまずは生物を広義にとらえて、ウィルスを生物として議論を進めてみよう。ウィルスを生物とするのであれば、細胞膜の無い生物はありえる。

ただ、自己と外界の物理的な境界を持たない生物は、と問いかけてみると、それは無いのではとも同時に思われる。ウィルスは宿主細胞の中にいないときには、タンパク質の殻に自己の遺伝子を包みこんで自己を外界から切り分けている。そして宿主細胞の中にいるときには、宿主細胞の細胞膜によって外部環境から切り分けられているともいえる。

これは、塩基の鎖で出来た遺伝子はは外部環境にそのまま放置しておくと、すぐに分解・拡散されてしまう脆い物質であるからだと考えられるが、少し別の視点からも考えてみたい。

生の反対、死とはエントロピーの増大だといわれることがある。エントロピーとは無秩序さをあらわす物理指数などと定義されるが、角砂糖を水の中に入れたとき、寄り集まったグルコース分子が水に溶けて拡散し、広がり、やがて水の中に均一に散らばる現象をエントロピーの増大と考えるとわかりやすい。角砂糖を水に溶けると勝手に溶けて拡散するように、世界はエントロピーが増大する傾向にある。ぎゅっと何かが不自然に密集している状態よりも、ゆるっと力が抜けて均一に散らばってる状態を世界は好むのだ。

生物は水中世界の角砂糖だ。常にばらっとほどけて世界に溶けてしまえというプレッシャー(エントロピー増大)がかかっている。そんなプレッシャーに屈さないように、ぎゅっと密集した状態を保つためには、この物理法則に支配された世界では、どうしても外界との物理的な境界は必要なのだ。

つまり、物理法則に支配された世界では、ただの分子や原子とは違う、特殊な構造を保ち続けるには、それば細胞膜であれ、タンパク質の殻であれ外部との境界膜がどうしても必要なのではないだろうか。

 

まとめ

さて、ホールディンスンの定義から、遺伝子、酵素そして細胞膜をそれぞれ見てきた。確かにこれら3つの要素は、生物としての構造を維持するため重要な役割を担っていた。けれど、これら3要素が無い生物を考察した結果、生物には不可欠なものは「遺伝子」であるように思える。何故ならば、酵素も細胞膜もないと困るが、自前の物である必要はないからだ。むしろ、この二つは、遺伝子を壊れないように伝えていくための、装置であり構造のようにも見える。つまり、生物とは自らの情報の乗った遺伝子を壊さないように維持し、伝えていくための構造物なのではないだろうか。身もふたもないような定義に少し悲しくなるが、これは「生物とは」の定義であり、「生命の本質」が遺伝子であると定義しているわけではない。

それに、遺伝子に加えてもう一つ、重要な要素があるように思える。それは、生物とは、他の個体を含む外界と積極的にコミュニケーションをとる構造物だということだ。外界とのコミュニケーションは、構造を正常に維持し続けるためには必要不可だ。そのコミュニケーションが一方的であれ、好意的であれ、敵対的であれ、とにもかくにも外界とコミュニケーションをとらなければ、石が砂になるように、ただただ、壊れていくだけだ。外界と密接なつながりを持ち続けるもの、それが生物なのではないのかと思うのだ。

蛇足ではあるが、私はこの私なりの定義にたどり着いたとき、心の底から勇気づけられた。なぜなら、私たちは外界から独立した存在であると同時に、決して、孤立した存在にはなりえないのだと、教えてくれるようだったからだ。人と仲良くなることが苦手で、親元を離れ、誰ともつながっていないようでさみしかった大学時代、生物を学ぶことを通して、「大丈夫、生きているなら、ちゃんと外と繋がれているし、生き物なら、外とつながる方法を細胞が知っているんだ」と、メッセージを受け取ったような気がしたのだ。生物は、こういった、思いもよらぬメッセージを発信していることがある。そのメッセージに気が付くとこが、生物を学ぶ魅力の一つであるように私は思う。

 

生物の定義は十人十色。百人いれば百通りの生物の定義があるといわれる。あなたは、あなたなりの生物とは何か、という答えを見つけることができただろうか。

最後に、最近新聞を飾るようになった人工知能AIは生物なのか考えてみよう。SFの世界でもよく出てくるAI。かれらは、学習もすれば自己のメンテナンスもする。ウィルスソフトに見るように、プログラム次第では自己増殖だってできそうだ。0と1という数字でかかれた、そのプログラムと遺伝子の違いはそれほど大きいもののようには思えない。だからといって、生物だと言ってしまうのは、少し違うようにも思う。なぜなら生物=生(なま)の物(もの)だからだ。物質ではない情報のみのそれは、生物の範疇には入らないだろう。

ただし、SFの世界のように高度に発達AIを前にしたとき、それを生物ではないから生命ではない、といえるのかは別問題である。その答えを探すためには、先に少しだけあげた、「生命の本質何か」という問いを考えなければならないだろう。この問いかけに自信をもって答えられる人はいないだろう。けれど、それを思考することは自由だ。生物とは何かという回答を見つけたあなたは、今度は生命とは何かという難問に挑戦してみるのもいいのかもしれない。