7回にわたった俳句に関するお話も、早いもので今回が最終回となりました。
前回は、「名句でふかまる俳句」と題して、有名俳人とその名句をご紹介しました。
歴史に名を残した俳人の句はどれも、わずか17文字とは思えないほどに、広闊な世界が凝縮されています。
最終回である今回は、これまでの内容をふり返りつつ、あらためて俳句とはどんなものかという永遠のテーマについて考えてみたいと思います。
◆俳句とは、どんなものでしょうか。
この永遠のテーマは、二つの面に分解して考えることができます。
1つは、「一般的な俳句」とはどうあるべきかという問題です。昔から俳人たちをなやませてきたこの問題は、むろんわれわれとはほぼ、かかわりありません。しかし、趣味であれ遊びであれ俳句を詠むようになると、多少なり影響をうけることにはなります。
極端な例で考えると、今日から俳句は575ではなく、775にします!ということがおこった場合、読むだけの人はそういうものかと思うでしょうが、俳句を詠む人にとっては大問題です。
もう1つは、「個別的な俳句」つまり自分自身にとっての俳句をどんなものにしたいか、どんな風に俳句に親しんでいくかというテーマです。こればかりは、他人に委ねるということができず、自分の中でアイデアをひねっていく必要があります。
以下では、まず前者「一般的な俳句」とはどんなものなのか、について考えてみたいと思います。じつは、このことについては、これまでのお話しでふれてきたことなのです。
なので、これまでの内容をふり返りつつ考えてみたいと思います。
◆「一般的な俳句」
この連載がはじまったとき、CIRCUSのツイッターアカウントで、俳句こそ最強のVR(バーチャル・リアリティ)だと連載だ1回の記事を紹介いただきました。まさに言い得て妙だなと思います。
芭蕉の俳風開眼の一句として有名な
○古池や蛙飛び込む水の音
の句は今でも日本人の中に生きていて、俳句といえばこの句を思い出す人も多いと思います。この句を詠んだとき、芭蕉は俳句(発句)にVRとしての性質があることに気づいていたのではないでしょうか。
江戸時代にVR?といぶかしむ方もいらっしゃるかもしれませんね。VRとしての性質とは、言い換えをすれば、実感の高度な再現性、といえるかもしれません。
芭蕉一世の仕事として、俳諧の芸術化が先に立ったために、VRとしての純粋化・結晶化は(より適任な)蕪村に譲られた、と見ることもできるかと思います。
蕪村の俳句に至っては、完全にVRとして詠まれているのではないか、と思えるほどです。もちろん現代科学のがちゃがちゃした機材によるVRではなくて、和室を囲む襖絵のようなVRです。画家である蕪村は、17文字をもって絵筆に代わるほど能弁な俳句を作りました。
「和歌は心を詠むもの、俳句は景を詠むもの」とよく言われています。俳句とはすなわちVRなのだ、と考えることができると思います。
もうすこし具体的に見てみましょう。
例えば、俳句を読んでいて言葉が目にとび込んできた(つまり、その俳句を読んだ)とたんある種の感覚が器官に届く、という経験は俳句好きの方であれば、誰しも身に覚えがあるのではないでしょうか。
それは言葉に宿った魂が、読み手の魂と共鳴するからではないか――とついロマンチックな言い方をしたくなりますが、これは実際には「文字を読む」「連想する」という繰り返されるスキームの中で無意識に身についた条件反射のようなものでしょう。
こんな思いから書きはじめたのが、このシリーズ冒頭の第1回、第2回です。
「身体で感じる俳句」と題して五官に響きを与えるような俳句をご紹介しました。
この響きは、他の文学でももちろん使われるものです。しかし17文字という俳句の短さや切れ、そこからくる余韻のために、俳句においてはひときわ鮮明に響くのです。
俳句というと、現代では一般にあまりなじみのないシロモノだけれど、とっても刺激的でおもしろいものですよ、というのがここでの主旨でした。
【第3句 いまを感じる俳句-又吉直樹さんと中学生の俳句から】
もちろん言葉は生き物ですから、時代が変われば当然言葉も変化します。なにより、ただでさえ古くさく感じられる俳句です。
現代に、よりマッチした俳句も見てみたい――これが第3回「いまを感じる俳句」へとつながりました。
どんな句をご紹介しようかというところでは、じつは相当悩んだりもしたのですが、結果として中学生の俳句と芥川賞作家である又吉直樹さんの俳句をご紹介しました。
中学生の、気負いも衒いもない俳句には、まさに新鮮な気品といまを生きているという実感があります。
また又吉直樹さんは、書けば小説の一節にもなろうかという世界を17文字の結晶として表現されていました。言葉遣いも句の姿も凛々しさを感じる俳句でした。
連想によってこれらの俳句にとび込むのは、今回のシリーズ中でも、もっとも刺激にあふれていました。そして、難しさや古さの原因と思われる定型や季語といった、俳句独自のルールは守りつつも、新しい息吹をまとった俳句が作れるんだ、ということを実感することができました。
古くさく、難しいと思われがちな俳句のルール、17文字とか季語について一度しっかりと考えてみたいと思ったのが、第4回「季語でひろがる俳句」です。
残念ながら、17文字である理由については、展開の都合でふれることができませんでした。
俳句の17文字のルーツは和歌です。では、和歌の31文字のルーツはどうなのか……はっきりした定説は調べた範囲では見つけられませんでした。
が、興味深いなと思ったのは、音楽との関連です。ピアノの鍵盤をイメージしてください。黒鍵が5音、白鍵が7音あります。
音階は、物理的な調和をもとにわり出された空気振動だったはずですから、ここに何らかの理由がありそうです。あわせて漢詩が五言と七言からなっているのも興味深い符合だと思います。
季語については、考え方がさまざまあるのですが、個人的には歳時記にある季語かどうかというよりも、俳句に季節感があることが重要だと感じています。季節感があるからこそ、連想が深まります。俳句は、読み手の連想を誘うことなしにしては成り立たない文学だと考えるからです。
しかし、これと異なる立場の考え方が無用なものかというと、決してそうではありません。無季・自由律俳句の考え方というのも源流は芭蕉の昔からあり長く息づいているものです。無季・自由律俳句の考え方を知って、より有季・定型への思いを強くするということだってありえます。
いろんな考え方を学ぶことは、俳句に限らず有用なのだろうと思います。
では、俳句を学びたいと思った時、どのように学んだら良いのでしょう。
そのことをメインにお伝えしたかったのが第5回「句会でつながる俳句」です。
俳句結社という存在、句会という場の運ばれ方を中心に見てみました。
句会というと、なんだか初心者には大仰な感じですが、もし身近に俳句好きな仲間がいれば、その数名で集まって俳句を持ち寄り、それをネタに盛り上がるというだけでも楽しいと思います。
本物の句会にでると、俳句の生き字引のような人たちが集まってくるので、刺激的であるとともにその知識量に驚かされることがあります。
学びの場としては、やはり結社の句会に参加するのが一番の道ではないかと思います。もっとも、これは独学が不要になるという意味ではなく、独学が軌道にのる、というような感覚だということも補足しておきたいと思います。
句会に出るならば、人と俳句について話すならば、やはり知っておきたいのが有名な――とくに国語の教科書に出てくるような――俳人の句は知っていた方がいいのではないかと思います。
とまぁ、これは私自身が無知なまま句会に出たとき感じたことでもあったので、多分に自省を込めていますが、そこをとりまとめたのが前回・第6回「名句でふかまる俳句」です。
さまざまな俳人たちの、人生と俳句に対する考え方を俯瞰してみると、俳句が平面的なものではなくて、かなり奥行をもったものだと感じられると思います。
また、冒頭記したように、その名句はどれも広闊で、まさにVRとしての性質=実感の高度な再現性に富んでいるということができそうです。
俳句について、芭蕉は「俳句とはすべてが辞世の句だ」と言っています。これは翻せば、一句一句を詠んだならばその場で死すとも悔いなし、という心境なのでしょう。
芸術とは、芸術家の魂をけずり取ってそれを錬成して作りあげるもの――と考えていいのではないでしょうか。それほど一句に重みがある、というわけですね。
子規の場合は、晩年病苦から自殺願望さえ抱くようになるのですが(もっともその頃の子規は、自殺することすら叶わないほどに衰弱していたと思いますが)、毎朝届く新聞日本に自身の俳句欄を見つけるとわずかに命が蘇るのだといっています。
こういった点を並べて線で繋いでみることも、近似値的な俳句の姿をイメージする上で興味深いと思います。
芭蕉や子規の考え方をみていると、俳句は、人が生きる上での何か大きな支えにもなるように思えてくるのです。
◆「個別的な俳句」
はじめのテーマに戻ります。
今度は個別的な俳句、つまり自分にとっての俳句とはなんだろう、というのがテーマになってきます。
こういうことを考えるのは、実際に俳句を好きになった後のことでしょう。まだ俳句というものを知って日が浅い方も多いでしょうから、あくまで参考事例として、すこし筆者自身のことを素材に考えてみたいと思います。
私の場合、俳句は実業ではなく趣味なので、ほとんど息抜きという面があります。
まったくお気楽な立場で無造作に俳句をひねって遊んでいたのですが、ある結社に参加して句会を体験したあたりから、俳句はライフワークというような存在になっています。
俳句にのめり込んだきっかけは、子どもの誕生と祖父の影響かもしれません。
私は、父方の祖父母を知りません。二人とも父が生まれてすぐに病没したからです。ですから、二人がどんな人だったのかまったくわかりません。
しかし、祖父はアマチュアの画家でした。
いまでも実家の仏壇には祖父の描きかけの画帳があります。
その絵を初めて見たとき、私は目の前に祖父がいるかのような、軽い衝撃を受けました。鉛筆画の濃淡、自画像や風景画をとおして、祖父が見たもの感じたものが伝わってくるのです。
それを私も真似しようと思ったわけではありませんが、たまたま俳句と出会ったことで、俳句にもそんな生きた証となるような可能性があるのかな、と考えるきっかけになったことは間違いありません。
そんなことを考えているころ、長男が誕生しました。そのころから、ぼつぼつと俳句を詠むようになり、結社に参加をしたのもこの時期です。
◯臨月の産着を干すや風光る(涼太)
はじめて師匠にマルをつけてもらえたのが、この俳句でした。
自分の句をくどくどしく解説するなど気恥ずかしいのですが、簡潔にまとめると以下のようになります。
季語は風光る、季節は春です。
桜もほころびはじめようかという休日の朝、出産を控えた妻がベランダに出て洗濯物を干していました。その洗濯物のちいさいこと。
それはまもなく生まれてくるわが子の産着なのでした。
東向きのベランダには、春の朝のやわらかい風とともに光が差し込んで、屋内からみるとある種神々しいような風景に見えたのです。
風光る、とは春の陽光が明るさを増して風もかがやくような季節をさしています。
長男は、逆子の自然分娩だったのですが、出産そのものはなんの問題もなく生まれてくることができました。
以来、私の俳句には子どもがよく登場するようになりました。
○手を腹に逆子を諭す夜長哉(涼太)
○幼子の這うや日ごとに日脚伸ぶ(涼太)
こうした句のいくつかは、小さな画帳に絵を添えて残しています。
つたない自作句をさらしたうえに、つい私事をながく書きすぎてしまいました。
要するに俳句をどんなふうに楽しんでいくのか、どう親しんでいくのかということを考えてみるのも、俳句をはじめていく中でのひとつのモチベーションになるということを示したかったのです。
ぜひ一度、あなたが感じる俳句の姿というものをイメージしていただけたらと思います。
これまで7回にわたり、俳句とはどんなものかという概略を書かせていただきました。
貴重な機会を与えてくださったCIRCUSの担当編集者様、なによりここまでお付き合いいただいた読者の方々に御礼を申し述べ、この稿を終わりたいと思います。
2016年9月19日子規忌の朝、自宅にて。